終章•すべての果てに……㊀
ジェラとダダ王を乗せた〈ムー〉は、〈ガルレの岩棚〉から、《巨大な光のドーム》目指して、圧巻な月明かりに、さながら〈月の民〉の髪色のような、なんとも幻想的な青藍の夜空を、ひた進んでいた。
迫り来る烈火の終極とは裏腹に、清静と美しい夜空の頂点に輝く、〈乱満月〉の下ーー揺らめく《結界》のすがたは、まだすべてが完成しておらず、残すはあと三分の一ほどーー上の弧を描いた、ドームの屋根にあたる部分だけだった。
冷たい汗をかき、風をきり受けるジェラの身体は、がたがたと震えていた。
それでも、伝わる〈神獣〉のぬくもりと、後ろから少女を支えるように、頼もしい体躯をぴたりとつけた王のおかけで、なんとか気持ちと姿勢とを、保っていた……。
……誰かが……消えてしまった…………
〈ガルレの岩棚〉を飛び立ってすぐーージェラの身に、異様な感覚が襲い走った……。
突然ーードっ……クっ……とーーそれは一瞬、目に見えぬ透明な矢で、身を貫かれたように、鈍く重い衝撃が走ったのだった。
時が止まり……束の間、息ができなかった。
少女の異変に、すぐに気づいた王が、直後ぐらりと傾いた身を、後ろから手を伸ばして支えてくれたため、ジェラは〈ムー〉の背から落ちることなく、危ないところを免れた。
そして、ジェラは、突如襲ったその感覚が、なにを意味するのかーー本能的に、不思議とわかっていた。
早鐘を打った内にーー〈キューア〉のメンバーたち、ひとりひとりの顔が浮かび……走馬灯のごとく、消えていく……。
涙がぶわっと溢れて、身体の震えがとまらなかった……。
ジェラたちを乗せた〈ムー〉が、〈街〉の上空へさしかかると、二人は思わず声を失った……。
それは……想像をはるかに越えて、悲惨な光景だった……。
覚悟はしていたものの……頭で考えるのと、実際を、目の当たりにするのとでは……天と地ほどの差があった……。
巨大な帝都全体がーー阿鼻叫喚と……大混乱に陥っていたーーー
夜空を裂いて響き渡る、人々の叫び声ーー激しい揺れが襲うなか、倒壊する建物から必死に逃げ惑う、多くの人々のすがたーーー
さらに悪夢は続きーーあちらこちらで、赤々とした火の手が上がり、月夜の天をも焦がそうと、盛大に火の粉を巻き上げながら、その勢いを増していた。
目に映る光景がーーかつて、〈ナリアの山〉から眺め見た、あの豪華絢爛な〈ズコー〉のすがたとは、とても信じられなかった………
「兄上……」
ダダ王が、血の気のない声をもらす……。
見ればーー前方に迫る、〈銀細工の城〉からも、数箇所赤い火の手が、上がっていた。
ジェラは〈ムー〉の背から、落ちないギリギリまで身を乗りだし……慌てて腕を伸ばした王に構わず、右に左に……前に後ろへと……この〈地獄絵図〉のような景色のなかに、知っているすがたはないか……もうもうと上がる煙と突き上げる感情に、滲む視界を何度もこすって、懸命に探しつづけた………
とても……怖かった………
もういつ……〈ナリアの山〉が噴火をしても、おかしくはない………
ここにいるすべての人をーー助けたくとも、助けることはできないだろうーーならばせめて……最後に、仲間たちの顔を見たい……みながすでに、《山の結界》へ避難してくれていることを、ジェラは信じ……祈っていた………
〈ムー〉は、大混乱にのみ込まれた〈街〉の上空を、巧みに煙と火の粉をよけながら、滑るように飛び進みーーやがて目の前に、《巨大な光のドーム》が迫ってきたーーー
「人がいるっ!……大勢いるぞっ!」
ダダ王が叫び、歓喜の声を上げる!
そのとき、ジェラの瞳にーーあるすがたが映り、胸へ込み上げた熱いかたまりに、視界が滲みぼやける。
「ワッズさん……」
遠くからではわからなかったが、ひとつの山をすっぽりと覆った、《巨大な結界》の上に、見覚えのある〈カラス〉のすがたが、大きく旋回しながら飛んでいた。
〈カラス〉はたびたび、力の抜けたように落下しては、また再び羽ばたいて、懸命にもとの高さへともどっていくーー。
そのすがたは、全身全霊を注ぎーーもてる力が、限界に近づいていることを、あらわしていた……。
(マーロさんが……いない……)
ジェラの心臓が、冷たく打つ……。そこに、もう一羽見えるはずの、立派な〈鷲〉のすがたーーマーロのすがたがないことにーー氷のような不安がもたげる……。
残された時間がないなかーー疲労困憊であるワッズ一人で、この《巨大な結界》を完成させるのは、どう考えても、不可能だった……。
ジェラを襲った冷たい恐怖は、〈神獣〉が揺らめく《光のドーム》へ飛び込んだことで、一瞬に吹き飛ぶ!ーー
それは……なんとも不思議な体験だった………
サァーっと………あたたかくやわらかな、絹の滝をくぐり抜けたように……なめらかな風が、全身を心地よく包む………刹那ーー人々のあげるどよめきが、時の間の夢心地を打ち破り、現実の鼓膜に、どっと流れ込んできた!
