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第24話 否定できない仮説

窓の外が、徐々に明るさを増していく。

鳥の声が聞こえ始めたころ、部屋の扉がノックされた。


「ミナ様、お目覚めでしょうか」


エラの声だ。


「はい。起きてます……おはようございます」


自分の声が思ったより掠れていることに、少し驚いた。


寝間着を着替え、鏡の前で最低限の身支度を整える。目の下には薄い影。夢のせいか、昨夜の会話のせいか――たぶん、その両方だ。


(顔に出さないようにしないと)


扉を開けると、エラがいつも通りの笑顔で一礼した。


「おはようございます、ミナ様。朝食の準備が整っております」


「ありがとうございます。今行きます」


足取りは普段どおりを装った。けれど胸の奥は、ずっとざわついていた。








食堂に入ると、すでにレオンが席に着いていた。


「おはようございます、ミナ」


「おはようございます」


向かい合って座ると、温かいスープと焼き立てのパンが運ばれてくる。変わらない日常のはずなのに、喉を通る感覚がいつもより重い。


「顔色が優れませんね。あまり眠れませんでしたか?」


「あ、いえ……ちょっとだけ、夢見が悪くて」


正直に言えたのは、そこまでだった。


昨夜のことは丸ごと飲み込んだまま、パンにかぶりつく。味はほとんどしない。


少し熱いスープを慌てて飲み込んだ拍子に、むせた。


「……っ、けほ、けほっ」


咳が止まらない。喉がちくちくと痛む。


「大丈夫ですか?」


レオンが、いつもの調子で訊く。


「だ、大丈夫です。ただ……ちょっと喉の調子も悪いみたいで……」


(昨日、薄着で出たせいかもしれない)


「風邪ですかね。最近は夜になると冷え込みますから」


そこで、彼はごく自然な口調のまま続けた。


「夜遅くに外へ出たりすると、体を冷やしてしまいますよ」


――時間が止まった。


耳鳴りがする。フォークを持っていた指から、力がすっと抜けかけた。


(今、なんて言った?)


夜遅くに、外に出たりすると。


「……そう、ですね」


かろうじて、それだけ絞り出す。


(バレてる?……いや、ただの一般論かもしれない。最近は冷えるからって、普通に言っただけ……)


視線を上げられない。


ここで顔色を変えたら、自分から白状しているようなものだ。


スープをもう一口飲み、パンをちぎる。手の震えをごまかすように。


「気をつけてくださいね。何か心配ごとがあるなら、いつでも話してください。私に話せないことでなければ、ですが」


冗談めいた口調。けれど、その目は笑っていなかった。


(やっぱり……何か気づいてる)


パンを飲み込む喉の動きひとつ、視線の向け方ひとつまで――観察されている気がして、息が詰まっていく。


「おかわりはいかがです?」


「いえ……今日はこれくらいで」


皿の上にはパンが半分ほど残っていたが、とても喉を通る気がしなかった。


レオンは無理に勧めてこない。代わりに、当然の決定みたいに言う。


「そうですか。では、今日も大学は休みましょう。まだ少し顔色が優れない」


「……そうします」







食事を終え、自室に戻る。

扉を閉める音が、やけに大きく耳に響いた。


「昨日外に出てたこと……バレたのかな」


ぽつり、と零れる。


「どうしよう……」


さっきの言い方。あれは、ただの一般論には聞こえなかった。


「いやいや、ちがう……今はそこじゃない……しっかりしないと。まずは昨日のことを整理しなきゃ……!」


ノートを開き、頭の中の言葉を一つずつ並べることにした。


まず、クサナギユリが言っていたこと。


――世界の継ぎ目。

それは、記念碑のある場所を指す。


そこへ辿り着くには、日本語で書かれた本を読む必要がある。

読めなければ、存在にすら気づけない。


そして「異世界人」とは、この世界の者ではない人間。


日本へ帰る方法が記された本は、本来、記念碑の中に保管されていた。だが一年前、持ち出された。


それも――私の手によって。


「でも……そんな記憶、ない」


あるはずがない。

帰れると知って、その本を手にしたのなら。忘れられるわけがない。


(じゃあ、誰かが私の記憶を消した……?一体誰が?)


クサナギユリは言っていた。

本は今、王宮地下封印庫にある、と。


封印庫。

私には入れない。身分が足りない。


王宮の中でも、出入りや移動を許される者は限られている。

そこへ手を伸ばせる人間。封印庫の中身を動かせる権限を持つ人間。


私の近くで、その条件に当てはまるのは――


(レオンさん……しか、いない)


以前の夕食の光景が、いやに鮮明に蘇る。

故郷に帰りたいと漏らした妃のために、国王が航路を潰した話。


「外側の世界なんて、本来存在してはいけない」淡々と言い切った、あの声。


もし一年前。

クサナギユリが残した本で、私が帰る方法を知って。実際に帰ろうとしたなら――


彼は、何をした?


もし彼が、異世界から来た私を何らかの理由で強く欲していたのだとしたら――


――止める。  


絶対に私を離さないだろう。今、私を外に出したがらない理由にも説明がつく。


そして、日本語を学びたがっていた理由。


もし、その本の内容を読み解くために、私の記憶を消して。

一から距離を詰めて、信頼させて、教えさせようとしたのだとしたら――


「いや……でも、おかしい――」


記憶を消す必要なんて、あったのか。


もし本の内容を知りたいだけなら、記憶のある私から聞き出せばいい。

わざわざ日本語を一から覚える必要はない。


それなのに――


今朝の夢が、鮮明に蘇る。


違う。

私は、彼から逃げようとしていた。


怖かったから。


帰る方法を、隠れて探していた。

最後の最後で、見つかって――


もし一年前の私が、本の内容を伝えるのを拒んだのだとしたら。


辻褄が、合ってしまう。


考えがそこへ届いた途端、頭の奥がきりきり痛んだ。


「……考えすぎかもしれない。全部、憶測だ。でも――」


一年前に本が持ち出されたという事実。

本は今、王宮の地下にある。

そしてそれに手を伸ばせるのは――レオンだけ。


ノートを抱えたまま、片手で顔を覆う。

指先が冷たい。背中だけが汗ばむ。


「……もし、本当にこれが事実なら」


いちばん近くにいて、いちばん心配してくれて、いちばん優しいふりをしている人が。

私の帰り道を、最初から潰そうとしていたことになる。


それが、何より怖かった。

怖くて――胸の奥が、静かに痛んだ。


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