第二話
脱出口を探すため、俺たちは再び建物内を歩き回ることにした。
エリスは俺の隣で、甲冑に身を包んだ小柄な体躯を緊張させている。
月光のような青白い光を放つ剣を腰に差した彼女は、まるで異世界から抜け出してきたお姫様のようだった。茶色がかった柔らかな髪が肩の辺りでふわりと広がり、澄んだ青い瞳には不安の色が宿っている。
俺のヘッドライトと彼女の剣の微かな輝きを頼りに、慎重に歩を進めた。
しかし、建物の内部は既に俺の記憶とは全く違うものになっていた。
さっきまで確実にあった壁が跡形もなく消失し、代わりに見覚えのない通路が現れている。
まるで建物自体が生きているかのように、絶えず形を変え続けているのだ。
「こっちに階段があったはずなのに……」
俺はヘッドライトを左右に振って辺りを照らした。
コンクリートの壁面には薄っすらと湿気がにじんでおり、空気にはカビのような湿った匂いが混じっている。
階段はおろか、元来た道すら見つからない。
「建物の構造が変わってしまったんですね……」
エリスは不安そうにそう呟いた。彼女の声は普段の丁寧な口調を保っているものの、かすかに上ずっているのが分かる。
「とりあえず歩いてみよう。きっと出口は見つかる。」
俺は努めて冷静を装った。パニックになっては、状況は悪化するばかりだ。
俺たちは手を繋いで歩き始めた。エリスの手は篭手越しでも温かく、
それが唯一の安らぎだった。彼女の小さな手に込められた体温が、この異常な状況下で俺に安心感を与えてくれる。
歩けば歩くほど、異常な現象が顕著になっていく。同じ廊下を歩いているはずなのに、辿り着く場所が毎回違った。
最初は小さなオフィス、次は倉庫のような空間、その次は何の用途か分からない巨大な部屋。どれも元々この建物にあったとは思えない構造だった。
オフィスには古びた机と椅子が無造作に置かれ、床には書類が散乱している。倉庫には錆びついた金属棚が立ち並び、巨大な部屋は天井が見えないほど高く、音が反響してこだまする。
「おかしいです……どうして同じ道なのに……」
エリスが困惑の表情を浮かべる。
彼女の頬は青白くなっており、恐怖が表情に滲み出している。
それでも毅然とした姿勢を崩さないのは、騎士としての訓練の賜物だろう。
「そうだな。」
俺もそう答えるほかにない。ただ、それでも歩き続けるほかになかった。
しばらく、同じような空間を進んでいた時、俺たちは奇妙な部屋に足を踏み入れた。
天井が異常に高く、まるで吹き抜けのような構造になっている。その壁には無数の扉が設置されており、それぞれが微妙に異なる大きさと色をしていた。
木製の茶色い扉、金属製の銀色の扉、ペンキが剥げて下地が見える扉。まるで異なる時代、異なる建物から集められたかのような統一感のなさだった。
「この部屋……」
「おい、あれを見ろ。」
俺は部屋の中心を指した。そこには、床の一部に螺旋階段が設置されていた。
古い鉄製で、ところどころに錆が浮いている。
手すりには蔦のような何かが絡みついており、全体的に不気味な印象を与える。
「階段…」
エリスがそう答えるよりも先に、俺は部屋の中央に向かった。
「あった。これで三階に行けるはずだ。」
しかし、階段に足をかける前に、壁の扉の一つがゆっくりと開いた。
きしむような音を立てながら、重い扉が内側に向かって動いていく。その向こうから現れたのは人のようなものだった。
それは確かに人間の形をしていた。
しかし、全身が赤茶色に錆びついたような色合いで、まるで古いマネキンのようだった。
表面には金属特有の鈍い光沢があり、所々に腐食したような斑点が浮いている。顔の部分には目鼻の凹凸があるが、表情は一切ない。空洞のような目が俺たちの方を向いている。
