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第三章•幻の神獣ーー〈ムー〉㊁

(やっぱり……聞けなかった……)

ジェラの口から、暗いため息が漏れる。

いよいよ空ろになった倉庫のなかは、場違いな肘掛け椅子を残して、ひっそりと静まり返っていた。

深々とした冷え込みが、ぽつんと立ち尽くすジェラの身を、ぶるっと震わせる。

外はもう……真夜中だ……。

気がつけば、ここに残っているのは、ジェラ一人になっていた。

ジェラは急に、不安と心細さに、襲われるのだった。

どうして最後まで、残ってしまったのか……自分もアリーと一緒に、あのとき行けばよかった……。

今さら考えても、仕方がない後悔に、ジェラは再び、深いため息を吐くのだった。

長い一日だったーー身も心も、疲れ果てていた。

(とりあえず……ここを出よう……)

そして、自分はこれから、どこへ向かおうか……

重い頭で、考えてみたが、やはり出た答えはひとつだった。

(〈キューア〉の新しい建物へ、行ってみよう……)

すっかり冷え切ってしまった身体に、ジェラは両腕を強くさする。そうと決まれば、一刻も早く向かおうと、先ほどアリーが出ていった、倉庫の横側にある、開け放たれた出入口へ、長く止まっていた足を踏み出したーー

その一歩が、床へ着地したときーー


「おまえが聞きたかったのは、『ここへ来る前のこと』ーーだろ」


突如静寂をーー声が破った。

ジェラの身体が、思わず飛び上がる!

あまりに驚いて、一瞬、心臓がとまってしまったかと、思うほどだった。

耳の奥でーー激しい動悸が、じんじんと鳴っていた……。

まさか……自分以外に、まだ人がいようとは、まったく思いもしなかった……。

与えられた〈嗅覚〉を、全然生かせていない自分に、陰鬱な思いが、さらに暗くなるのだった。

ジェラの顔が、恐る恐る……背後へ振り返る……

がらんとした倉庫の隅ーー赤いレンガでできた、太い柱に、金髪すがたのビクが、寄りかかっていた。

胸の前で腕組みをし、こちらをじっと、見据えていた。

「人を化け物みたいな目で見るな」

苛立たしげな声が飛ぶと、柱から身を離す。

言葉通り、棒立ちになっているジェラのもとへ、すたすたとやってくるのだった。

「アリーに聞いても無駄だ。あいつは人を見透かしてるところがあるからな。おまえはさっき、まんまとそれを読まれて、アリーのやつにうまく逃げられたってわけだ」

黒い瞳が、強い光に見据える。

「俺も聞いてみたことはあるが、そのことについては、一切漏らさなかった。まぁ、いろいろと訳ありで、無理もねぇはなしだけどな」

ビクは言い終えると、目の前にいる、相手の反応を見ていたが、ジェラが押し黙ったまま、なにも返してこないことがわかると、軽く舌打ちをして、言葉を続けた。


「あのクソ野郎を、長く待たせた褒美に、俺が教えてやる」


ジェラの大きく開かれた目がーー顎の広い顔を見つめる……

「って言っても、おまえももう、よっぽどの馬鹿じゃなければ、大体の見当はついてるだろ」

ジェラは答える代わりに、顔を床へ俯けた。

ビクの言う通りだった……自分でも、まったく見当がつかなかったわけではなかった……

ただーー本当に、そうなのか……自分と同じーー理由からなのか……

答えを切望しーー一方で、心のどこかでは、激しく恐れる気持ちもあった……

けれども、やはりーージェラは、〈真実〉を知りたいと、そう思った……


「顔を上げろ」


倉庫にーービクの低い声が通る。

ジェラは、両の手をぎゅっと握りしめると、顔をーー前へ向けた……

黒々とした眼差しが、射貫いていた。

「聞くと決めたら、おまえも覚悟をもて」

胸の奥まで、突き刺した言葉にーージェラはこみ上げてきたものを、ごくりっ……と、飲み下す……。

そして……頷いた。

ビクは、短い間をあけると、口を開くーー

「俺は、アリー以外の、他のやつらにも聞いてみた。ーーカーク、デン、エンダ、フルロ、ガル、ハイリ、インナにな。ほとんどのやつが、すぐには話さなかったが、最終的には、話してくれた。 やっぱり全員ーー同じことだった」

