第10話 魔法
数日ぶりに図書院へ出勤すると、紙とインクの混ざった匂いに懐かしさを感じた。
同僚たちが「久しぶり」と笑顔を向けてくれる。その中で、ひときわ元気な声が響いた。
「ミナ!」
振り返ると、カリナが駆け寄ってきた。少し勝気で明るい彼女は、私にとって気楽に話せる唯一の相手だ。
「ミナ、引っ越しは終わった?」
「うん、なんとか」
(今はレオンさんの屋敷にお世話になってるけど、それは言わないでおこう。家が見つかればすぐ出ていくつもりだし)
「それならよかった。今度遊びに行かせてよ」
「う、うん。まだ散らかってるから、整理できたらいいよ」
「ありがとう」
一緒に本を整理していると、カリナが声を落として切り出した。
「そうだ、ミナ。休み明け早々申し訳ないんだけど、この書類を王立大学に届けてくれない?館長から頼まれたんだけど、いま古写本の修復を任されてて手が離せなくて」
「王立大学ってあの魔法大学の?あそこって貴族しか通えないって言われてる場所だよね。庶民の私が行っても差別されないかな」
アストリア王国には三つの魔法大学が存在し、その最高峰とされるのがアストリア王立大学だ。生徒の大半は爵位を持つ、いわゆる貴族で占められている。
「館長から入校許可証を預かってるから大丈夫。それに、見た目だけで庶民かどうか分かんないでしょ。あと、あそこは推薦状さえあれば一応誰でも受験できるようになったんだよ」
「そうなの?前に調べたときは、無理だったと思うけど」
以前、私は魔法を学ぶことで日本に帰る方法が見つかるかもしれないと思い、調べたことがあったのだ。
「そうそう。でも今年から、王立大学の卒業生とか、大学関係者から推薦をもらえたら受験できるようになったんだってさ」
「そうなの?」
「うん。まあ、とにかく、話が脱線したけど、この書類を学長に渡してくれればいいだけだから」
あまりにもあっさり言われて、私は思わず息をのんだ。
「じゃあ⋯⋯私にも、学ぶチャンスってあると思う?」
口にしてから、自分でも驚いた。
「え?ミナ、入学したいの?基礎はこの国の滞在許可証を取るときに勉強してたのは知ってるけど、飽きたとか言って勉強しなくなったよね?」
「いや、それは⋯⋯」
この国に合法的に滞在するには、歴史や文化、さらには魔法を含む基礎知識を問う試験に合格しなければならない。そのため、私も魔法について勉強した。
試験に合格した後も、なにか元の世界に帰るきっかけが掴めるかもしれないと思い、独学で勉強し続けた。だが結局のところ、実践的な魔法の使い方は大学に入らない限り学べないと知り、諦めたのだ。
「う~ん、王立大学は基本的にコネで入る人が多いから、大学には実力がない人も結構いるのね。そのせいもあって、入学してからでもイチから学べる制度が整ってるの。だから、実技に関しては問題ないと思う」
「そうなの?」
「入試は筆記がメインで、実技試験はないんだって。魔力測定はあるけど、平均以上あれば大丈夫。入学してから実技試験があって、レベルによってクラス分けされる仕組みらしい」
「一つ聞きたいんだけど、なんでそんな詳しく知ってるの?」
「この国の人間なら一度は入学したいと思う大学だからよ。これくらいなら誰でも知ってると思う」
「そ、そうなんだ」
(それくらい人気だったら、倍率もすごい高いんだろうな)
「ミナ、滞在許可証取る時に魔力測定したでしょ?どれくらいだったか覚えてる?」
「平均以上はあったと思う」
この国の魔法には、まず「魔力」という基盤がある。そしてその魔力量は生まれつき決まっている。
理論上は魔力が高いほど強い魔法を使えるはずだが、実際はそう単純ではない。魔力がいくら高くても、うまく魔法として扱えなければ意味がないのだ。
大切なのは、持っている魔力をいかに効率よく六つの属性魔法へと変換するか――そこにかかっている。
