第十三話
祭囃子の音が次第に大きくなり、俺たちは音の出所を探るため線路沿いに歩き始めた。
エリスは鉄パイプを手に持ちながら、俺の隣を慎重に歩いていた。彼女の青い瞳には油断なく警戒を続けていて、そこからは騎士としての使命感が感じられた。
足元の線路は錆びついており、茶色い錆が月の光を受けて鈍く光っていた。枕木の間には雑草が深く根を張り、一部は膝の高さまで伸びていた。
明らかに長期間電車が通っていない状態に見えた。
俺たちが歩くたびに砂利の音が聞こえていく。
それは遠くから聞こえてくる祭りの音と相まって、田舎らしいものを感じさせた。
月明かりを頼りに歩いていると、遠くに小さな明かりがいくつか見えてきた。
それは提灯のような暖色の光で、線路脇の草むらに点在している。
オレンジがかった温かな色合いが、この不気味な場所には不釣り合いなほど穏やかに見えた。
「あそこに明かりが見えます。」
エリスが前方を指差した。
「そうだな。誰かがいるのかもしれない。」
俺たちはその明かりに向かって歩を進めた。しかし、近づくにつれて奇妙なことが起きた。
明かりが突然消えてしまうのだ。
俺たちが百メートルほど近づいた時、最も近い明かりがふっと消えた。まるで蝋燭の火を吹き消したかのような消え方だった。
そして、また別の場所に同じような明かりが現れる。
今度は俺たちの右側、線路から外れた場所を覆っている闇から、少し離れた草原に現れた。
「おかしいですね……明かりが動いています。」
エリスが困惑した声で呟いた。
「なんだろうな。」
俺はこの奇妙な現象について、何も答えることが出来なかった。
たとえば、人であるならば、そのような動きはしないだろう。では、明かりの原因はなんだろうか?
…分からない。
俺たちは明かりを追いかけるように線路を歩き続けた。
足元の雑草が靴に絡みつき、時折つまずきそうになる。枕木や線路の上は凸凹しているため、慎重に歩かなければならない。
エリスは騎士としての訓練のおかげで俺よりもバランスを保っていた。彼女の動きには無駄がなく、鉄パイプを持ちながらも軽やかに歩いていた。
「エルタリア王国でも、こんな夜道を歩くことがありました。」
エリスが歩きながら話し始めた。
「騎士団の任務で、夜通し歩いて村を巡回したり、魔物を追跡したり……でも、あの時は松明がありました。」
「松明?」
「はい。火を灯した棒です。暗闇を照らしてくれる道具で……ああ、この世界では魔法の明かりがあるから必要ないですね。」
そんな会話をしているうちに、明かりは次々と場所を変えていった。
まるで俺たちを特定の方向に誘導するかのように、常に前方に現れる。
俺たちが立ち止まると明かりも止まり、歩き始めると明かりも移動する。まるで俺たちの動きを見ているかのようだった。
「何か意図があるように見えますね。」
エリスが鉄パイプを握り直しながら言った。
「ああ。偶然にしては規則的すぎる。」
俺も同感だった。これは自然現象ではない。何かが俺たちを導いているのだ。
線路を五百メートルほど進むと、前方にトンネルの入口が現れた。
コンクリート製の古いトンネルで、入口は大きなアーチ状になっている。月の光がトンネルの入口を照らし、その奥は深い闇に包まれていた。
「穴ですか?」
トンネルを見た、エリスが立ち止まって言った。
トンネルの入口の上部を見ると、スプレーペイントで書かれたような赤い文字が薄く残っている。文字は風化しており、完全に判読することはできないが、何となく警告のような内容に見えた。
文字は薄れて、元々何が書かれていたのかを推測するのは困難だった。
「何が書いてあるんでしょうか。」
エリスもその文字を見上げている。
「分からないが、いい意味の文字ではなさそうだな。」
俺は文字を読もうと目を凝らしたが、やはり判別できない。ただ、直感的に危険を示すものだという感覚があった。
トンネル内部は真っ暗で、入口から数メートル先は何も見えない。深い闇が口を開けて俺たちを待っているかのようだった。
俺はスマートフォンを取り出した。
俺はライト機能を起動した。バッテリーを節約しなければならないが、トンネルに入るとすればやむを得ない。
スマホの白い光がトンネルの入口を照らした。
そして、トンネルの中を照らす。光で、内部の様子が少し見えるようになった。
「その魔道具は便利ですね。」
エリスが興味深そうにのぞき込みながら、そう言った。
「まあ、みんな持っているしな。」
俺はエリスが興味津々な様子でスマートフォンを見たり、トンネルを見たりしている様子を見る。
そして、俺もトンネル内を見た。
そのトンネルは思ったより長そうで、光が届く範囲でも出口は見えない。壁面はコンクリートで造られており、所々にひびが入っているのが見える。
「これで道が確認できますね。」
エリスが安堵の息を吐いた。
「ああ。でも、バッテリーには限りがあるから、節約しながら使わないと。」