ビクが言葉を切り、真夜中の倉庫にーー深いしじまが満たす……

ジェラは無意識に……全身に力を込め……身構えた……


「ここにやってきた全員がーー自ら、命を絶った。 俺もそうーーアリーもだろうーーそして、おまえもなーー」


ドグンっ……と、凄まじい音を立てて、ジェラの心臓が打った……

鋭い刃に突き刺され、えぐられるような痛みに、ジェラは思わず、胸をぎゅっと掴む。

たちまち息が苦しくなり……血の気の引いた全身から、冷たい汗が噴き出した……。

足が震え……その場に立っていられなくなり、氷のような床へ、しゃがみ込む……。

深閑とした倉庫のなかーージェラの苦しげな呼吸だけが、響いていた……

ビクは、ただじっと、なにか声をかけるでもなく、ジェラのすがたを、見据えていた。

しばらくして、少しずつ……ジェラの呼吸が落ち着いてくる……。それを待っていたように、蹲るジェラの前へ、すっと手が差し出された。

ジェラは、まだ震えの残る手で、その手を握る……ビクは無言で腕を引き、ジェラの身を軽々と、引っ張り上げ立たせるのだった。

「……すみません……」

ジェラが、掠れた声で言う。

「前のーー向こうの世界にいたときの記憶は、あるのか」

「……全部を、はっきりとは……。……でも、忘れていない記憶も、あります……」


そうーー忘れていない記憶ーーーー


瞬間ーージェラの脳裏へ、〈ある光景〉が、浮かび上がった……


ジェラが今ーーその目で見上げているのは、慌ただしく点滅した、赤い文字ーー

プラットホームの天井に吊るされた、四角い電光掲示板を、ジェラはじっと、食い入るように見つめていた……


ーー〈急行列車•通過〉ーー


遠くからーー音が聞こえてくるーー

他に人のすがたのない駅を、ジェラの身体が、まるでその音に引き寄せられるように……動き出す……

ぼんやりと見えた向こうにはーーぽっかりとあいた穴ーー底の見えない、真っ黒な穴が、大きな口をあけて待っていた……

けれども、不思議なことに……ジェラには、怖いという感情はなかった……

叫び声も上げなければ、必死に、抵抗することもなくーー足が、自然と前へ……進んでいく……

ジェラは、とても穏やかだった……

真っすぐに進んでいた、ジェラの身体が、突然ぐらっと揺れるーー

その瞬間ーーあらゆる方向から、深く濃い闇が迫ってきた……

ジェラは目を閉じーーゆっくり……ゆっくりと……落ちていった…………


「ーーおいっ!」

ジェラの意識が、ぱっと覚める。

こめかみを、いくつも汗が流れ落ちていた。

視線をあげると、目の前にーーきつく睨んだ、ビクのすがたが映るのだった。

「やっぱり、最後の記憶はあるんだな」

相変わらず相手を、気遣う素振りも見せず、静かに光る目で、ジェラを見据えていた。

ジェラは、白く乾いた唇を、ぎゅっと噛み締める……。

「名前は、覚えてるのか。ーーおまえの、本当の名前だ」

ジェラは、首を振った……。

「……そうか。でもな、俺も同じだ。自分の本当の名前は覚えてねぇし、わからねぇ」

淡々と、ビクは言うのだった。

「それに、名前だけじゃねぇ。いくら記憶が残ってたって、自分のそもそもの顔が、どうしても思い出せねぇんだ。こんな顔で、こんなすがたをしてたのかーーそれすらも、さっぱりだ」

