沼津大喰らい選手権
第六章:沼津大喰らい選手権
大きな嵐があった。沼津の町を通り過ぎるときは山も川も風に吹かれてうねっていた。まあこの日の本の国の人たちはしょっちゅうこういうのが来るとわかって日々暮らしているので風が家を通り抜けるだけ、今日は強いなあという程度。「かなめさんの家は頑丈でいいなあ!」と言う人がたまにいるけど、父さんが店を出すためにたまたま手に入れた場所だからそんなに造りがいいわけじゃない。今日も縁の下の砂利が音を立てて猫の鳴き声が聞こえる。また居着いたな、うるさくて仕方ないや。
嵐が過ぎ去ると、うどん屋の大将が何か張り切って大八車を引いてきた。なんでもこの先の川縁で嵐にあった牛車が壊れて、江戸に持っていくはずだった荷物を運べなくなった。日持ちしないから川に捨てるしかないと牛車を引いていた連中が言っていたので格安で買い付け、江戸に行く前に大盤振る舞いといくらしい。大八車に乗っている瓶を見せてもらうと、中にはうじゃうじゃ鰻が入っていた。浜名で採れた上物の献上品は美味しく食べねば鰻に悪い!ともう全部売っぱらうつもりだ。でもそもそも日持ちしないので早くみんなに食べてもらわないといけない。一計を案じた!とここで口を出したのは平賀さん、鰻を山ほど美味そうに食べるところを見せればみんな山ほど食いたくなる、と妙に張り切っていた。ああ、この考えを一族に伝えられれば子々孫々語り継がれるのに!と悔しそうだけど、こういうしょーもないことを考えさせたら上手い一族だから誰かが勝手に始めるだろう。でも一つ大問題。これは鰻なのだ。串打ち三年裂き八年、焼くのは一生なんて言葉があるくらいで、おいそれと料理できない。いくら大将が小器用でもうどん屋なのだから鰻の蒲焼職人みたいなことができるわけない、と思っていたら「俺に任せろ!」と清六が躍り出た。小器用なだけで生きてるような奴だから頑張ってなんとかするらしい。やったことがある、なんて当てにならない自信を持った清六と、平賀さんと大将でやいのやいのと楽しそうだった。さて、仕事するか。
そしてうどん屋が打ち出した大将江戸進出祝い、鰻の蒲焼大喰らい合戦。丼の鰻を五杯食えればあとは全部タダ、一番食った人には一千文が贈呈される。素直に一分と言えばいいのに、桁が大きいとみんな気になるらしい。一千文だってよ!と大賑わい、事実飯食ってそこそこの額が貰えるのだからいろんな意味で美味しい。一番にならなくても五杯食えれば一食分浮く。五杯食えないという人は丸損なので見るだけだけど食える人はとりあえず出ようという人が結構いた。町に新しくやってきた人も、その中に混じっていて。
うおおお、食うぞ!とやたらデカくてガタイのいい見知らぬ男が張り切っていた。俺様は山ほど食うので有名なんだ、俺の丼から落ちた飯が小山になる程だ!と張り切っていて「まずこぼさずに食え」と言ったらしゅんとしていた。こういう阿呆はあまり相手にしないという鉄則を沼津の人たちは佐山一家で学んでいる。ありし日の、まだ阿呆全開だった頃の佐山一家みたいな男がむしろ懐かしい。初めて見る奴なのに。店に来た清六が、味見してくれと鰻を持ってきた。権兵衛が目を輝かせて食べにきたけど、大男が手に取ってぺろりと食ってしまった。なるほど、うめえ!これなら何杯でもいけるぜ!と叫ぶ大男と、きーきー文句を言いたそうだけど声が出ない権兵衛。表のうどん屋で鰻を焼いていた清六は男を知らず、あれは?と聞いてきた。町の新参者、昔懐かしい阿呆よ、と言ってやったら清六がまじまじと男を見つめた。なに?あいつどこか怪しい?と聞いても、清六は特に答えもせず。
「いや。たくさん食ってもらおう」
清六はとっとと表のうどん屋に戻っていった。こっちに来て向こうに戻るって逆じゃない?と思ったけどこっちに戻るのもそもそもおかしいからそれ以上つっこまなかった。
そしてやってきた大喰らい合戦当日は思ったよりもずっと賑わった。鰻と一分を目当てに人が来るわ来るわ、二十人は集まってその中にちゃっかり権兵衛が混じっていた。さっき朝飯を山ほど食っていたけど大丈夫かな。その他にも隣町の旦那集や昔馴染み、丼鉢を自前で持ってくる張り切り方の人もいる。当然のようにその中にいる薄らでかいのはこないだの大男、芋の煮付けのような顔をしているからうどん屋の大将から炊いたんと呼ばれていた。これから四半刻の間に一番多くの飯を食うのは誰なのか!って何をみんなそんなに真面目に見ているんだろう、熱心すぎてこっちが固唾を飲んでしまう。がんばれよ、と清六から丼を渡された権兵衛はうっとりしていて開始の太鼓が鳴った後も一口ごとに微笑んで食べている。その間に炊いたんが思いっきりかっこむけどああいうのはすぐに止まるんだろうな、と飯屋なので自然と思う。人が飯を食べるところは見慣れているのよ、一応。開始早々田吾作が音を上げてお綾に肩を借りて帰っていった。記録は二杯半。三杯食べれないなら二杯でやめればいいのに、余ったからおにぎりにして持って帰った。
