第17話 婚約者の存在
翌朝、大学の正門前は妙にざわついていた。
人だかりの中に混ざると、門の前には新しいゲートのようなものが設置され、数人の警備員が立っている。
「学生の皆さん、文句を言わずに認証ゲートに魔力と学生証をかざしてください!」
「そんな急に言われても、学生証なんて家に置いてきたって!」
声を荒げる学生に、警備員は淡々と答える。
「申し訳ありませんが、規則です。学生証をお持ちでない方は入校できません」
(あれ、なんだろう?昨日まであんなゲートなかったのに。それより、学生証持ち歩いてたっけ?)
慌ててカバンを探ると、底のほうからカードが出てきた。
「ラッキー、入れっぱなしにしてたみたい」
小さくつぶやき、警備員にかざして無事に通過した。
「おはよう、セシル」
「おはよう。今日は早いね」
講義が始まる前、セシルが笑顔でやってきた。
「ねぇ、セシル。今日の入り口のゲート、あれどうしたのかな?」
「さっき先生が言ってたけど、午後の演習に来る講師のためみたいだよ」
「やっぱりそのせいなんだ。でも去年、騎士団長が来たときはこんなことなかったんでしょ?」
「うん、だから、団長より上のクラスの人が来るんじゃないかな」
(団長より上⋯⋯?)
「それって、例えば?」
「うーん⋯⋯王族とかかな?」
「お、王族?!」
ざわめきの中、先生が教室に入ってきた。
(タイミング悪い⋯⋯!まだ聞きたかったのに⋯⋯!)
「おはよう、諸君。授業を始める前に一つ、確認しておきたいことがある。第二クラスに、ヴァルティエル家のご推薦で入学した者がいると聞いたが、誰だ?」
「え!そんな方がいらっしゃるの⋯⋯?!」
「一体どなたが⋯⋯?!」
(ヴァルティエルって、レオンさんの家名だよね⋯⋯?これは私のことを言ってるの⋯⋯?)
教室中がざわめき、息をのむ。
どうするべきか迷っていたとき、後ろから澄んだ声が響いた。
「はい。私でございます」
振り返ると、ファシリアが静かに手を挙げていた。
(この前の、気の強そうな子。ってことは、レオンさんはこの子も推薦したってこと⋯⋯?)
「ファシリア君だったのか。納得だ」
教室の空気が一気に張りつめる。
「実は、今回の演習に直々にお越しくださることになったんだ。それもこれも、ファシリア君のおかげだろう。君は大変大事にされているようだな」
「光栄なことに」
(え、どういうこと⋯⋯?誰が来るっていうの?レオンさんが演習に来るってこと?でも、そんなこと一言も⋯⋯確かに団長より上の位の人っていうのは合ってるけど⋯⋯)
私は隣のセシルに小声で聞いた。
「ねぇ⋯⋯ヴァルティエル家って、あのヴァルティエル家⋯⋯?」
「うん、そうだよ。でも、推薦なんてよっぽど彼女のこと気に入ってるのかな」
セシルの隣に座っていたディランが口を開く。
「そうだな。俺もヴァルティエルの名の元に誰かを推薦したなんて聞いたことがない。もしかしたら婚約者なのかもしれないな。噂も聞いたことある」
頭が真っ白になる。
「な、今なんと⋯⋯?」
「だから、ファシリア令嬢は婚約者だろうって」
(レオンさんとファシリア令嬢が、婚約者……?)
その言葉が、頭の中で遅れて反響した。
「……ミナちゃん?」
セシルが顔を覗き込んでくる。
「だ、大丈夫。びっくりしただけ……」
「びっくりしただけにしては、顔色悪いよ。なんか泣きそうな顔してるし……」
(泣きそう?私が?)
