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第41話 わがままと贈り物

昼過ぎ。


机の上に置かれた分厚い冊子は、表紙からして眩しかった。金箔の題字、艶めく紙。ページをめくれば、香油みたいな甘い匂いがふわりと立つ。


「……すごい」


ドレス、バッグ、香水、靴、そして宝石。

視界がきらきらしすぎて、逆に現実味がない。


(欲しいものをひとつ作って、わがままを言ってみたらどうなるか――そう思ったのに。そもそも私、欲しいものが特にないんだった)


一枚めくるたび、目が乾く。情報も色も強すぎる。


(それに、全部高い!一生分のバイト代を積んでも届くか怪しい)


笑ってしまうほど桁が違う。一般庶民と貴族のあいだに横たわる距離を、こんなところで突きつけられる。


それでも流し見しているうちに、ひとつだけ視線が止まった。


(……あ。これ、好きかも)


ルビー色のネックレス。雫型の石が、ただひとつ揺れている。

赤すぎない深い色。熟した果実みたいで、見ていると不思議と気持ちが落ち着いた。


(誕生石がルビーだから、惹かれるのかな)


けれど、ページの下に印字された値段で現実に引き戻される。


(……買えない、というか、使えない。落としたらどうしようって考える時点で、私には相応しくないなあ)


私は雑誌をぱたんと閉じ、机の端へ押しやった。


(よし、この作戦はなし。そもそも、レオンさんに叶えられそうで叶えられなさそうな、絶妙なラインのわがままをぶつけないと意味がない。やっぱり別の方法を考えよう)


(でも、ちょうどいいわがままって、何があるんだろう)


「日本食が食べたい」なら、たぶん何とかされる。


「ここにはもう住みたくない」と言えば、別の屋敷が用意されるだけだ。


考えがぐるぐる回って、結局、答えは出ない。


深く考えない性格を言い訳に、私はもう考えるのをやめた。

未来の自分に丸投げして、昼寝をした。








夜。


いつも通りの食堂、いつも通りの夕食。――のはずだった。


レオンさんが席についた瞬間から、空気がほんの少しだけ違う。穏やかな顔でナイフとフォークを整え、私を見た。


(……なんだろう。少し、嬉しそう?)


「今日は、何か良いことでもありましたか?」


「ええ。実はあなたに見せたいものがあるんです。食後、少しだけ時間をもらえますか?」


「わ、わかりました……?」


(何があったんだろう)








食後。お茶の香りが立ち上るころ、扉が開いた。


エラと数人の使用人が、重そうな箱をいくつも抱えて入ってくる。木箱、封蝋、布袋、小さな宝石箱。


数が、多すぎる。


(え、なに……?)


箱がテーブルの横に整然と積まれた時点で、私は固まった。


レオンさんは微笑んだまま、指先でいちばん上の箱を示す。


「どうぞ」


「……どうぞって、これ私にですか?」


エラが布をめくる。中から、きらりと光るものが覗いた。


見覚えがある。見覚えがありすぎる。


「え、これ……雑誌に載ってたものじゃないですか」


ページの中でしか見たことのない宝石たちが、次々と現実の光をまとって並んでいく。


「……なんでここに……?」


レオンさんはカップを置き、ほんの少し首を傾けた。


「欲しかったのでしょう?ただ、どれがあなたのそれなのか分からなかったので、まとめて用意しました」


「……本気で言ってますか、レオンさん……」


「はい」


(やっぱりレオンさんとは、金銭感覚をはじめとして、一生分かり合えないと思う⋯⋯)


