表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/15

第九話

 翌朝、俺は普段より早く目覚めた。


 時刻は午前八時を少し回ったところだ。寝起きにしては妙に頭がすっきりしていた。

 昨夜の廃墟での出来事が夢のようだったが、床に敷かれた布団を見ると、そこにはエリスがいた。やはり、あれは現実だったのだと実感した。


 ちなみにエリスはまだ静かに眠っていた。


 布団から顔だけを出した彼女の寝顔は、昨夜見せた甲冑姿の凛々しさとは対照的だった。無防備で愛らしい表情に、俺は思わず見入ってしまう。

 茶色い髪が頬にかかり、長い睫毛が頬の上で小さな陰を作っている。桃色の唇がわずかに開いて、規則正しい寝息を立てていた。


 あまりにも美しくて、しばらく見つめてしまった。

 はっと我に返り、慌てて視線を逸らす。こんなふうにじっと見ているなんて、失礼すぎる。


 音を立てないよう注意深く立ち上がり、洗面所で顔を洗った。髭を剃り、歯を磨いて身だしなみを整える。


 今日はキッチンで朝食を作ることにした。

 せっかくエリスがいるのだから、それなりにきちんとした朝食を用意するべきだろうからだ。

 キッチンの棚からパンを取り出す。クロワッサンが数個残っていた。これを温めれば美味しい朝食になるだろう。


 電子レンジの扉を開けて、皿にクロワッサンを乗せる。ボタンを押すと、庫内が淡く点灯した。

 ほのかに甘い香りが部屋に広がり始める。


「ん……おはようございます、ケイイチさん……」


 その香りに誘われるように、エリスが目を覚ました。まだ眠そうな声だった。

 彼女はゆっくりと上体を起こし、大きな青い瞳をぱちぱちと瞬かせる。


「おはよう、エリス。よく眠れた?」

「はい……とても気持ちよく眠れました。」


 彼女は丁寧に布団をたたんでから立ち上がった。寝癖で髪がはねているのが、なんとも愛らしい。


「あの……いい匂いがしますね。まるでパン屋さんのような……」

「朝食の準備をしてたんだ。」


 エリスは洗面所で顔を洗ってから、俺のいるキッチンにやってきた。


「わあ……!」


 エリスは目をきらきらと輝かせながら、キッチンを見回している。


「ケイイチさん、これは……?」


 彼女が興味深そうに見つめているのは電子レンジだった。


「電子レンジっていう道具だよ。食べ物を温めるんだ。」

「食べ物を温める魔道具ですか!」


 エリスは興奮したように手をぱちんと合わせた。


「王都でも似たような魔道具を見たことがあります!でも、もっと大きくて、魔法陣が刻まれていました!」

「魔法陣?」

「はい!炎の精霊と契約して、食べ物を温める高級な魔道具でした。でも、これはとてもコンパクトですね!」


 電子レンジから『チン』という音が鳴った。


「きゃっ!」


 エリスがびくっと肩を上げて俺の腕にしがみついた。柔らかな感触と甘い香りに、俺は動揺してしまう。


「だ、大丈夫だよ。温め終了の合図なんだ。」

「そうなんですか?」


 俺は電子レンジを開けて、湯気の立つクロワッサンを取り出した。


「はい、どうぞ。」

「ありがとうございます!」


 エリスは嬉しそうにクロワッサンを受け取った。一口かじると、目をきらきらと輝かせる。


「ふわふわで……とっても美味しいです!さっきまで冷たかったのに、魔道具のおかげで温かくなってる!」


 その反応があまりにも可愛くて、俺は思わず笑みを浮かべた。


「気に入ってもらえて良かった。」


 俺は水道の蛇口をひねって、コップに水を注いだ。エリスは、透明な水が勢いよく流れ出る様子に改めて感動している。


「やっぱり不思議です……王国の水道魔道具は、結構複雑な魔法陣が必要だったのに……」


 彼女は手のひらで水を受けて、その冷たさを確かめていた。澄んだ瞳に純粋な驚きがあった。


「これも魔道具なんですよね?どんな精霊と契約しているんでしょう?」

「えっと……水の精霊、かな?」


