表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/33

第十二章•来る、〈乱満月〉の夜

背後で足音がし、〈月の民〉の首長は、振り返ることなく声を放った。


「到着したか」


沈黙が流れーー洞窟に響いた野太い声に対し、細く強張った声が、答えるのだった。


「……はい」


ドドアは、息子に大きな背を向けたままーー目の前にある、豪華な〈祭壇〉のすがたを、見据えていた。

両脇に、赤々と燃える松明の炎が、洞窟の岩壁に影を躍らせーー独特な神聖さとーー一種の不気味さとを、生みだしていた。

三段式の、豪華な〈祭壇〉には、さまざまな品が、美しく並べられ、捧げられていた。

その一番上ーーひと際高い台の上に、それは特別大きな〈マーン〉のすがたが、供えられていた。

ドドアが、前を向いたまま、背後にいるドマヘ、再び声を放つーー


「間違いなく、〈エレーの儀〉に、ふさわしいものだろうな」


「はい。すべての〈マーン〉から選定し、一番のものを選びました」


ドドアは、黙したまま首肯すると、その視線を、〈祭壇〉に横たえられた、立派な雄の〈マーン〉からーーはるか高い頭上へと、向けた。

壮観な岩の景色にーーぽっかりと、不自然にえぐり取られた、巨大な穴が、あいていた。

ドマの瞳も、同じ先を見つめる……。

パチパチ……と、松明の乾いた音が響くなかーー見つめるうちーードマの心のなかに、炎が木を舐めていくような……赤々とした怒りが、湧き上がってくるのだった……。

父親の顔が振り返りーー怒りの炎は、呪縛が解けたように、すうっと消えていった。


「ドマ、兄弟たちをここへ呼べ」



ドドアと、四人の弟たちは、〈祭壇〉を前にして敷かれた、真っ白なーー円形の毛織物の上に、足を組んで座っていた。

それぞれ間隔をあけ、円の中心にある、〈純白の角笛〉を囲み、向かい合う。五人の兄弟たちはーーみな彫りの深い顔貌に、片耳に貫く骨の耳飾りーー特徴的な鷲鼻をしていた。

その太い首ーー厚い胸板ーー筋骨隆々な身体つきはもちろんのことーー弟たちもまた、〈月の民〉を象徴する、美しい夜空色ーー鮮やかな青藍を帯びた長い髪を、見事なすがたに編み上げていた。

ゾゾヤーーガガラーーゼゼナーージジムーー四人の弟たちは、がっしりとした、広い顎を盛り上げ、ぐっと食いしばった歯に、こめかみにはくっきりと、青筋が浮き出ていた。

激しい憎悪、憤怒の立ち込めたしじまにーー息子のドマが横に控える、〈祭壇〉を背にして座した長兄のドドアが、ゆっくりと口を開いた。


「我が兄弟たちよ、よくぞ集まってくれた」


洞窟の岩岩にこだまし、朗々と響き渡る。

四人の弟たちは、握った両の拳を、組み座る足の前へつき、深く頭を下げて、兄の言葉に応えるのだった。

次兄のゾゾヤが、大きな鷲鼻から息を吸い、口を開くーー


「兄上、我らはみな、覚悟ができております。 この命ーー恐ろしき穢れた〈魔物〉を打ち倒すためーー我ら〈月の民〉の、気高き誇りを取りもどすためーー全身全霊を注ぎ、捧げる所存であります」


ガガラ、ゼゼナ、ジジムの三人もーー底光る眼に、力強く頷いた。

ドドアは、向けられた、兄弟たちの決意の眼差しをーーじっくりと、時をかけて見ていった。


「愛するものたちの血が、酷く流れるやもしれん」


響き渡った、低い声にーー三兄のガガラが答える。


「〈魔物〉を打ち倒した暁には、その勇者の名が、我ら〈シシン族〉のなかに、永久に称え語り継がれていくことでしょう」


ドドアは、ガガラの顔を真っすぐに見据える。ーー再び、兄弟たちの顔を見回した。

そして、静かにーー瞼を閉じる………

荘厳な岩の洞窟をーー深々とした沈黙が、満たすのだった。

ドドアの瞳がーー開かれる………


「〈乱満月〉の夜ーー我らは、〈魔物〉の首を斬り落とす!」


雷鳴のごとく、轟いた声にーー四人の弟たちが、圧巻の遠吠えをあげるのだった!

