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第八話

 アパートへ向かう途中、エリスの反応は好奇心に満ちたものだった。

 彼女の視線は絶えず周囲を見回しており、その大きな青い瞳には純粋な驚きがあった。

 

 その様子や彼女の着ている甲冑姿は明らかに不審者そのものだが、幸い幸い深夜のため人通りは少なく、大きな騒ぎになることはなかった。


「あれは……何でしょうか?」


 エリスが指差したのは、道端にあった自動販売機だった。深夜にも関わらず明るく光り、様々な飲み物の写真が表示されている。


「自動販売機だよ。お金を入れると、飲み物が出てくる。」

「お金を入れると……へー、ダンジョンにある宝箱でしょうか?…ただ、機械仕掛けのように見えます。」


 彼女の純粋な感想に、俺は思わず微笑んでしまった。たしかにダンジョンなんかにある宝箱にも思えるかもしれない。

 現代社会では当たり前の光景も、異世界から来た彼女には魔法のように見えるのだろう。


「まあ、そんなところかな。」


 俺はおおむね間違っていなかったので、そのように答えた。


「ふーん。」


 唸るように周囲を絶えずキョロキョロと見まわしながら彼女は進んでいた。


「夜なのに、こんなに明るいなんて……ボクがいたエルタリア王国では、夜は松明や蝋燭の明かりを主に使っていました。魔道具は高いんです…。」


 確かに、現代の街は深夜でも明るい。

 自動販売機の明かり、街灯、通り過ぎる車のヘッドライト。すべてがエリスには新鮮な驚きとして映っているようだった。


「あ、あの巨大な鉄の馬車は何ですか?」


 彼女が今度指差したのは、通り過ぎる車だった。


「車だよ。人や物を運ぶ道具だ。」

「こんなに速く走るなんて……まるで船が陸上に上がって動いているようです。」


 エリスの表現は詩的で、俺にとって見慣れた光景も新鮮に感じられた。


 歩きながら、俺たちは今夜の体験について語り合った。


「ケイイチさんのおかげで、ボクは本当の勇気を発揮できました。」


 エリスが振り返って言った。


「君の勇気は元からあったんだ。俺はただ、それを引き出す手伝いをしただけだよ。」

「いえ、そんなことありません。ボク一人だったら、きっと最初の怪物に立ち向かうことさえできませんでした。」


 彼女の言葉には、心からの感謝が込められていた。


「俺だって、君がいなかったら絶対に乗り越えられなかった。お互い様だよ。」


 そんな会話をしながら歩いていると、やがて俺のアパートが見えてきた。


「あそこが俺の住んでいる場所だ。」


 俺が指差したのは、駅から徒歩十分ほどの学生向けワンルームアパートだった。二階建ての木造アパート。築年数はそれなりだが、一人暮らしには十分な設備が整っている。


「とても立派な建物ですね。」


 エリスが感心したように見上げた。


「そうかな?」


 俺は正直に返した。


「そうです。ケイイチさん。雨風が凌げるだけでボクには十分なのです。」

「そんな、大げさな。」


 おそらく騎士という高い地位の彼女について、それは少し考えてしまう。

 謙虚なのか、それとも本気で言っているのか…。

 それはよく分からない。


「うん。じゃあ、俺の部屋へいこう。」


 細い通路を抜け、建物の脇を回り込むと一階の玄関前に辿り着いた。

 掠れた木枠の引き戸の脇には、小さな郵便受けとインターホンが並んでいる。薄暗い軒下で滴る雨粒が、古い板張りの廊下を細かな音で叩いていた。


「ここが入り口だよ。」

「へー。すごいすごい!」


 エリスは大げさな様子だ。

 俺は鍵を取り出す。


「カチャ……」


 鍵を回す音が静かな夜に緩やかに広がった。


「さあ、入って。」

「はい!失礼します!ケイイチさん!」


 なぜか、元気よくエリスはそう言って、背筋を伸ばし、ゆっくりと扉の前に立った。


 そのまま、俺は玄関に入り、靴を抜いた。


