第十五話
制御盤の部屋から出てホームに足を踏み出すと、人形たちが駅舎の周囲を完全に取り囲んでいることが分かった。
数十体はいるだろうか。白い人工的な体が電球の明かりに照らされ、不気味な群れを形成している。
そして、その群れの中に一際目立つ存在が現れていた。
巨大な人形だった。
他の人形とは明らかに規模が違う。高さは三メートルを超え、まるで巨人のような威容を誇っている。
しかし、最も異様だったのはその体型だった。
上半身は確かに人間の胴体に似ているが、下半身が完全に異なっていた。胴体から無数の細い脚が放射状に生えており、まるで巨大な蜘蛛のような形状をしている。
その脚は十本以上あり、それぞれが関節を持って複雑に動いている。長さも太さもまちまちで、まるで異なる生物の脚を無理やり組み合わせたかのようだった。
頭部は他の人形と同じく巨大な人工の顔だが、その大きさは他の個体の三倍はある。
顔の表面は平坦で、目や鼻があるべき場所には深い窪みがあるだけだった。
彼女は適切な言葉を探している。確かに、これは生物というより機械的な存在に見える。
巨大な人形は他の個体よりもはるかに素早く動いた。多数の脚を巧みに使って、まるで巨大な蜘蛛のように俺たちに向かって突進してくる。
その動きは他の人形の鈍重さとは対照的で、生物的な俊敏さを持っていた。
「ケイイチさん!逃げて!」
「ああ!」
エリスと俺はその場から逃げた。
その次の瞬間、巨大人形の脚の一本が、俺たちのいた場所を叩きつけた。コンクリートが砕け散り、破片が四方八方に飛び散る。
その威力は想像以上で、もし直撃していれば重傷は免れなかっただろう。
「すごい力です……」
エリスが立ち上がりながら呟いた。
「でも、ボクは騎士見習いです。こんな相手に負けるわけにはいきません。」
彼女は鉄パイプを両手でしっかりと握り、巨大人形に向かって行った。
エリスの動きは流麗だった。騎士としての訓練が、この異常な状況でも彼女を支えている。
鉄パイプを剣のように扱い、巨大人形の脚を狙って攻撃を仕掛ける。その技術は確かで、狙った場所に正確に命中させている。
しかし、巨大人形も手強い相手だった。エリスの攻撃を予測したかのように、攻撃される脚を素早く引っ込め、別の脚で反撃してくる。
巨大人形の反撃は凄まじかった。太い脚が鞭のようにしなって、エリスを狙い撃ちしてくる。
エリスは間一髪でそれを避けたが、攻撃の風圧だけで彼女の髪が激しく舞い上がった。
「速い…!」
エリスが驚きの声を上げる。
しかし、彼女は怯まなかった。
「必ず倒してみせます!」
エリスは体勢を低くして、巨大人形の懐に潜り込もうとした。
多数の脚に阻まれて近づくのは困難だが、騎士としての技術でそれを可能にしようとしている。
しかし、巨大人形の脚が彼女の足元を掃った。エリスはバランスを崩して地面に倒れ込む。
「エリス!」
俺は彼女を助けようとしたが、一般人の俺にできることは限られている。
それに、その時俺は他の人形たちが組織的に動いているのに気づいた。
それまでばらばらに動いていた人形たちが、まるで巨大人形の指示を受けているかのように、俺たちを包囲しようと移動している。
続いて、俺は制御盤のことを思い出した。まだ操作していない機能があるはずだ。
急いで駅舎に戻り、制御盤を確認した。レバーの他に、大きな赤いスイッチがあった。
このスイッチを押すと、何かが変わるかもしれない。
俺は迷わずそのスイッチを押した。
スイッチを押した瞬間、駅全体が激しく振動したように思えた。
まるで巨大な地震が襲ったかのような揺れが襲っていた。床や壁、天井までもが振動し、建物全体がきしむ音を立てていた。
ホームの照明も一度完全に消えた。
やみ駅は再び深い闇に包まれ、月明かりだけが頼りとなった。
しかし、その暗闇は数秒しか続かなかった。
突然、これまでとは比較にならないほど強力な光で全ての照明が再点灯した。
その光は夏の太陽のような眩しさで、俺は思わず目を閉じた。まぶたを通してもなお感じる強烈な明度が、網膜を刺激する。
「うわあああ!」
ホームからエリスの驚きの声が聞こえる。彼女も同様に、突然の強い光に目を眩まされているようだった。
俺は恐る恐る目を開けた。光が少し和らいだ時、外の様子を確認する。
人形たちに劇的な変化が起きていた。
強烈な光に包まれた人形たちは、動きを完全に停止していた。
先ほどまで俺たちに向かって迫ってきた白い人形たちが、今は彫像のように静止していた。
そしてよく見ると、それらが煙のように薄くなっていた。
最初は表面が霞んで見えるようになり、やがて全体の輪郭が曖昧になっていく。
まるで存在自体が空間に溶け込んでいくように、人形たちの姿が次第に消えていった。
そのまま、彼らは完全に消失した。
まるで最初からそこに存在していなかったかのように、跡形もなく消え去ったのだ。
巨大人形も同様だった。
強烈な光に照らされると、多数の脚をばたつかせて苦しむような動作を見せた。まるで光そのものが毒であるかのように、全身を震わせている。
そして、他の人形と同じように霧散するように消え去っていく。巨大な体が徐々に透明になり、脚が一本、また一本と消失していく。
最後に残った頭部も、風に吹き散らされる雲のように薄れて、完全に姿を消した。
数分後、ホームには俺たちだけが残されていた。