凄気の満ち満ちた静寂にーードドアの声が継ぐーー


「天は、我らに味方した」


その言葉に、四兄のゼゼナが身を乗り出した。

「では……やはり……」

弟たちの、興奮と緊張が、入り交じった視線の先ーー気魄を湛えた顔が、首肯する。


「今年の〈乱満月〉は、未曾有のはやさに、もうまもなく迎える」


ごくっ……と、屈強な男たちが、そろって生唾を飲み下すのだった……。

横広い額に、大粒の汗を浮かばせた、五兄のジジムが、つぶやくように、口を開く。

「……〈乱満月〉まで、まだ日があるはずのここ数日、〈赤馬〉たちの様子に、落ち着きがなくなっていた……。〈乱満月〉が、もうすぐに迫っているのならば、視覚はおろか、聴覚ーー嗅覚ーーと、すでに〈赤馬〉たちの感覚が、日ごと高まってきているのだ……」

松明が爆ぜ、火の粉が高々と舞い上がる。

ひんやりと、異様に静まり返った洞窟にーードドアの低い声が放たれる。


「我らが、その日にことをしかけようとは、恐らく相手も、見抜いていることだろう。 しかし、〈乱満月〉が、それほどはやくにやってこようとは、我ら〈月の民〉をのぞいて、他に知るものはいない」


「我らは、そこを突く……」


ゾゾヤの、熱のこもった声が、長い余韻をもって、消えていく………


「三日後に、出発する」


響き渡った、ドドアの声にーー四人の弟たちが、大きく頷いた。

「我らを裏切った王は、どうされますか」

怒りに戦慄いた、ゼゼナの声が通る。

刹那ーードドアの纏う気配が、目に見えて、色を変えた……。


「〈魔物〉を打ち倒し、同じ刃で、この国の王の首も斬り落とす」


ぞわりと、肌の粟立つような……凄みのある声だった……。

そのときーー固い岩の上を打つ音に、全員の眼が、同じ先へ向くーー

「なにをしてるっ!」

ドドアの怒号が轟いた!

「申し訳ありません……」

ドマが、血の気のない蒼白な顔で、落とした石の盆を、慌ててひろい上げた。

「〈エレーの儀〉をはじめる。その大役、しかと務めよ!」

放たれた、威厳ある声に、ドマは冷たくなった身を、深く下げるのだった。

重い石の盆を手に、〈祭壇〉の前へ進むと、一度厚みのある盆を床へ置き、二段目の台の中央に置かれた、〈白い小さな壺〉と、〈五つの杯〉ーー(よく見るとこれらは、すべて動物の骨や角で、できていた)ーーを、慎重に四角い盆の上へ、のせるのだった。

ドマは、緊張した面持ちで、まず、ドドアの脇へ片膝をつくと、ひとつの杯を、厳かに、その目の前へ置いた。

そして、片膝をついた姿勢のまま、左手で重い盆をもち支え、決してよろめくことがないよう、身体のバランスを保ちながら、右手にもった白い壺の中身を、真っ白な敷物の上へ置いた、小さな杯へーー一滴もこぼすことなく、注いでいくーー

ドマが白い壺を傾けると、細い口から、真っ赤な液体が、出てくるのだった。

そのすがたはまさにーー〈血〉ーーそのものだった。

一見ぞっとするような光景をーー場にいる全員が、引き締めた表情ひとつ動かさず、厳粛な面持ちで、見つめていた。

そうしてドマが、五つすべての杯に、無事〈血酒〉を注ぎ終えると、辺りに、すぅっとする薬草のような香りと、その匂いだけで酔ってしまいそうな、強烈な酒の香りが、漂うのだった。

ドドアがゆっくりと、〈血酒〉の満たされた、角の杯を手にとる。

それを合図にーーゾゾヤ、ガガラ、ゼゼナ、ジジムの四人も、手を伸ばして、骨の杯をとった。

五人の男たちは、真紅の杯を、頭の高さへかかげると、瞼を閉じた………


「〈神獣〉と〈始祖〉ーー〈ムー〉と〈エレー〉へーー」


ドドアが唱え、瞼が開くーーー

現れた、炯々たる眼に、深く息を吸うーーー


「我らに力をっ!ーー我らに勝利をっ!」


『我らに力をっ!ーー我らに勝利をっ!』


男たちの叫びが、広い洞窟中を打ち震わすと、かかげられていた五つの杯が、一斉にーー飲み干されるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