「え?靴を脱ぐんですか?」

「そうだよ。」


 そう言いながら、彼女の国では靴を脱がないのだろう、と推測した。


「靴は玄関においてね。」

「分かりました!ボクもそうします!」


 異国の風習などにも興味があるのか、エリスも真似をして、甲冑のブーツを脱ごうとする。

 ただ、彼女のブーツは複雑な構造のため時間がかかっていた。


 それでも、彼女は慣れた手つきでブーツを脱いでいった。

 そして、素足になった彼女は、甲冑を着ていても華奢な印象を与えた。


 六畳一間の部屋に足を踏み入れた彼女の反応は、予想以上だった。


「これは……」


 エリスは部屋を見回しながら、まるで宝物庫でも発見したかのような表情を浮かべていた。


「ごめんな、狭い部屋で。」

「いえ、とても素晴らしいお部屋です。」


 俺は電気のスイッチを押した。部屋全体が明るく照らされた。


「きゃあ!」


 エリスが小さく悲鳴を上げた。


「ランタンじゃない!」

「電気っていうんだ。このスイッチを押すと点いたり消えたりする。」


 俺はスイッチを何度か押して見せた。その度にエリスの目が輝く。


「魔法じゃないのに……信じられない!」


 彼女は慎重にスイッチに近づき、自分でも押してみた。


「魔法が使えなくても、明かりを操れるなんて……」


 驚いている彼女をよそに、俺はエアコンのリモコンを操作する。冷たい風が部屋に流れ始めた。


「えっ、なんか音がする……」


 鋭い感覚を持っている彼女はエアコンを見た。

 そして、エリスはエアコンの吹き出し口に手をかざした。


「これは?」

「エアコンっていう道具だよ。部屋の温度を調整するんだ。」

「へー。それは?」


 彼女は俺が持っていたリモコンに興味を持ったらしい。


「これはエアコンを動かす機械だよ。」


 そう言って、俺は彼女にリモコンを渡す。


「ボク、文字が読めないよ。」


 リモコンを見ながら、エリスはそう言った。


「ああ、そうだった。」

「文字が読めるようになりたいな。」


 そう言いながらも、彼女はエアコンのスイッチをあちこちと操作して、風が出たり止まったりするのを確認していた。


「こんなに便利な道具がたくさん……ケイイチさんは魔法使いなんですか?」

「いや、これは魔法じゃないんだ。電気っていう力を使った道具なんだよ。」


 しかし、エリスには電気の概念を理解するのは難しいようだった。


「うーん。じゃあ、錬金術?いや、機械の…。」


 彼女は難しい表情を浮かべて色々と考えていた。

 一方で、俺はこう寝る準備をしなければと思っていた。

 なにせ、深夜なのだ。


「でも、着替えの問題があるな……」


 俺はクローゼットを開けて、服を確認した。幸い、俺と彼女の身体は同じくらいの背格好だ。


「これなら君に合うかもしれない。」


 俺はTシャツとジーンズを取り出した。


「これは……?」

「甲冑だと目立つし、疲れるだろう?こんなものしかないけど。」


 エリスは服を受け取って、しげしげと眺めた。


「ボク…。ここまで施しを受けて、いいんでしょうか?」

「いいよ。別に。それに、その服が嫌ならいってくれ。」


 俺はほかに服がないから、どうしたものか、と思っていた。


「そんなことないです!」


 首をブンブンと振りながら、彼女は言った。


「えっ…。そう?」

「うん。ボク、この服がいいな。」


 そう言いながら、エリスは笑みを浮かべた。


「では……着替えさせていただきます。」

「俺は外で待ってるから、ゆっくりどうぞ。」


 俺は部屋を出て、廊下で待った。十分ほど経って、彼女の声が聞こえた。


「ケイイチさん!お待たせ!入ってきていいよ!」


 部屋に戻ると、そこには全く違う印象のエリスがいた。

 Tシャツとジーンズという現代的な装いに身を包んだ彼女は、甲冑姿の凛々しい騎士というより、普通の美しい女の子に見えた。茶色い髪が肩で揺れ、その愛らしさが一層際立っている。