 俺は曖昧に答えた。魔法の概念で説明する方が、彼女には理解しやすいようだ。


「やっぱり!水の精霊さん、いつもありがとうございます!」


 エリスは蛇口に向かって小さくお辞儀をした。

 その姿があまりにも愛らしくて、俺は思わず見とれてしまう。


 朝食を食べながら、俺は家電について説明する代わりに、壁のスイッチを指差した。


「そうだ、もう一つ見せたいものがあるんだ。」


 俺はリモコンを取って、テレビの電源を入れた。

 テレビの電源が入ったことで、そのディスプレイから音が鳴り、人の姿が映し出された。

 ニュースをキャスターが読み上げていた。


「きゃああああ!」


 エリスが大きな悲鳴を上げて、俺の後ろに隠れた。


「だ、大丈夫だよ!危険じゃない!」

「で、でも……あの黒い箱に人が閉じ込められています!」

「閉じ込められてるんじゃないよ。これはテレビっていう道具なんだ。」


 エリスは俺の後ろから恐る恐る顔を出して、テレビ画面を見つめた。


「テ、テレビ……?」

「遠くの場所を映し出す道具なんだ。あの人たちは別の場所にいるんだよ。」

「遠くの場所を……まさか!」


 エリスの瞳が急に輝いた。


「遠見の魔道具ですね!」

「遠見の魔道具?」

「はい!王宮にあった魔道具です!でも、王宮のものは、水晶でできていました。でも、こんなにはっきり映るなんて……」


 エリスは興味深そうにテレビに近づいていく。


「あの人たちは、今どこにいるんでしょう?」

「テレビ局っていう場所だよ。そこから電波で映像を送ってるんだ。」

「電波……なるほど、風の精霊を使った伝送の魔法ですね!」


 彼女は納得したようにうなずいた。


「それにしても、この世界の魔道具は本当にすごいです!王国のものより性能がいい!」


 朝のニュース番組では、天気予報が始まっていた。


「今日の天気は晴れでしょう……」

「あ!あの人、未来が見えるんですか?」


 エリスが驚いたように声を上げた。


「天気予報だよ。科学的に天気を予測してるんだ。」

「科学的……魔法とは違う方法なんですね。ボクにはよく分からないけど、すごいですね!」


 朝食を終えて、俺はふと彼女の服装を見た。昨夜借りたTシャツとジーンズを着ているが、一着しかない。


「そうだ、エリス。君の服を買いに行こう。」

「服を……買う?」

「そうだよ。君にあったサイズのものを着たいだろう?」


 エリスは困ったような表情を浮かべた。


「でも……ボク、この世界のお金を持っていません。エルタリア金貨は使えませんよね……」

「大丈夫、俺が出すよ。」

「そんな……これ以上ご迷惑をおかけするわけには……」


 彼女は申し訳なさそうに俯いた。その健気な様子に、俺の胸が熱くなる。


「迷惑じゃないよ。それに、一緒に暮らすなら、こういうのも共有だろう?」


 俺は軽く笑って見せた。


「一緒に……暮らす……」


 エリスの頬がほんのりと赤くなった。その反応に、俺の方も慌ててしまう。


「あ、いや……その……」

「あ、そうだ!ボクたち、騎士の誓いを交わしました。そうでした!」


 彼女は大きな声をだした。

 そして、照れくさそうに微笑んだ。


「ボク……とても嬉しいです。ケイイチさんと一緒なら、この世界でも頑張れます!」


 その笑顔があまりにも美しくて、見惚れそうになった。

 俺は慌てて話題を変えた。


「そ、それじゃあ準備しよう。駅まで歩いて、電車で街に出るから。」

「電車……?」

「大きな乗り物だよ。たくさんの人を運ぶんだ。」


 エリスの瞳に好奇心が宿った。


「きっと馬車のような魔道具ですね!楽しみです!」


 俺たちはアパートを出て、駅に向かって歩き始めた。

 朝の街は通勤の人々で賑わっている。エリスは周囲をきょろきょろと見回しながら歩いていた。


「みなさん、同じ方向に向かっているんですね。まるで行進みたいです!」

「仕事に向かってるんだよ。」

「お仕事……みなさん、とても真面目ですね。ボクも見習わなければ!」