淡々としているのに、どこか機嫌が良さそうだった。


「気持ちはとても嬉しいんですけど、さすがにこれは受け取れません」


「欲しかったものがこの中にはありませんでしたか?すべて揃えたつもりだったのですが」


レオンさんが、わざとらしいほど肩を落とした。口元から微笑みが薄れ、目尻だけが困ったように下がる。


「いや、そういう意味じゃなくて……!私、アルバイトもしてますし、これがどれだけ高いか分かるんです。だから、こんな……何でもない日に受け取れません」


「そうですか」


彼は、言葉の温度を少し落として続けた。視線が一瞬、宝石箱の列へ流れる。


「ミナが自分から何かを望むことは、滅多にない。だから、嬉しかっただけなんですが──これは処分するしかありませんね」


「ちょっと、待ってください!!」


反射で声が出た。


「処分は、さすがにもったいないです!」


「ですが、使う当てがないものを置いておくわけにもいきません。せめて、ひとつでも引き取ってくださる方がいれば、助かったのですが──」


「分かりました!じゃあ……このルビーのネックレスだけ、いただいてもいいですか?」


私は宝石箱のひとつを開け、雫型のルビー色のネックレスをそっと取り出した。


昼に、見惚れたものだ。


「受け取ってくれるのですか?」


「……はい。ただ、その代わりに他のものは処分しないでください」


心の中で小さく誓う。

二度と、エラに流行誌なんて頼まない。屋敷内の情報の回り方が速すぎる。


「ありがとうございます」


先ほどの沈んだ顔が嘘のように、レオンさんは嬉しそうに笑った。


(演技なのは分かっている。だけど、あんなふうに見つめられたら、拒めない⋯⋯)


「はい。でも普段つけてて落としたら嫌なので……旅行とか、どこか出かける時につけますね」


「旅行……」


レオンさんが、その単語を拾った。指先がカップの縁で止まり、視線だけがまっすぐこちらに戻る。


「いつですか?」


「いつって……それはまだ予定もないので、それは分からないですけど……」


「なら、作りましょう」


あまりにも自然な口調で言うものだから、こちらの呼吸のほうが遅れた。


「近いうちに、旅行に行きませんか。ミナが特別な日にしか付けないと言うなら、私が用意します」


「旅行ですか?二人で……?」


驚きで声が裏返ったのに、彼は落ち着いたまま頷くだけだ。


「ええ。嫌ですか?」


「……嫌、ではないです。びっくりしただけで」


(もしかして……これこそ、レオンさんのことを知ることができる機会じゃないのか)


わがままを言って、反応を見たい。そんな幼稚な案は失敗したが、思わぬチャンスが降ってきた。


旅なら、長い時間を一緒に過ごす。ふだん見えないことが、きっと見える。


「行くとしたらどこに……?」


「ミナが行きたいところならどこでも」


私は考えた。


「うーん、そうですね⋯⋯それなら、アステリア湖⋯⋯!あそこに前から行ってみたいって思ってたんです!」


言った途端、レオンの手が止まった。


さっきまで自然に頷いていたのに、彼の表情が固まる。


「⋯⋯レオンさん?」


呼びかけると、彼はようやく瞬きをして、視線をこちらに戻した。けれど、いつもの落ち着きが揺れている。


「いえ。すみません」


レオンは一度、息を整えるようにゆっくり吐いた。


「わかりました。ひとつ確認してもいいですか」


「確認?」


彼の声は丁寧なのに、どこか慎重だった。


「なぜアステリア湖に行きたいと思ったんですか?」


「なぜって⋯⋯友達がすごく綺麗で落ち着く場所だって言ってたからです。それだけなので、もし嫌なら別にそこじゃなくても──」


「──あなたが行きたいと言ったのは、湖そのものですか」


「湖というか、まあそのあたりの雰囲気を味わいに行きたいというか⋯⋯」


(レオンさん、どうしたんだろう?なんかいつもと違う⋯⋯)


「そこで、何かするつもりはないですよね?」


一瞬、言葉の意味が飲み込めなかった。


「⋯⋯え?」


レオンは私の反応を見て、すぐに視線を伏せた。


「失礼しました。変な聞き方をしましたね」


レオンはしばらく何も言わなかった。


カップの縁に置かれた指先が、ほんのわずかに強くなる。


やがて、彼は小さく頷いた。


「⋯⋯わかりました。では、来週行きましょう」


「いいんですか?!」


「湖畔の別邸があります。そこで過ごしましょう」


「別邸?」


「ええ。ヴァルティエル家が、静養のために使ってきた場所です」


「本当にいいんですか?」


(さっき様子が変だったけど⋯⋯)


「もちろん、ミナが行きたいところならどこへでも」


「ありがとうございます!」


先ほどのレオンは、明らかに様子が違った。だが、その理由が分からないまま、来週からレオンさんと旅行に行くことが決まった。

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