「似合ってるよ。」

「ありがとうございます!」


 彼女は自分の腕や足を見下ろしながら言った。


「甲冑と違って、とても軽いです。」


 次に俺は風呂場を案内した。


「ここがお風呂だ。」


 風呂場の扉を開けると、エリスがまた驚いた。


「へーすごい!専用の湯舟があるんだ!」

「そんなに立派じゃないよ。普通のユニットバスだ。」


 俺は蛇口をひねって、お湯を出してみせた。


「蛇口をひねると、温かいお湯が出てくる。」

「温かいお湯が……魔法を使わなくても?」

「そうだよ。」


 エリスは蛇口に手を伸ばして、恐る恐るひねってみた。

 温かいお湯が手のひらに流れ落ちる。


「本当に温かい……」


 エリスはしばらくお湯を触って楽しんでいた。


「ケイイチさん!ボク、こんなにお湯をつかっていいの!」

「うん。いいよ。」


 俺がそのように答えると、彼女は飛び跳ねるかのように喜んでいた。


「やったー!」

「そ、それはよかった。」

「そうだよ、お湯が出てくるなんてすごい、すごい!」


 どうやら、彼女の住んでいるところは魔法以外にはあまり発展していないように思えた。

 

「あっ、そうだ。こっちへ。」


 トイレの案内もした。


「ここがトイレ。」

「これは……?」


 エリスは便器を不思議そうに見つめていた。


「用を足すところだよ。終わったら、このレバーを引く。」


 俺はレバーを引いて、水が流れるのを見せた。


「水が……自動で流れるんですか?あ!分かった!…妖精さんがいるんだ。王都にいたボクもそれ、聞いたことあるよ!」

「…えっと。まあ、そんな感じだよ。」

「そうなんだ。妖精さん、ありがとう!」


 トイレの便座に手を振って喜んでいるエリスに、もはや、俺はどう説明してのか分からない。

 まあ、現代の水回り設備は、エリスには魔法としか認識していないのだろう。

 使い方だけは説明できたので、良しとした。


 エリスは現代社会への素朴な疑問を投げかけてきた。


「ケイイチさんは、毎日こんなに便利な生活をしているんですか?」

「まあ、そうだね。でも、俺にとっては普通のことだから、特別便利だとは思わないな。」

「でも、素晴らしいです。こんな便利な道具がこんなにたくさんあって……」


 彼女の純粋な驚きを見ていると、俺も改めて現代社会の便利さを実感した。


「エリス、ベッドを使って。俺は床で寝るから。」

「いえ、そんなことできません。ボクが床で寝ます。」


 彼女は頑固に首を振った。


「野営に慣れているので、床でも平気です。」

「でも……」

「お世話になっているのはボクです。ケイイチさんのベッドを取るわけにはいきません。」


 騎士としての矜持なのか、彼女は絶対に譲らなかった。


「分かった。でも、せめて布団は使って。」


 俺は押し入れから布団を出して、床に敷いた。


「ありがとうございます。」


 エリスは布団の上に横になった。質素な生活に慣れている彼女にとって、床で寝ることは苦にならないようだった。


「おやすみ、エリス。」

「おやすみなさい、ケイイチさん。今日は本当にありがとうございました。」


 電気を消すと、部屋は静寂に包まれた。窓の外から微かに聞こえる車の音が、現実世界に戻ったことを実感させてくれた。

 俺はベッドに横になりながら、今日の出来事を振り返った。廃墟での冒険、エリスとの出会い、そして今こうして彼女が俺の部屋にいるという現実。

 すべてが夢のような出来事だったが、確実に現実だった。


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