重い間があくーー

「おまえもそうか?」

ジェラは、真っすぐに相手を見つめ、小さく頷いた……。

「やっぱりな……まぁ安心しろ、全員同じだ。おまえが好きなアリーもな」

ジェラの内にーー優しい笑みを浮かべた、アリーのすがたが浮かび上がり、胸がぎゅっと、苦しくなる……。


「おれたちは、生まれ変わったんだ」


ビクの真剣な声が、倉庫に響いた。

「つまり、今のおれたちは、もとのおれたちのすがたとは違う。中身は一緒でも、外見はまるっきりの別人ってことだ。それなら、誰一人自分の顔を覚えてねぇのも、納得がいく。向こうの世界で、おれたちの身体は確かに死んだ。一度消え失せた。今のこの顔身体は、完全に新しいものーーリアルな着ぐるみだ」


「……着ぐるみ……」


ジェラはつぶやき……無意識のうち、自分の腕を強く掴んでいた……。

「皮肉なもんだよな。あの〈ループ〉ってもんを使えば、間違いなく自分の骨が埋まってる世界へ、また何度でも行ける。やろうと思えば、自分の墓参りだってできるんだ。……まぁ、ちゃんと墓があれば、の話だけどな」

ビクが自嘲的に言う。

その声が消えると、沈黙が流れたーー


「おまえが、さっき話してたアリーがな、一度ぶっ倒れたことがあった」


ビクが唐突に、口火を切った。

ジェラの視線に、ビクはなぜだか、急に苛立ちをみせるのだった。

「俺はたまたま、その場に居合わせたんだ」

目の前の相手へ、まるで釘を刺すように、不機嫌な面持ちのビクが言う。

「アリーもおまえに話してたが、おれたちは今まで、あの死んだ町にある、でっけぇ空き家を使ってた。カビくせぇし、蜘蛛の巣だらけ、もちろん虫もいる。 アリーはな、空き家に現れた〈ネズミ〉を見て、ぶっ倒れたんだ」

「〈ネズミ〉……」

「たかだが〈ネズミ〉だろ。ーー俺もはじめは、そう思った。だけどな、今思うと、あのときのアリーの怯えようは、尋常じゃなかった。空き家のきたねぇ床に飛び出してきた、一匹の〈ネズミ〉を見て、あいつはすぐに、ガタガタと震え出したんだ。ただでさえ真っ白な顔が、死人みたくなって、そのままバタンっーーというわけだ」

ジェラは頭のなかでーーその動物のすがたを、思い浮かべるのだった……

たしかに、みなに好かれる気持ちの良い生き物とは言えないが、だからといって、毒針で刺したりするわけでもなく、ビクの言う通り、そこまで恐れる存在でもない……ということは……

(アリーさんの〈過去〉に、なにか関係があるんだ……)

ーー〈暗い雲が覆いーー悲しみの雨が、今も降り続く記憶……〉ーー

すると突然、ビクの大きな舌打ちが、ジェラの耳に響いた。

ビクは、なにか言おうと口を開きかけたが、すぐにまた、口を閉じた。そして再び、苛立たしく舌打ちをする。

それでも、ジェラがじっと待っているとーー

「……俺のせいでもある」

ビクがぼそっと、つぶやくのだった。

金色の頭を、ガシャガシャと乱暴にかく。

「だけどな、仕方ないだろ。……俺だって、あんなことになるとは、思わなかったんだ」

ジェラの鼓動がーーはやくなる……。

「なにを……したんですか……」

ビクは、しばらく黙っていたが、やがて荒く息を吸い込むと、一気に言い放った。

「俺はすぐに追い払わないで、アリーのやつをからかった」

ジェラの表情が、強張る……。

目の前にいる相手の、あからさまな様子を見て、ビクはすぐに、強い口調で声を継いだーー

「さっきも言ったが、最初はアリーのやつが、虫を怖がるみたいに、ただ単に〈ネズミ〉を怖がってるんだと思ったんだ」

気まずい沈黙が流れるーー

「……アリーさんは、そのあと……大丈夫だったんですか……」

ビクが、頷いた。

「……ああ。すぐに他のやつらを呼びに行って、たまたま近くにいた、ガルとハイリと一緒に、ベッドに運んだ。しばらくは目を覚まさなくて、熱も出てよ、うなされるわで、さすがに俺も焦ったが、次の日の朝に、意識がもどった」