 彼女の素直な感想に、俺は新鮮さを感じた。


 駅に到着すると、エリスの驚きは一層深くなった。

 関東郊外の主要駅らしく、大きなロータリーには複数のバス停が並び、タクシーが列をなしている。駅ビルは高くそびえ立ち、多くの店舗が入っているのが見えた。


「すごい……!」


 エリスは駅の大きさに圧倒されているようだった。


「こんなに大きな建物が……そして、人がたくさん!」


 確かに朝の通勤ラッシュで、駅前は多くの人で賑わっている。

 駅の中に入ると、まず券売機が並んでいるのが見えた。


「エリスの分の切符を買わないとね。」

「切符……ですか?」


 エリスは券売機を見て、首をかしげた。


「これは……なんでしょうか?まるで魔法の石板がたくさん並んでいるみたいです。」

「切符を買う機械だよ。お金を入れると切符といって、電車に乗るために必要な紙が出てくるんだ。」


 俺は券売機の操作方法をエリスに説明しながら、彼女の分の切符を購入した。


「すごい……お金を入れると、この小さな紙が出てくるんですね!」


 エリスは切符を興味深そうに眺めている。


「この紙が、ボクが電車に乗る許可証なんですか?」

「そんなところかな。」


 切符を購入した後、俺たちは自動改札機に向かった。エリスは改札機を見て首をかしげた。


「これは……なんでしょうか?まるで城門のようですが……」

「改札っていうんだ。ここを通って電車に乗るんだよ。」


 俺はまずICカードを改札機にタッチした。


「ピッ」


 機械音と共に扉が開く。


「わあ!」


 エリスが驚いて、思わず俺の手を握ってきた。柔らかくて温かい手の感触に、俺は動揺してしまう。


「だ、大丈夫だよ。君は切符を入れて通るんだ。」


 俺はエリスに切符の入れ方を教えた。


「ここに切符を入れて……」


 エリスが恐る恐る切符を差し込むと、改札機が切符を飲み込んで、反対側から出てきた。同時に扉が開く。


「一緒に通ろう。出てきた切符を忘れないでね。」


 俺は彼女の手を優しく握り返した。


「は、はい……」


 エリスの頬が赤くなっている。俺も同じように顔が熱くなった。

 俺はエリスと手をつないで、改札を通り抜けた。

 そのまま、ホームに向かった。


「へー。」


 周囲を見ているエリスは、その好奇心が抑えきれていない様子だった。

 そのまま、ホームで電車を待っていると、遠くから電車が近づいてくる音が聞こえてきた。


 ゴオオオオ……


「なんか音がしますね。鳴き声みたいです!」

「電車が来るよ。」


 やがて電車がホームに滑り込んできた。エリスは驚きで目を見開く。


「大きい……!本当に鉄のドラゴンみたいです!」


 電車が停止し、扉が自動で開いた。


「うわあ……また自動で開きました!」

「こっち、エリス。」


 俺は彼女の肩に軽く手を置いて、電車内に導いた。

 車内は朝の時間帯でそれなりに混雑していた。運良く座席を見つけて、二人並んで座る。

 電車が動き始めると、エリスはふと窓を見た。


「わあ!景色が流れてます!本当にドラゴンに乗ってるみたい!」


 しばらくすると、郊外の住宅地から都市部に近づいてきた。窓の外に高層ビルが次々と現れ始める。


「あ、あれは……!」


 エリスは窓に顔を近づけて、目を輝かせた。


「あんなに高い建物が……まるで天まで届く塔みたいです!」


 高層ビル群を見上げる彼女の表情は、純粋な驚きに満ちている。


「ここは普通の高さなんだ。」

「信じられません……王国で一番高い塔でも、あの半分くらいの高さでした。」


 電車が揺れると、エリスがバランスを崩しそうになった。


「わっ!」


 彼女は慌てて俺の腕にしがみついた。


「だ、大丈夫?」


 俺は彼女を支えながら尋ねる。近くで見ると、エリスの睫毛が長くて美しい。


「は、はい……すみません、また しがみついてしまって……」


 彼女の無垢な表情と近さに、俺は顔が赤くなるのを感じた。