俺たちはトンネルに入ることにした。
トンネルに足を踏み入れると、空気がひんやりとして湿気を含んでいることが分かった。
外の乾いた空気とは明らかに違う、重たい空気がそこにあった。
壁面を照らしてみると、水滴が壁を伝って流れているのが見える。天井からも時折水滴が落ち、その音がトンネル内に小さくこだましていた。
スマートフォンの光は頼りになるが、照らせる範囲は限られている。
「足音がよく響きますね。」
エリスが呟いた。
確かに、俺たちの足音はトンネル内で増幅され、まるで複数の人が歩いているかのように聞こえる。
そして、祭囃子の音がトンネル内で反響し、より鮮明に聞こえるようになった。
太鼓の重い音が壁に跳ね返り、笛の甲高い音が天井を駆け抜ける。それに加えて鈴の音も聞こえ、時折人の笑い声のようなものも混じっているように聞こえた。
その笑い声は、さっき公衆電話で聞いたものと似ているような気がした。
「音がよく聞こえますね。前方から聞こえているようです。」
エリスが鉄パイプを持ち直しながら言った。
「そうだな。でも、音の反響で何かの感覚が狂いそうだ。」
確かに音は前方から聞こえてくるが、反響して、音の発生源がどこになるのか、分かりづらい。
それ以上に、何かおかしくなりそうだった。
俺たちは慎重に歩を進めた。スマートフォンの光を頼りに、足元の状況を確認しながら進む。
トンネルの床は平坦だが、所々に小石や水たまりがあり、注意が必要だった。
歩きながら、俺は壁面の様子も観察していた。古いコンクリートの表面には、長年の風化による変色や汚れが見られる。
中には人工的な汚れもあり、誰かがここを通った痕跡のようにも思えた。
トンネルは思ったより長く、歩いても歩いても出口が見えない。湿った空気と祭囃子の音に包まれながら、俺たちは前進を続けた。
エリスは俺の隣を歩きながら、周囲に気を配っている。騎士としての訓練が、この状況でも彼女を冷静にさせているようだった。
「ケイイチさん。」
エリスが突然立ち止まった。
「どうした?」
「あそこの壁に、何か書いてあります。」
彼女が指差す方向にスマートフォンの光を向けると、確かに壁に何かが書かれているのが見えた。
近づいてみると、それはスプレーペイントで書かれた文字のようだった。赤いペンキで殴り書きされており、まだ比較的新しく見える。
「手書きの文字ですね。」
エリスが興味深そうに文字を見つめている。
俺は光をその部分に集中させて、文字を読もうとした。
そこには大きな文字で、はっきりとこう書かれていた。
『電車を待て』
「電車を待て……?」
俺が呟く。
「えっ、そんなことを書いているんですか?」
「ああ、そうだ。」
俺は改めて文字を見つめた。
ペイントの状態から判断すると、この文字は最近書かれたもののようだった。
完全に乾いているが、風化や色褪せはそれほど進んでいない。せいぜい数日から数週間前に書かれたものだろう。
「これが書かれたのは最近だな。もしかしたら、何かのメッセージなのかもしれない。」
俺の推測に、エリスも頷いた。
「でも、なぜこんな場所に……それに、なぜ『電車を待て』なんでしょうか。」
エリスも困惑しているようだ。
「音が大きくなっているような気がします。」
エリスが耳を澄ませながら言った。
「ああ。近づいているのかもしれない。」
確かに最初に聞いた時よりも音量が増している。音源との距離が縮まっているのだろう。
「でも、この文字の意味が分からないと……」
俺は再び壁の文字を見つめた。
『電車を待て』
この指示に従うべきなのか、それとも無視して進むべきなのか。判断に迷う。
「ケイイチさんは、どう思われますか?」
エリスが俺に意見を求めた。
俺は考えを巡らせた。もしこの文字が俺たちに向けられたメッセージなら、何か重要な意味があるはずだ。
「正直、よく分からない。でも、ここで仮に電車が来ても乗れないだろう……」
少なくともトンネルの中で電車を待つというのは現実的ではない。
「とりあえず、少し進んでみよう。あまり長時間ここに留まるのも危険かもしれない。」
俺の提案に、エリスも同意した。
「そうですね。ボクとしては、この音の出所は確認したいです。敵としての対応を考えなければならないので。」
エリスの騎士らしい考察を述べた。
「ああ、その時は頼むな。」
「もちろん!ボクにお任せあれ!」
そういって、元気よくエリスが鉄パイプを掲げた。
俺たちは、再び歩き始めることにした。
スマートフォンの光を前方に向けながら、慎重に足を運ぶ。壁の文字が視界から消えると、またトンネルの暗闇が俺たちを包んだ。
祭囃子の音は確実に大きくなっており、出口が近いことを示しているようだった。
しかし、『電車を待て』という謎の指示が頭から離れない。
この言葉の真意は何なのか。そして、誰がなぜこんな場所にこれを書いたのか。
答えを求めて、俺たちはトンネルの奥へと進み続けた。