ジェラとダダ王を乗せた〈ムー〉は、山の中腹ーー開けた斜面に、ふわりと着地した。
「ジェラ!」
声のしたほうへ顔を向けると、突如天から舞い降りた気高き〈神獣〉に、恐れをなし遠く離れた人々の間から、アリーのすがたが、駆け寄ってくるのだった。
「アリーさん!」
ジェラもすぐに、〈ムー〉の背をおりて、アリーのもとへ駆け寄るーーー
二人はーーひしとかき抱いた!
「無事で……本当によかった……」
アリーが、涙に震えた声に言う。
「アリーさんも……」
ジェラの頬にも、溢れる涙が流れた。
とーージェラがあることに気づき、ぱっと身を離す……
「揺れがない!」
アリーが、頷いた。
「そうなの。 この《結界》のなかは、外の激しい揺れからも、守られているの」
ジェラの瞳が、驚きに見開かれたのも束の間ーー顔色がさっと青ざめる……。
涙に濡れ光るアリーの顔を、怯えた目に真っすぐ見つめた……。
「アリーさん……誰かが……」
ジェラの震えた声にーー静かに頷かれた、はしばみ色の瞳から、悲しみを孕んだしずくが流れ落ちる。
「……ハイリだ」
声のしたほうを見れば、顔にいくつもの擦り傷を負った、フルロのすがたが、映るのだった。
「ちょうど俺が、向こうに見えたハイリに、呼びかけたときだった……」
掠れた声が、沈み消えていく……。
ジェラの頬を伝ったしずくが、ぽたり……と、地面の草へ落ちる……。
暗い顔に、唇を噛み締めたフルロは、ジェラの前へやってくると、おもむろに腰のポケットへ手を入れ、中から、きれいに折り畳まれた白い布を、取り出した。
褐色の瞳が、はっと見開く……
「これ……」
「ハイリのやつが、最後に……ジェラに渡してくれって……」
ジェラは震える手で、差し出された白い布を、受け取った。ーーそれは以前、ハイリに渡した、ビクからもらった布だった。
ジェラは手のなかにある布を、胸にぎゅっと、押し当てる………
橙色の髪をした、ハイリのすがたがーーそれは悲しい顔ではなく、燦々と晴れやかに、笑ったすがたがーー心の内に浮かんだ………
「ハイリは最後、笑顔だったって……きっと、やりきったんだね……」
鼻をすすったアリーが、微笑みを浮かべる。
ジェラは布を胸に抱きしめたまま、頷いた……。
「一人で泣いていた子どもを、はぐれたお母さんのところへ、連れていったところだったんだって。……そのお母さんはね、涙を流して、ハイリに何度も何度も、お礼を言ったって……」
涙をこらえたアリーの声に、インナがすすり泣く……。静かに頬を濡らしたエンダが、手を伸ばして、寄り添うのだった。
「ハイリとデンのおかげで、身分の低い下民たちも、取り残されることなく、大勢避難することができた」
ガルが言い、離れた木々のところから、怖々とこちらを見ている、粗末な身なりに、短く髪を刈ったすがたの、下民たちへ目を向ける。
ジェラの顔が上がり、同じ先を見つめた………
再び、手のなかにある白い布へ目を落とすと……布を腰のポケットへ、大切にしまうのだった。
ジェラは一つ息を吸い……掌で頬を拭う。そして、改めて、周りを見回した………
〈キューア〉のメンバーたちにーーオリとソルビのすがたもーーみな顔に、擦り傷や煤の黒い汚れをつけ、纏っている衣が、ところどころ焦げ破れている者もいたーー。
《壮絶な道》をーーそれぞれが……ここまで必死に、突き進んできたことが、ありありとわかるのだった……。
ひとりひとりの顔を、眺めていった褐色の瞳がーー凍りついたように固まる。
当たり前のように、そばにいるであろうと……誰よりも先に、駆けつけてきてくれるだろうと……その鼻にかけたような声を、いつの間にか聞きたいと願い……意地悪く笑った顔に……黒々と真っすぐな瞳が……そこにはなかった……。
心臓がーー痛いまでに激しく打つ……。
ジェラの蒼白な顔が、アリーを見るーー
「ビクとカークは……」
視線の先に映る、アリーの表情がーー青ざめた不安を、より一層恐ろしいものにした……。
「二人は……まだきていないの……」
アリーが、努めて平静な声に言う。ーーしかし、ジェラの身から血の気が引いていくことを、とめることはできなかった。
周囲の音が遠のき……めまいが襲う……ここまで張り詰めていた糸が、ぷつりと切れるように、ジェラの身が地面の草の上へくずおれた………
……そんな……そんな…………
ーー『絶対無事にもどってこい』ーーー
水中にいるような耳の奥にーー低い声が、鮮明にこだます………
このままーー顔を見ることなく……なにも言葉を交わさず……ハイリのときのように、本当の別れを……迎えることになってしまうのか………
ジェラの顔が、ゆっくりと上がる………
そばに膝をつき、心配そうに背へ手を添えていた、アリーがあっと思うまもなくーー次の瞬間には、ジェラの身が草の上を離れ、勢いよく駆け出していた!
