第27話 一線を越える
廊下に出ると、さっきまで案内してくれていた若い書記官が待っていた。
「では、正門までご案内を──」
「すみません。その前に、お手洗いをお借りしてもいいですか?少し気分が悪くて」
書記官が眉をひそめる。
「大丈夫ですか?」
「はい。緊張してたせいか、ちょっと。一人で行けますので、場所だけ教えていただければ」
「でしたら、この廊下をまっすぐ進んで、左へお進みください。突き当たりにございます」
「ありがとうございます。終わったら自分で正門に向かいますので、ここで解散で大丈夫です」
一瞬迷ったようだったが、書記官は時計を確認してから頷いた。
「かしこまりました。では、失礼いたします。お気をつけて」
彼の足音が遠ざかるのを背中で聞きながら、私は指示された方向とは逆に、そっと歩き出した。
(今日は嘘ばっかりだ。それに前も、騎士団の詰め所に連れて行かれたとき、「トイレに行きたい」って言って嘘ついたっけ)
嘘の引き出しがトイレしかないなんて、我ながら情けない。
王宮の廊下には、ところどころに案内板が設置されている。
来賓用控室 →
王立文庫 →
執務棟 ←
その下に、他と比べると小さな札があった。
「地下管理区画 関係者以外立入禁止」
(ここだ)
私は周囲の気配を探る。歩いているのは、遠くの方を行き来する侍女たちくらい。今この廊下には、私ひとり。
何食わぬ顔で、その方向へと歩き出した。
角を曲がると、すぐに空気が変わった。
赤い絨毯は途切れ、床は無駄な装飾のない石張りに変わる。壁にかかっていた絵画もなくなり、代わりに「許可証提示」の札が等間隔に貼られている。
そして、その少し先に、槍を持った兵が一人、直立不動で立っていた。
兵士はこちらに気づき、すぐさま声をかけてくる。
「失礼ですが、この先は関係者以外の立ち入りを禁じております」
(第一関門だ)
私は、できるだけ自然な笑みを作った。
「すみません。道を間違えたみたいで。すぐ戻ります」
いったんは下がるふりをして、兵士の視線が一瞬だけ外れるタイミングを図った。
(⋯⋯ごめんなさい!)
魔力を指先に集める。授業で習った、ごく初歩の感覚麻痺の魔法。相手の視界と平衡感覚を、ほんの一瞬だけふらつかせる術式だ。
(怪我させない程度に、ほんの一瞬だけでいい)
私は軽く指先をはじいた。
かすかな光が、兵士の目の前で弾ける。
「っ⋯⋯!」
兵士が眉をひそめ、反射的に目を細めた、その一瞬。
私は走った。
石床を蹴る音が大きく響く。
「ま、待ちなさい!」
背後から声が飛んでくる。
(やばい。このままじゃ絶対にすぐ追い付かれる)
廊下の途中で一瞬だけ足を止め、私は床に片手をついた。指先から魔力を流し込み、簡易結界の術式を一気に描く。
(数分しか持たないけど、時間稼ぎにはなるはず)
私は結界の内側へ滑り込み、もう一度走り出した。
心臓が喉までせりあがる感覚を、ひたすら無視して前へ進む。
「私って意外と行動力あるなあ⋯⋯向こう見ずにもほどがあるけど」
私はもう、後戻りできないところまで来てしまった。