そのマネキンのような存在が、ぎこちない動きで扉から出てきた。関節の動きが不自然で、まるで錆びついた機械のような音を立てながら歩いている。
「あれは……」
エリスが震える声で呟いた瞬間、他の扉も次々と開き始めた。
二体目、三体目……数え切れないほどのマネキンが各扉から現れてくる。すべて同じような赤茶色の錆びた色合いで、ぎこちない動きで俺たちに向かってくる。
その表面は湿ったような質感があり、ヌメヌメとした光沢を放っていた。近づくにつれて、金属が腐食したような鼻を突く臭いが室内に充満する。
「囲まれる……」
俺は咄嗟にエリスを庇うように前に出た。
マネキンたちの動きは鈍重だが、その数が圧倒的だった。部屋の四方八方から、ぎこちない足取りで接近してくる。足音は金属的で、床に響く音が不協和音を奏でている。
「エリス、剣を。」
「は、はい!」
エリスが剣を抜いた。刀身が放つ光が、マネキンたちの錆びた表面を照らし出す。光に照らされたマネキンたちは、わずかに動きを鈍らせたが、完全に止まるわけではない。
最初のマネキンが俺たちの手の届く距離まで近づいてきた。その空洞のような目が、無表情に俺たちを見つめている。近くで見ると、その表面には細かな傷が無数についており、長い間放置されていたことを物語っている。
「やあああ!」
エリスが剣を振り下ろした。光る刀身がマネキンの胴体を斬り裂く。
金属を切断するような甲高い音が響き、切断されたマネキンは、まるで人形のように崩れ落ちた。
しかし、倒れても手足がまだぴくぴくと動いている。切り離された腕が床を這って、俺たちの足首を掴もうとしてくる。
「気持ち悪い……」
俺はマネキンの腕を蹴り飛ばした。赤茶色の破片が飛び散り、床に音を立てて転がった。金属片は床にぶつかるたびにカンカンと響く。
しかし、他のマネキンたちは止まらない。倒された仲間など気にする様子もなく、機械的に歩を進めてくる。
「数が多すぎます!」
エリスが二体目、三体目と次々に切り倒していく。彼女の剣技は流麗で、まるで舞踊のような美しさがあった。茶色の髪が甲冑と共に舞い、その動きは騎士としての訓練の成果を物語っている。
しかし、倒しても倒しても、新たなマネキンが扉から現れてくる。状況は悪化する一方だった。マネキンたちに完全に囲まれ、逃げ場がなくなってきている。
エリスの美しい顔には汗が浮かび、青い瞳に疲労の色が見え始めた。息も徐々に荒くなり、剣を握る手にも力が入りすぎている。
「こっちです!」
エリスが俺の手を引いて、螺旋階段の方向に走った。マネキンたちの包囲網を突破するため、剣を振り回しながら道を切り開いていく。
彼女の小さな体躯からは想像もつかないような力強さで、マネキンたちを次々と切り倒していく。光る剣の軌跡が美しい弧を描き、その度にマネキンの金属的な悲鳴が響く。
螺旋階段に足をかけた瞬間、部屋全体が回転し始めた。壁に設置された扉たちがぐるぐると動き回り、俺たちの視界を混乱させる。マネキンたちも回転に巻き込まれて、バランスを崩して倒れていく。
「うわあああ……」
エリスが小さく叫ぶ。彼女の顔は青ざめており、今にも倒れそうだった。甲冑の重みが回転によってより重く感じられるのだろう。
俺はエリスの腰に手を回して支えた。甲冑越しでも、彼女の体の温もりが伝わってくる。細い腰は甲冑に守られているが、その奥の柔らかさが感じられた。
「大丈夫、すぐに止まる。」
「はい……」
彼女は俺にもたれかかるようにして、回転が止まるのを待った。近くで見ると、エリスの睫毛は長く、頬は恐怖と疲労で薄紅色に染まっている。
数分間続いた回転がようやく止まると、俺たちは三階に到達していた。
しかし、そこで目にした光景は、今まで以上に異常なものだった。