丼の飯は硬い。上に汁気が乗るのだから硬めに炊いてあって、顎が疲れれば胃に響く。米と鰻しか見なければ知らぬうちに疲れ、そこに上る湯気と飯の蒸れ方が鼻でわかる奴が勝つ、と大将が語った。上方ではこういうのが盛んなのかと思ったらお祭り騒ぎが盛んだからたまに混じるらしい。それより丼の飯って他のと違うんだ!と違うところに驚き、大将の見つめる大喰らいたちには頭が行かない。一応見てみると五杯というのは思ったより多いらしく四杯目に入ったら箸が止まる人が続出、茶をすするけど腹が膨れるから逆効果。味を変えるなら七味も山葵も山椒もある、今日は普通の量でいいと大将が言っているけど普段はどうしているんだろう。ここで抜け出てきたのは権兵衛、食うのは遅いが速さが変わらないとみんな驚いている。五杯を超えたのは権兵衛と炊いたん、他にも残っているのが何人か。五杯の壁は高い、と諦めた人が銭を払って感心していた。毎度あり、次もよろしく!と銭を受け取った平賀さんが算盤を弾いた。
やってられるカ!と自前の丼を投げ出した人が脱落、十杯を超えたのは炊いたんと権兵衛だけ。ただ炊いたんは脂汗を流して苦しそうにしているのでとても美味そうには見えない。このまま逃げ切られたら鰻が美味しく見えないという大問題に直面するからみんなで権兵衛を応援していた。見目麗しい女の子が嬉しそうにばくばく食べるからみんなこっちに勝ってほしい。でも炊いたんにも意地があるようで、なんの意地なのかと聞かれると困るけど意地になっていた。権兵衛が一杯食べたら自分も一杯食うという最低限で勝てる食い方だ。でもこれだとつらいんじゃない?と思って見ていたらやっぱりつらそうだ。だって権兵衛の食う速さが変わらないからこれでは水責めならぬ飯責め、兵糧攻めなら聞いたことあるけど食わせる刑罰という聞いたことのない拷問を自分で始めていた。相撲取りはたまにやって大変な思いをするらしいと清六が言ってたけど炊いたんがそんないいものであるはずがなく、目を回して倒れた。権兵衛はまだ食い続けていて、時間までに炊いたんの食った量を抜けるかの勝負。顔の通りの綺麗な食い方でどんどん飯が消えるからどこかに口が二つあるんじゃないかとみんな驚いていた。時間を告げる太鼓が鳴ったとき、炊いたんより一杯半多く食っていた権兵衛の勝ち。勝つだけなら一杯多くなったときにやめればいいのにずっと食っているからまだ抜いていないのかと思っていた。積まれた丼、もう抜いてない?と言う人がたくさんいたけど、乱雑に積まれていたからわからないし。優勝の権兵衛は一分もらうより清六に労いの茶を入れてもらうときの方が喜んでいた。清六は人の輪を抜けて、こちらへ。忘れ物です、おまけもつけて、と参加者の一人にうなぎの白焼を入れた丼鉢を渡した。渡された人は、いらヌ、山猿ガ、と怒っている様子。でも清六は、怒る風でもなく。
「私が山猿なら、貴方は岩猿といったところか」
丼鉢の渦巻き模様、なかなか珍しいものだ。大陸の方にも、ぜひ食べてもらってくださいと丼ごと鰻の白焼きを押し付けた。丼を受け取った人は、お前は知らン、鰻に悪イとそれを持って帰った。みんなが知らないところで、私だけが見ていた二人のやりとりは、その後誰にも言わなかった。
次の日のうどん屋は大盛況、なんと若い娘がたくさん来た。美味しそうに食べる女の子は素敵だ、私も美味しく食ーべよっと!という娘は結構いたらしく、今だけの大安売りだから今食わねば!という食い気盛んな娘たちで賑わった。権兵衛は、さすがにその中にはいない。清六に何か伝えようとしているけどもちろん伝わらない。頬を押さえているから美味しかったとかその手のことを言いたいのだろうが男衆というのはこういうのはわからないもので、わかった!おたふく!などと見当はずれのことを言っている。かなめさんはあの鰻食べた?と夕方になって子供に聞かれた。食べていないと答えると、一個あげると鰻のおにぎりをもらったからくれた子の手前食べたんだけど。
「……何これ、おいしい」
清六、あれどうやって焼いたの?ウチでも作れる?と問いただすと、「もう鰻がない」と根本的に不可能な根拠を叩きつけられた。ああ、一杯くらい食べればよかった!私の料理と同じくらい、美味しかったのに!