「ジェラ!……」
アリーの叫び声が響く………
と……ジェラの身体が、しなるように止まった………
少女がぱっと振り返ると、ダダ王がーー腕をしかと掴んでいた。
真っすぐに貫くーー怒りとも悲しみともとれぬ、言葉に言い表せぬ強い瞳を見た瞬間ーーようやくジェラは、我に返るのだった……。
そのときーーー
「とりさんっ!……おおきいとりさんっ!……」
外の音が、潮騒の如くくぐもり聞こえる、それは奇妙な静けさにーーソルビの声が響く!
みなが一斉に天を仰ぐと、まだ上蓋を開けたままの、《結界》の上空にーー〈カラス〉よりも大きな鳥影が、映るのだった。
「マーロ!……」
オリが叫ぶ!
〈鷲〉はその嘴に、〈光るもの〉をくわえて、周りをくるくると輪を描いて回る、幻想的な《光の玉》と共に、人々の頭上ーー縁取られた夜空を、旋回しながら飛ぶのだった。
カァーー!
〈カラス〉が渾身の力を込めて、一声高く鳴く!
二羽のすがたが力強く羽ばたき、それはみるみるうちにーー見上げる多くの者たちが、息をのみ見守る先ーー山の上に開いていた口が、塞がっていくのだった。
マーロが現れたことで起きた変化は、山を覆い包む光のベールにも及んだ。
今までは透明に近かったものが、目に見えてその厚みを増しーーまるですりガラスのように、外に見えていたおぞましい景色が、ぼやけていくのだった。
人々のあげる歓声が、割れんばかりに沸き起こる!
ーーと、今度はデンが叫んだ!
「見ろっ!あれっ!……」
デンの指差した先へ、みなの目が向くーーー
そこにはーー峻厳な現実に、もう間もなく、完全に閉じようとしている《結界》へ、今もまだ逃げ込んでくる、多くの人々のすがたがあったーーー
そしてーーそのなかにーーー
見間違えようのない、ひと際目立つ、金色とーー灰色のーー二色の髪が、はっきりと見えた。
「ビク!……カーク!……」
アリーが叫び、二人のもとへ駆けていく!ーー
ジェラ、他のメンバーたちも、あとに続くのだった。
二人は、顔中に黒い煤をつけ、髪も衣も、いたるところ、焼け焦げた跡があった。
カークは顔を苦しげに歪め、片方の足を、痛々しく引きずっていた。〈キューア〉のリーダーは、怪我をした仲間の腕を肩にまわして、その身体を支えながら、懸命に前へ進んでいた。
駆け寄ったメンバーたちは、フルロとガルが、ビクの肩からカークの腕を外して、それぞれ自分の肩へまわすと、両側からその身を支えるのだった。
満身創痍の、〈キューア〉のリーダーは、ここまで担いできた重みが離れた途端、それまで張っていた緊張が切れたように、ガクっと、地面の草へ手をついた。
アリーとジェラが、慌てて手を伸ばす。
するとビクは、『大丈夫だ』、というように、片方の手をあげてみせた。
黒く汚れた顔には、びっしりと汗が浮かび、いく筋も線のように、跡を残して流れていた。
「……今回ばかりは、マジでヤバかったな……」
肩を大きく上下させ、喘ぎながら、つぶやく……。
焼け焦げ、いくつも穴のあいた袖で、汗と煤まみれの顔を拭った。
前を、フルロとガルに支えられていく、カークの後ろすがたを眺めながら、ビクはようやく、長く息を吐き出すのだった。
その顔が、傍に跪く、ジェラを見る。
黒々とした瞳が、真っすぐに見つめるとーー片手が伸びて、少女の身を強く抱き寄せた。
「会いたかった……よくやったな……」
それははじめて聞く、ぬくもりある声だった。
突然のことに、目を見開いていたジェラだったが、その言葉を聞いた途端……涙が溢れ出した。
ビクの手が、鳶色の髪をぽんぽんっと叩くと、しずかに身を離す。
相棒の頬に流れた涙を、伸ばした指に優しく拭った。
「……わりぃ、ちょっと煤がついたな」
ふっと笑いつぶやくと、反対側にいるアリーへ、顔を向けた。
「誰かが先にいった」
アリーは、さっと手で頬を拭うと、ぎゅっと結ばれていた口を解く。
「ハイリが、先にいったの……」
「そうか……」
ビクは小さく、つぶやいた。
アリーがひとつ息を吸い、静かに声を放つーー
「私たちも、上へ行きましょう」