頬に触れそうになって、慌てて視線を逸らす。笑おうとしたのに、口角がうまく上がらなかった。
「泣いてない。……平気だから」
そう言い切りたかったのに、声が少し震えた。
「あの、ほんとに大丈夫?さっきから、目……」
「大丈夫ってば。……ただ、急すぎて」
噂だ。まだ確定じゃない。そう思うのに、痛みだけが先に来る。
(……なんで?私、どうしてこんなに——)
講義が終わると、セシルが振り返った。
「ミナちゃん、このあとどうする?午後の演習まで少し空くけど」
ぼーっとしてたら、いつのまにか講義が終わってたらしい。
「一回帰ろうかな」
今は、ひとりになりたい気分だった。
「わかった。じゃあ、私たちは大学の近くのカフェで待ってるね」
「ありがとう。あのさ、セシル。演習って絶対参加しないといけないのかな?」
私は意を決して問いかけた。
正直な気持ち、今は演習に参加したくない。
レオンさんにどんな顔して会えばいいのか分からないし、なによりファシリア令嬢とレオンさんの二人が話す姿を見たくない。
「来なきゃ単位もらえないはずだけど、やっぱりどうかしたの?」
「いや、ううん、大丈夫⋯⋯」
(なら参加するしかないか。出席簿にサインしたら、すぐ帰ろう)
「無理しないでね」
「ありがとう」
王都の大通りに出たとき、少し強い風が吹き抜けた。
「婚約者がいるなら、最初に言ってほしかった。婚約者のいる人の家に居候だなんて⋯⋯とんだ性悪女だよ⋯⋯」
口に出した瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。
苛立ちと、自分への情けなさが混ざり合って、顔がムッとする。
「いや、違う。怒るのは筋違いだよね。八つ当たりもいいところだ」
自分に言い聞かせるように呟いて、深呼吸をした。冷たい空気を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。
レオンさんは優しいのだ。
「家に住めばいい」と言ってくれたのも、純粋な気遣いからだった。それを都合よく受け取って、浮かれて、勘違いしたのは私だ。
彼から「早く出ていけ」なんて言えるはずがない。
「でも、どうしてこんなに辛いんだろう」
胸がざわついて、落ち着かない。
レオンさんが笑ってくれたとき、忙しいのに気にかけてくれたとき、全てが嬉しかった。
反対に、彼が他の女性も推薦していたと知ったとき、胸の奥がチクりとした。
「もしかして」
ああ、そうか──これはきっと
「レオンさんのこと好きなんだ」
その瞬間、胸の奥がきゅっと痛んで、息が詰まる。
一緒にどこかへ行こうと言われたときの弾む気持ち。「家に住めばいい」と言ってくれたときの、胸の高鳴り。
ただ気づかないふりをしていただけで、好きだったんだ。
「でも、気付いてすぐに失恋かあ。なんて惨めなんだろう。でも、今気づけてよかったのかもしれない」
もし知らないままだったら、きっと私は、あの家にいつまでも居座っていた。私とレオンさんとでは全く身分が違うのに、それに気づかないふりをしながら。
「とにかくあの家はもう出よう」
私は、屋敷に戻る前に不動産屋へ一度立ち寄ることにした。
この国では、自分の希望条件を登録しておくと、それに合った物件が出たときに連絡をもらえる仕組みになっている。
私は数週間前にすでに登録している。連絡は来ていないもののダメ元で立ち寄ることにした。
店内に入ると、担当の女性が顔を上げた。
「こんにちは。以前こちらで登録した者なのですが」
「ミナさん!ちょうどいいところに!本当に先ほど条件にぴったりのお部屋が出たんです!」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、さっそくこちらへどうぞ」
案内された物件は、手頃な家具付きの一室だった。図書院の給料で十分賄える額だ。
(でも、第六区か⋯⋯どうりで安いわけだ。まあ今は選んでなんかいられない。婚約者がいる男性の家にいつまでもお世話になってなんかいられないし)
「この部屋、契約します」
「内見されずに決めて大丈夫ですか?」
「はい」
「わかりました。では、ここにサインをお願いします」
契約書に署名する手が少し震えた。
「ご署名、しっかりといただきました。では、手続きを進めてまいりますね」
「お願いします」
そして、引っ越しは二週間後に決まった。
その後、屋敷に戻ったが、レオンはいなかった。
(今思えば、今日は遅くなるって言ってたけど⋯⋯演習のことだったのね)
やはり、今は彼に会いたくない。
(家にいたら絶対顔を合わせるだろうし、今日は宿に泊まろう。いつもと違うところで寝たら気持ちも整理できるかもしれない)
私はすぐにバッグに着替えと最低限の荷物を詰め、エラに「演習後の懇親会があるので外泊します」と伝えて外へ出た。




