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第33話 嗅ぎ回った代償

夜明け前。


まだ空が青くなる前の時間帯に、私は屋敷を抜け出した。吐く息が白い。


(こうやってこっそり抜け出すのも、慣れたもんだ。ちょうどレオンさんがいない日でよかった。どうかバレませんように)


港へ向かう途中、ディランが待ち合わせ場所に立っていた。いつもの軽い顔じゃない。


「来たな」


「ディラン、早いね」


「ミナが遅いんだろ。ほら、セシル」


影の中からセシルが出てくる。

髪をまとめ、いつもより地味な外套を羽織っていた。目は赤いけど、泣いてはいない。


「ミナちゃん⋯⋯ごめんね。巻き込んで」


「巻き込まれてないよ。私の判断でここに来たんだから。それに、今日は情報集めだけだし、そんな危ないことにはならないよ」


「ありがとう⋯⋯」


「ほら、喋ってると目立つ。行くぞ」


ディランが小さく言う。


港は潮と濡れた木材の匂いがした。遠くで鎖の鳴る音も聞こえる。


「知り合いの帳場係、あそこだ」


倉庫の脇に、小さな詰所がある。

そこから出てきた男はディランを見るなり姿勢を正した。


「ディラン様。朝早くからお疲れ様です」


「ああ、例の帳簿、見せてくれるか」


男は一瞬だけ迷ってから周囲を見回し、私たちを中へ入れた。


帳場の机の上に置かれたのは、分厚い受領帳。

紙の端が潮気で波打っていて、指を置くとざらりとする。


「この印、セシルの家のだろ」


ディランがページをめくり、指で叩く。


セシルが息を呑んだ。


「……うん、間違いない」


「で、こっちは?」


同じ日付、同じ品目。なのに受領印が違う。字体が微妙に硬い。


(これ……誰かが真似て書いてる?)


私がページを覗き込んだ瞬間、背後で声がした。


「おいおい、お姉さんたちよ。そんな汚い帳簿に顔近づけない方がいいぜ」


振り向くと、倉庫の影から男が一人出てきた。港の荷役の格好。


(……何この人)


ディランが即座に前へ出る。


「関係ねえだろ。邪魔だ」


男は肩をすくめた。


「いやぁ、邪魔してんのはそっちだろ。帳場係、そういうの関係者以外に見せちゃいけないって言われてないのか?」


帳場係が青くなる。


「そ、それは……」


セシルが小さく言った。


「……あなた、誰ですか」


男は笑う。


「俺はただの港の人間だけど」


そして、その視線が私に止まった。一瞬だけ、値踏みするみたいに。


男はにやりと笑って言う。


「それで、お嬢さんは何者?商人の娘にしちゃ雰囲気が違うなあ」


「……ただの学生です」


「学生ねえ」


男が一歩近づいた。私は反射的に半歩引いた。その動きに、男の口角が上がる。


「警戒心はある、と」


ディランが舌打ちした。


「おい。その女から離れろ」


セシルは私の肩を軽く押し、目配せする。逃げる合図だ。


私も頷いて帳簿から目を離した。


その瞬間、男がぽつりと言った。


「……黒髪黒目か、珍しいなあ」


(な、なに?)


背筋が凍った。


ディランが私の前に立ち、男に言い放つ。


「見世物じゃねえ。あっち行けよ」


男は両手を上げて、降参の仕草をした。そして何でもないように背を向ける。


「はいはい。悪かったって。でもよ、この港で上の許可なく嗅ぎ回ると、消されるぞ」


そう言い残して、倉庫の影に溶けるように消えた。


「……なに、今の」


「知らねえ」


ディランが低く言う。


「だが厄介な匂いがするな」


私は帳簿のページを指でなぞった。


「でも、これみて。一つ見つけた。ここの印、変だよ」


ディランが頷く。


「ああ。すり替えの可能性が高い。この写しだけでも取れれば」


帳場係が小声で言った。


「写しなら……」


引き出しから薄紙を出す。


「本当は駄目ですが……」


ディランが視線で礼を言う。


セシルは小さく頷き、指先に魔力を集めた。薄紙がふわりと浮き、帳簿の文字と印が、滲むように移っていく。


「よし、とりあえずこれで今日は——」


その瞬間、外で足音が増えた。


二人や三人じゃない。荷車の軋み、男の声。


ディランが顔を上げた。


「……やばい。人が集まってきてる」


帳場係が青くなって震える。


「もしかして、さっきの男……!」


セシルが声を上げた。


「逃げよう!」


詰所を出た瞬間、倉庫の前に男たちがいた。腰には短剣。


その中心に——さっきの男がいた。


(……嘘)


男はこっちを見て肩をすくめる。


「言っただろ。上の許可なく嗅ぎ回ると消されるって」


ディランが前へ出る。


「どけ。俺は——」


「知ってるよ、子爵家の坊ちゃん。でも今日は、お前じゃないんだ」


視線が、私に刺さる。


「その女だ」


血の気が引いた。


「……私?」


「そう。黒髪黒目って珍しいんだよ。上が会いたがると思ってさ」


セシルが叫ぶ。


「ふざけないで!彼女から離れて!」


男は笑う。


「ちょっとこっちに来てもらえるかな」


ディランが歯を食いしばった。


「ミナ、セシルの後ろへ行け!この中だとセシルが一番強い——!」


「ミナちゃん、こっち!」


「わ、わかった!」


だが、遅かった。


男たちが動き、突っ込んでくる。


私は反射的に魔力を走らせた。


(簡易結界——!)


薄い膜が広がる。だが、背後には倉庫。逃げ道がない。


(ずっと結界を維持するのは無理だ……!どうやって逃げる!?)


ディランが護身用の短剣に手をかけた瞬間、別方向から棒が振り下ろされる。


「くそっ!」


「ディラン、危ない!」


ディランは防いだが、それに気を取られているうちに、私は腕を掴まれてしまった。


布越しに指が食い込んだ。


「い、痛い!離して!」


「うるさい女だな、静かにしろよ」


もがいた瞬間、腹のあたりに強い衝撃。蹴られた。


「ぐっ……!」


息が詰まり、視界が揺れる。胃がひっくり返るみたいに気持ち悪い。


(やばい、意識が……)


倒れる直前、私は見た。あの男が胸元の小さな魔導具に触れて、何かを囁くのを。


(……誰かに連絡してる……?)


次の瞬間、意識が途切れた。

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