第20話 初代国王の王妃
目を覚ますと、天井。
見覚えのある模様。柔らかな寝具。
鼻腔をくすぐる、ほのかなラベンダーの香り。
(⋯⋯あれ?ここ屋敷?昨日は宿にいたはずなのに、なんで⋯⋯?それに頭痛い⋯⋯)
重く痺れるような頭を押さえながら起き上がると、ちょうど扉がノックされた。
「ミナ、起きましたか?」
「⋯⋯レオンさん?」
扉が開き、彼はいつもの穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
(昨日確かに彼と会ったのは覚えてる。そこまでは覚えてるのに、その先が霞んでる。なんでだろう)
「よかった。具合はどうですか?」
昨夜の冷たさも強引さも、今は跡形もない。ただ優しい声だけが響く。
「⋯⋯大丈夫です。でも、どうやって帰ったのか、覚えてなくて」
「あの後、ミナが倒れてしまったので、私が屋敷までお連れしました」
「倒れた⋯⋯?」
(倒れたことなんて一度もないのに。あの時だって、別に体調が悪かったわけじゃ⋯⋯)
胸の奥に、正体の分からない違和感だけが残る。昨夜を思い出そうとすると、霧の幕がかかったように曖昧になる。
「無理はだめですよ。朝食を持ってきますね」
「私、自分で食堂まで——」
「いけません。ここで待っていてください」
そう言い残し、彼は部屋を出ていった。
(なんだかレオンさん、いつもと違う感じだった⋯⋯それに——)
私の体には、微かに誰かの魔力の残滓が残っていた。
(⋯⋯これ、私の魔力じゃない)
腕や脚を確かめても、外傷はない。けれど不気味なざわめきは胸に居座り続けた。
何かがおかしい。それだけは確かだった。
それからは、レオンに外出を禁じられ、自分で契約した部屋は解約したと知らされた。
今日は大学が創立記念日で休講。図書院のバイトの日でもある。
支度をしようと部屋を出た瞬間——
「ミナ、どこへ行くんです?」
(まただ、やっぱり監視されてる⋯⋯)
私が扉を開けたその瞬間に現れる。
「今日バイトがあるのを忘れてて⋯⋯今から行けばまだ間に合うので」
そう言った途端、レオンの表情がわずかに固まった。
「ミナ。まだ体調が万全ではありません。仕事なんて、とんでもない」
「大丈夫です。三日間ずっと休んでましたし、昨日だって散歩も──」
「散歩と仕事は違います。無理をして倒れたらどうするんですか?」
「どうするって、本当になんともないんです」
昨日も外出しようとすると止められた。結局、敷地内の散歩は許可されたが、ここまで制限されると違和感を感じる。
体調の問題ではなく、外に出ることそのものを止めたいようにも思えた。
「同僚にも迷惑がかかるので、やっぱり行かないと」
「いけません。私から休みの連絡は入れておきますから」
「でも——」
「ミナ」
その声は、これまでの柔らかさとはまるで違った。
低く、鋭く、有無を言わせない響きがあった。
一瞬、心臓が跳ねる。
「わ、わかりました。ならせめて自分で連絡を——」
「ミナは、ここにいればいいんですよ」
さっきまでの厳しさが嘘みたいな優しい言い方。だけどその奥に、なにか別の意図が潜んでいるような声。
もう反論できなかった。
「いい子ですね。では私は少し外に出ます。夕方には戻りますので、屋敷で待っていてくださいね」
そう言い残し、彼は屋敷を後にした。
「いい子で待てって⋯⋯何すればいいの⋯⋯」
「ご当主様は、屋敷内であれば何をしてもよいと仰っていました。書庫でも行かれますか?」
背後からメイドのエラが声をかけてきた。
「わ、びっくりした」
「申し訳ありません。ご当主様とお話し中でしたので、邪魔にならぬよう後ろでお待ちしておりました」
「い、いえ、大丈夫です。それより書庫に行ってもいいんですか?」
てっきり、安静にと言われると思っていたので、驚いた。
「もちろんでございます。案内いたします」
差し出された笑顔はいつも通りだったが、どこか監視にも似たものも感じた。
広大な書庫に足を踏み入れると、自然と息が漏れた。
「これは、家にある本棚の域を超えてる⋯⋯」
壁一面の本。魔術書、歴史書、難しそうな専門書ばかり。
「ここにあるものなら全部読んでもいいんですか?」
「そのようにことづかっています」
「わかりました。ありがとうございます」
(本当に暇すぎるけど、専門書は読む気になれない⋯⋯もっと簡単な内容の本がいいなあ)
隅からどんな本があるのか見ていくうちに、棚の端に置かれた古い童話集が目に入った。
(『アストリア建国物語』か⋯⋯つまり初代国王夫妻の話)
王妃、ユリ・クサナギの名が頭をよぎる。
(あのメモ、ずっと気になってたんだよね。なにか分かるかもしれないし、読んでみよう)
私は椅子に座って、ページを開いた。
──王は妃を深く愛し、夫妻は国民に愛され、国を導いた。
──二人の結婚記念日は今でも祝日、良い夫婦の日の起源。
どれも有名な話ばかりだった。
「特にこれといった情報もなかったなあ。流石に童話からわかることなんてなにも──」
そう呟いた瞬間、視界に違和感が滑り込んだ。
宴の場面。初代王妃が食事をしている絵。
他の人物はスプーンとフォークなのに、王妃だけが、二本の細い棒を持っている。
(⋯⋯え?これ⋯⋯お箸?)
反射的に絵を近づける。どこからどう見ても、箸。
(この国にお箸なんてない。いや、昔は主流だったとか?でも、仮に昔は使っていたとしても、他の人は使っていない。なんで王妃だけ⋯⋯?)
その時、扉がノックされた。
「ミナ様、夕食の準備が整いました」
「⋯⋯あの、エラさん、一つ聞きたいことあるのですが⋯⋯」
絵本を開いたまま振り返る。
「この王妃様が持ってる細い棒⋯⋯なんですか?」
エラは軽く覗き込み、あっさり答えた。
「これは、初代王妃様がよく使われていた食具だと伝わっています。王妃様は異国出身の方でして、食事の際は必ずそれで召し上がっていたそうですよ」
(異国⋯⋯)
「どこの国かは⋯⋯?」
「それがまったく分からないんです。何百年前の話でもありますし」
そしてエラは思い出したように続けた。
「ちなみに、その食具はハシと呼ばれていたらしいです。子どもの頃、博物館で見ました」
(ハシ⋯⋯)
頭が真っ白になる。
典型的な日本人女性の名前。お箸。異国出身。
もしかして──
『王妃は、日本人だった』
そう確信した瞬間、背筋に鳥肌が走った。
(⋯⋯あのノート。ユリ・クサナギを調べろって書いたのは誰なんだろう。調べることで何か分かるの⋯⋯?)