「気にしないで。電車は慣れるまで難しいからね。」

「ありがとうございます……でも……」


 エリスは俺の腕から離れようとしたが、電車がまた揺れて、結局しがみついたままになった。


「あの……ケイイチさん……」

「なんだ?」

「ボク……手を離すタイミングが分からなくて……」


 彼女は照れくさそうに笑った。その表情があまりにも可愛くて、俺は胸がどきどきしてしまう。


「別に……このままでもいいよ。」

「本当ですか?」

「うん。君が安心できるなら。」


 エリスは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。ケイイチさんの腕、とても温かくて……安心します。まるで騎士の鎧みたいに頼もしいです。」


 その言葉に、俺の心が温かくなった。


 電車の窓から外の景色が流れていく。エリスはその景色に見とれていた。


「すごいです……景色がこんなに速く流れて……まるで風魔法で空を飛んでるみたいです!」

「慣れると普通になるよ。」

「でも……ケイイチさんと一緒だから、特別な気持ちです。初めての旅が、こんなに楽しいなんて!」


 エリスのその言葉に、俺は彼女との時間がどれほど特別なものかを改めて実感した。


 しばらくすると、エリスが小さく あくびをした。


「あ、すみません……」

「疲れた?」

「いえ、大丈夫です。でも、このドラゴンさんに揺られていると、眠くなってしまいます。」


 彼女の頭が少しずつ俺の肩の方に傾いてくる。


「少し休んでいいよ。」

「でも……」

「遠慮しないで。まだ時間はかかるから。」


 エリスは安心したように、俺の肩にもたれかかった。彼女の髪からほのかに甘い香りがして、俺の心臓が高鳴る。


「ケイイチさん……」

「なんだ?」

「昨夜は夢のようでした。怖い化け物と戦って、でもケイイチさんがいてくれたから頑張れて……」


 彼女の声は眠そうで、とても可愛らしい。


「今朝起きて、魔道具をたくさん見せてもらって……本当に不思議な世界です。」

「君にとって不思議でも、俺には普通のことなんだ。でも、君と一緒だと、何もかもが新鮮に見える。」

「ボクも……ケイイチさんと一緒だから、怖くないです。この世界は魔法がなくても、魔道具がたくさんあって、みんな親切で……」


 エリスの声が次第に小さくなっていく。


「きっと、ここはとても平和な世界なんですね……」


 やがて彼女の呼吸が穏やかになり、眠ってしまったようだった。俺は動かないよう注意しながら、彼女の寝顔を見つめた。

 やがて目的の駅に到着する。


「エリス、着いたよ。」


 俺は優しく声をかけた。


「ん……もう着いたんですか?」


 エリスはゆっくりと目を開けて、慌てて頭を上げた。


「すみません!寄りかかってしまって!」

「気にしないよ。今度はどこに行くんだっけ?」

「えっと……」


 エリスは一瞬きょとんとした顔をして、それから嬉しそうに笑った。


「服を買いに行くんでしたね!楽しみです!」


 俺たちは手を取り合って電車を降りた。

 到着した駅は、先ほどの駅よりもさらに大きく賑やかだった。エリスは駅の構内を見回して、目を丸くしている。


「こんなに大きな建物があるなんて……!これが駅……!」


 確かに駅構内は複雑で、多くの通路が交差している。案内板には無数の方向が示され、人々が忙しそうに行き交っている。


「ショッピングモールは駅と直結してるから、そんなに歩かなくても大丈夫だよ。」

「直結……つながってるんですね!」


 俺たちは案内に従って歩き始めた。


「あの……ケイイチさん。」

「なんだ?」

「今日も一日、どうぞよろしくお願いします。この世界のことを、たくさん教えてくださいね!」


 エリスは丁寧にお辞儀をした。


「こちらこそ、よろしく。」


 俺たちは手を取り合って、ショッピングモールに向かって歩き始めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