表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/46

第43話 ほどける距離

日が傾き始めたころ。


視界の先に、光を弾く大きな水面が見えてきた。


「⋯⋯すごい。綺麗」


思わず息を呑む。


夕陽を溶かしたみたいな水面。湖を囲むように広がる森。遠くに、浮かぶように建つ白い建物。


「あそこです」


レオンが窓の外を指さした。


「すごい。絵本の中の建物みたいですね。それに不思議と息がしやすい気がします」


レオンの声が、少しだけ柔らかくなる。


「この湖の水は、乱れている魔力を静めてくれる効果があります。そのため、心身共に楽になるのです」


「そうだったんですね」


「ええ。王都は人が多く、魔力が乱れやすい場所ですから」


レオンは口元をわずかに緩めた。


「余計なことを言いましたが、まずは景色を楽しんでください」


馬車が止まり、扉が開く。


降りた瞬間、ひやりとした空気に包まれた。


けれど頬を刺すような冷たさではない。水辺特有の、しっとりとした冷え方。


「寒くありませんか」


「ちょっとだけ。でも、平気です」


そう言ったそばから、肩にすっと重みがかかった。


レオンのコートだった。


「だ、大丈夫ですよ!レオンさんだって寒いですよね?」


「私はどうにでもなりますから、心配はいりません」


そう言って、コートの襟元をそっと整えてくれる。そして何事もなかったように歩き出す背中を見ながら、胸の奥が妙にそわそわした。


「その、ありがとうございます⋯⋯」


肩にかかった重みと、かすかに香る落ち着いた香り。


自分でもよく分からない感情をごまかすように、私はコートの前をそっと合わせる。


(⋯⋯うん。ありがたく借りておこう)


そう心の中でだけ呟きながら、別邸の中へ足を踏み入れた。そして、夕食はそこで取ることとなった。


広すぎない空間に、柔らかな灯りが落ちている。


卓上には白い花が一輪だけ。豪華さより静けさを選んだような設えが、この場所に似合っていた。


(ここ、なんだか落ち着く)


食後のデザートが運ばれた頃、扉が控えめにノックされた。


給仕が戻ってきて、透明なグラスをそっと卓上に置く。


私は中身を見て目を丸くした。


「わあ、フルール・ミルダ⋯⋯!」


ベリーの香りがする赤い飲み物。王都でも人気があるけれど、店によって味も、提供の仕方も少しずつ違う。


「ミナは本当にこれが好きなんですね」


「はい!この国で一番好きな飲み物なんです!」


グラスを取り、一口飲むと、ふわっとベリーの甘さと酸味が広がった。


「やっぱり、美味しいですね。これ、しかも私の好きなルージュだ」


「それはよかった」


ふと、少し前のことを思い出した。


「そういえば、私たちがよく行ってたカフェって、いつもルージュで出されてたじゃないですか?」


「ええ」


フルール・ミルダには、ベリーの果肉をあえて残したタイプのルージュと、完全に液体化されたセレの2種類がある。


「この前、同系列のカフェに行ったらセレで出されたんですよ。支店によって違うんですかね?」


すると、レオンは少しだけ目を伏せて言った。


「いえ、あのカフェは基本的にセレで提供されますよ。ただ、あなたにはルージュを出すよう、私があらかじめ頼んでいただけです」


「⋯⋯そうだったんですか?」


「初めて一緒に飲んだ時、あなたはルージュを気に入っていた。だから伝えていただけです」


「私の好きなもの、覚えていてくれたんですね⋯⋯」


「当然でしょう」


胸の奥が、少し熱くなる。


(いけない、忘れたらダメ⋯⋯!レオンさんは優しいけど、私の記憶を奪った人!騙されちゃいけない⋯⋯!)


私は話題を変えるよう切り出した。


「わ、私も!レオンさんの苦手なもの、わかりますよ」


「へえ。なんですか?」


レオンは口元に楽しげな気配を浮かべて、こちらを見た。


「レオンさん、香草入りのスクランブルエッグ、好きじゃないですよね!」


「なぜ、そう思ったんですか?」


「この国では、香草入りのものが普通なのに、屋敷で出る朝食には入っていないからです」


私は勝ち誇ったように顎を上げて答えた。


「ええ、そうですね」


レオンはなぜか、おかしそうに息を零した。


「なにがおかしいんですか」


「いえ、ミナは本当に可愛い方だと思っただけです」


「ど、どういう意味ですか」


「ミナは、香草入りのスクランブルエッグは好きなんですか?」


「いえ、恥ずかしながら私も苦手でして⋯⋯」


「では、お揃いですね」


(なんだこの意味深な笑みは)


「ミナに一つ面白いことを教えて差し上げます」


「なんですか⋯⋯いきなり」


「人の味覚というものは、記憶を失ってもあまり変わらないようですよ」


(⋯⋯つまり、それって――)


「待ってください。もしかして、それも私に合わせて、香草を入れないようにお願いしてたんですか?」


「どうでしょう」


「どうでしょうって、答えてください!」


レオンはそれ以上言わず、グラスに口をつけた。答えを隠したままの横顔が、妙に楽しそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