「それなら、適性検査も問題ないね。でもね、結局、私たちみたいな一般人は、そもそも推薦状をどうやってもらうかが問題なのよ」
「そっか⋯⋯たしかにそうだよね。変なこと言ってごめん。ちょっと気になっただけ。とりあえず、これだけ王立大学に届けてくる」
その夜。屋敷に戻っても、カリナの言葉が頭から離れなかった。
(推薦状があれば魔法を勉強できる⋯⋯か。いくら魔法の基礎知識はあると言っても、コネがない私にはやっぱり無理か⋯⋯)
諦めきれず、図書院で大学レベルの魔法学書も借りてはみたが、頭に入ってこない。ページをめくるほどに心が萎えていく。
(数式みたいな理論に、循環だの制御だの⋯⋯魔法ってもっと感覚で扱うものだと思ってた。入試レベルの問題を独学で学ぶにも限界がある)
光が少し見えたと思ったのに、その先には果てしなく高い壁が立ちはだかっているようだ。
(なにかいい方法があったらいいんだけど、そんなうまくいくわけもないし⋯⋯)
ため息をついたとき、扉をノックする音がした。
「ミナ、まだ起きていますか?」
「はい」
入ってきたレオンさんは、私の手元を見てすぐに気づいた。
「これは、めずらしい。魔法の勉強ですか?」
「⋯⋯はい。もし魔法を学べたらって思って読んでたんですけど、私には難しそうです」
「なぜですか?」
「恥ずかしながら、何が書いてあるのかさっぱり分かりませんでした。王立大学を受験したくて借りてきたのですが、入学には推薦状も必要らしく、やっぱり諦めようかなと思っていたところです」
辛さをごまかすように、私は笑ってみせた。
レオンさんは少し黙り込んで、それから静かに言った。
「それなら、私が推薦しましょう」
「⋯⋯え?」
「私は王立大学の卒業生です。卒業生には推薦権が与えられている。それを使えば受験資格を得られます」
「レオンさん⋯⋯王立大学の卒業生なんですか?」
「はい」
彼は驚く私を前に、まるで「それがどうかしましたか?」と言いたげに、淡々とした顔で見つめ返してきた。
(確かに総団長なんだからおかしくはない⋯⋯のか?)
「騎士は剣で戦い、魔法は魔導士の役目」というイメージが強かったが、この世界の騎士団は騎士自身が魔法をメインで使って戦うのかもしれない。
さらに、レオンさんが魔法を使うところは、回復魔法以外見たことがなく、まさか卒業生だとは想像もしていなかった。
「推薦があれば、ミナも受験できます。試験は筆記と魔力の適性検査だけ。実際に魔法が使えなくても、入学は可能です」
「でも⋯⋯今この参考書を読んだ感じだと、筆記すら通るか怪しいです⋯⋯」
「私が教えて差し上げます。普段ミナから日本語を教わっていますから、そのお礼も兼ねて」
「そんな、レオンさんもお仕事があるのに、私のために時間を割いてもらうなんて恐れ多いです!」
(総団長から勉強を教わるって⋯⋯さすがにプレッシャーが大きすぎる⋯⋯)
「では、私以外の誰かから教わるつもりですか?」
レオンさんの表情から笑顔が消えた。
「いえ、そんなつもりで言ったわけでなく。それに、まず他に教えてもらえる方なんていませんし」
「いたら私ではなくその人に頼むおつもりで?」
「いや、その、えーっと⋯⋯」
(なんか、レオンさん。めんどくさい彼女みたいになってる)
「ミナ、これだけは覚えておいてください。なにかしたいことや欲しいものがあれば、必ず私に相談してください。私以外に頼らないでください」
「えっと、それはどういう──」
「ミナの願い事は、私が叶えるのが仕事です」
レオンさんは私の手を握って目を見つめてきた。顔が少し赤くなるのが自分でも分かる。
「あ、あの、手を──」
「分かりましたか?」
「分かりましたから!手を離してください!」
「では、全力でお手伝いさせていただきます」
レオンさんは満面の笑みで私を見つめた。
その裏にどんな意味が込められているのかは、この時の私は知る由もなかった。