ビクは言い終えると、大きく息を吐き出す。

「俺が謝りに行ったとき、あいつは、なんて言ったと思う?」

突然の言葉に、ジェラは戸惑いを浮かべながらも、小さく首を振った。

ビクがふんと、鼻を鳴らす。

「アリーはな、別に怒りもせず、あの天性の微笑みっぷりで許してくれたよ。だけどその代わり、一つだけ約束しろって。今回のことは、今後一切聞かず、忘れることーーだとよ」

途端、ジェラの顔に浮かんだ色を見て、ビクはいかにも意地悪く、唇の端を歪めてみせるのだった。

「おまえもこれで、共犯ってわけだ」

「そんな……」

「このことを話したのは、おまえがはじめてだ。それに今後、他のやつらに言うつもりもねぇ。だから安心しろ」

ミゲが座っていた、豪華な肘掛け椅子のほうへ、ビクは歩いていくのだった。

「そのあとは……〈ネズミ〉は、大丈夫だったんですか……」

主のいない椅子へ、ビクがドスンっと腰を下ろす。

「まぁ、なんとか。さすがに、完璧な駆除までは無理だったが、アリーへの詫びもかねて、俺がお手製のネズミ捕り機をつくったりもした。これが自作にしてはなかなかで、何匹かは捕まえたな。まぁそれでも、あいつらの数はそんなもんじゃねぇから、あとはハイリに、理由を伏せて協力してもらった。男と女は基本、別々の階で過ごして寝てたから、もしやつらを見つけたら、アリーに見つからないように、こっそり俺を呼べってな」

「……そう……だったんですね……」

ジェラはアリーが、新しく用意された、〈キューア〉の建物について、ほっとした表情で、話していたことを思い出す。ーーずんっと重くなった胸のなかに、言いしれぬ哀しみが、ひたひたと広がった……。

ジェラがそれきり、暗い表情で黙していると、ビクがおもむろに、口を開いた。


「おれたちには、目に見えない〈かさぶた〉がある。ーーその〈かさぶた〉が塞いでるものは、人それぞれだ」


強くーーはっきりとした、声だった。

ビクは、豪奢な肘掛けに手を置くと、立ち上がる。

黒く光る眼差しをーー少し離れた先にいる、ジェラへ向けた。

二人を結ぶ視線のなかにーー微かな変化が、うまれるのだった……


「俺はな……」


倉庫へ響いた声が消える……

と同時に、ビクとジェラの顔が、開け放たれていた扉のほうへ、向くのだったーー

固い床をうつ、冷ややかな長靴の音がーー二人のもとへ、近づいてくるーー


「新入りに、さっそく居残り指導とは、リーダーとして感心だな」


それはーー誰よりも早く、この場からすがたを消したはずの、ミゲだった。

「そっちこそ、まだいたんだな。あんたみたいなお偉いさんでも、盗み聞きの悪趣味があったとは」

慄然と立ち尽くすジェラの横へ、ビクがくると声を放った。ーー相手への、あからさまな挑発を滲ませ、睨みつける。

ミゲは構わず足を進めると、二人の前でゆっくりと止まる。

「ナンバー10、おまえに、特別な任務を与える」

ジェラの蒼白な顔が、さらに白くなるのだった。

「特別な任務? なんだよそれ」

声が出ないジェラに代わって、横にいたビクが、すかさず噛みついた。

鋭利な眼光がーー少女から、青年の顔を捕らえる。

「ちょうどいい。ーーナンバー2、おまえにも、この重要な任務を共に受けもってもらおう」

ビクはふんっと、大きく鼻を鳴らした。

「ずいぶん強引なことだな。内容も知らされずに、二つ返事で引き受けろってか」

ビクの声には、ありありと、怒りが滲んでいた。

ミゲの動かぬ眼が、すうっと色を変えるーージェラの背筋に、ざわざわっと、寒気が走った……。

抗えぬ目ーーというものがあるのならば、まさに、それだった……。

「ついて来い」

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