あれほど多数いた人形たちが、まるで幻だったかのように一体も残っていない。
「終わった……」
俺は安堵の息を吐いた。ついに、この異常な状況から脱出できるかもしれない。
制御盤の部屋から出ると、エリスがホームに座り込んでいるのが見えた。
鉄パイプを握りしめたまま、肩で大きく息をしている。激しい戦闘の疲労が、彼女の美しい顔に表れていた。
「エリス、大丈夫か?」
俺は彼女のもとに駆け寄った。
「はい……疲れましたが、無事です。」
彼女の顔には汗と疲労が見えるが、同時に達成感に満ちた表情をしていた。
騎士として責務を果たしたという満足感が、その青い瞳にはあった。
「ケイイチさんは怪我をしていませんか?」
自分が疲労困憊であるにも関わらず、エリスは俺の安否を気遣ってくれた。
「ああ、俺も大丈夫だ。君のおかげで助かった。」
俺は彼女の肩に手を置いた。その体は小さく華奢だが、内に秘めた強さは計り知れない。
「本当によく戦ってくれた。君は立派な騎士だよ。」
「ありがとうございます……」
エリスには安堵が感じられた。
その時、線路の向こうから電車の明かりが近づいてくるのが見えた。
制御盤の操作で呼び出した電車が、ついに到着したのだ。遠くに見えた光点は次第に大きくなり、やがて電車の形がはっきりと見えてきた。
電車は俺たちが最初に乗っていたワンマン電車と同じ外観をしていた。
古い車両の特徴的なシルエットが、月明かりと駅の照明に照らされている。しかし、今度は窓からは暖かい光が漏れていた。
電車がホームに停車すると、そのドアは自動で開いた。
「乗りましょう。」
俺はエリスを支えて立ち上がらせた。彼女は疲労で足元がふらついているが、鉄パイプだけは手放そうとしない。
「これは……」
エリスが鉄パイプを見つめながら言った。
「……もし、これからまた何かあった時のために。」
俺は彼女の気持ちを理解した。確かに、この鉄パイプは俺たちの体験を証明する大切な物証だ。
車内に入ると、懐かしい光景が広がっていた。
木製の床板、色褪せた茶色の座席、暖色系の照明。最初に乗った時と同じ古い内装だ。
そして、相変わらず無人で誰一人として乗っていない。
俺たちは貸し切り状態の座席に座った。エリスは俺の隣に座り、まだ鉄パイプを大切そうに抱えていた。
「大丈夫、もう安全だ。」
俺は彼女を安心させようと声をかけた。
電車が動き始めると、強い眠気のようなものが俺たちを襲った。
まるで意識を失うように、俺たちの意識は次第に遠のいていく。エリスも同じような状態で、瞼が重くなっているのが分かる。
俺は眠気に抗おうとしたが、その力は抗いがたいものだった。
やがて、俺たちは深い眠りに落ちていった。
◇
気がつくと、俺たちは普通の電車内にいた。
目を開けると、まぶしい日光が窓から差し込んでいる。昼間の明るい陽射しが車内を照らし、全てが現実的な色彩に満ちていた。
周囲を見回すと、ごく普通の現代の電車内で、多くの人が乗車している。
学生、サラリーマン、主婦、高齢者。様々な年代の人々が、それぞれの目的地に向かって移動している。
車内には日常的な喧騒があり、会話の声、スマートフォンの操作音、電車の走行音が混じり合っている。
「あれ……」
俺は自分のスマートフォンを確認した。画面は正常に表示され、電波も完全に復旧している。
時刻と位置情報もきちんと表示されており、俺たちが確かに最初に乗った路線の電車に乗っていることが分かった。
隣を見ると、エリスも目を覚ましている。彼女も周囲の変化に困惑しているようだった。
「ケイイチさん……ここは……」
エリスが俺を見つめて言った。その手元を見ると、鉄パイプはなくなっている。
代わりに、ショッピングモールで購入した服の袋が彼女の膝の上にあった。まるで何事もなかったかのように、元の状態に戻っている。
「夢だったんでしょうか……」
エリスが困惑した表情で呟いた。
俺は彼女の手を握った。その手は温かく、確実に現実のものだった。
「どうだろう……でも、駅での出来事を覚えているはずだ。」
エリスは頷いた。
「はい。鮮明に覚えています。あの駅で鉄パイプを見つけたこと、トンネルを通ったこと、人形みたいのと戦い……全て覚えています。」
俺たちの記憶は一致していた。それは単なる夢では説明できない現象だ。
「同じ夢を見ることはあるのでしょうか?」
エリスが首を傾げた。
「可能性は低いと思う。でも、他に説明のつかない現象だからな……」
俺は考え込んだ。物理的な証拠は消失しているが、俺たちの記憶と体験は確実に共有されていた。
「ボクが思うに、あの体験は確実に現実だったと思います。」
エリスが確信を込めて言った。
「ボクが感じた恐怖も、戦った時の疲労も、全て本物でした。あれが夢だったとは思えません。」
俺も同感だった。あまりにも鮮明で、感情的にも深い体験だった。
「そうだな。俺たちにとって、あれは間違いなく現実の出来事だった。」
電車は順調に走行を続け、やがて俺たちの最寄り駅のアナウンスが流れた。
ホームに降り立つと、いつもの昼間の街の風景が広がっていた。太陽が空に輝き、人々が忙しそうに行き交っている。
あの異常な体験が嘘のように、すべてが日常に戻っていた。
「帰ろうか、エリス。」
「はい!」
エリスは購入した服の袋を大切そうに抱えながら、俺についてきた。