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第十一章•〈花〉の秘密と、〈翼をもつ者〉㊂

ジェラは、老人の後について、〈洞窟〉のなかを進んでいた。

そこに、幼子のすがたはなくーーソルビはマーロに、外で待っているよう、言われたのだった。


嬉しそうに駆けていったソルビが、〈柳の木〉の前に立つ、老人のもとへ行きつくと、マーロは、ソルビをその場に残し、凝然と立ち尽くすジェラのもとへ、真っすぐにやってきた。

時の間ーー目の前にいる少女のすがたを、底光る灰色の瞳で見つめるとーーただ一言、『ついてきなさい』ーーと、こう言ったのだった。

ジェラは、激しく打つ心臓の音を聞きながら、踵を返した老人のあとに、ついていった……。


先を行くマーロは、黙然と、〈大地の匂い〉の満ち満ちる、〈洞窟〉の奥へ進んでいくーー

前にジェラがここへやってきたとき、引き返したその場所を、さらに奥へと、進んでいった。

やがて、二人の目の前に、〈巨大な岩の壁〉が、現れるのだった。

そそり立つ、〈岩壁〉の放つ迫力に、思わず足を止めたジェラは、大きく開いた視線の先に、あるものが映る。

(荷車……)

黒々とそびえ立つ、〈岩の壁〉の手前ーーその隅に、空になった、あの荷車のすがたがあった。

灰色の布に覆われ、そこに確かにのっていたはずの、〈鉛の屍〉のすがたがないことに、ジェラの鼓動は、速さを増すのだった……。

「こちらへ」

突然響いた声に、ジェラの身がびくりとするーー

〈岩の壁〉の横に立ったマーロが、見据えていた。

「でも……行き止まりじゃ……」

「入口がある」

深い沈黙が流れーー洞窟中の岩たちが、二人のことを見守り、耳を澄ませているように、感じられた………ジェラは、ひとつ息を吸うと……止まっていた足を、前へ踏み出した……。

静かな威厳を放つ、〈岩の壁〉へ近づくたびーー鮮烈な匂いが、それは圧倒される力強さで、ジェラの全身を包み込んだ。

マーロの後に続いて、ジェラの身体が、〈巨大な岩壁〉の裏へと、吸い込まれていくーーー


(……つっ!……)


褐色の瞳がーー大きく見開かれた………


まるで……幻でも見ているように……目の前に広がる光景を、眺めるのだった……

まさか……こんな空間が、あの巨大な岩の後ろに、あるなんて……

とても……信じられなかった……


ジェラが今いるのは、天井も床も、壁もすべてーー自然の岩たちでできた、まるい空間の、部屋だった。

広い部屋には、大きな岩を巧みに削って作られた、滑らかなベンチたちが、いくつも円状に並びーー部屋の中心となる、沈んだ一か所を、取り囲んでいた。

ジェラは、目の前に広がる、円形の部屋が、まるでーー〈集会場〉のようにーー思えるのだった。

見開かれた瞳がーー吸い寄せられるように……天井の岩にあいた穴から、神々しく差し込む陽光に照らされた、息をのむ〈花壇〉のすがたを見つめる……


刹那ーー胸がいっぱいになり……身体の奥深くから、震えるような感情が、湧き上がるのだった……

やっと……たどりついた……

その思いを、全身にかみしめ……気がつけば頬を、熱い涙が伝っていた……


〈大地の匂い〉は、すべてここからーーはじまっていたのだ。

神秘的な〈花壇〉に咲き乱れた、輝くばかりの〈青い花〉のすがたにーー岩の部屋は、澄明な青みを帯び、見つめるジェラの瞳も、美しい瑠璃色に染まっていた……

しかし、よく見ればーー〈青い花壇〉には、ぽっかりと、不自然な穴が、あいているのだった。


「〈ナリアの花〉だーー」


青い静寂をーー静かな声が通る。

ジェラの意識がようやく、隣にいる老人のほうへ、向けられる。

マーロも、ジェラと同じように、美しい〈花〉のすがたを、見つめていた。


「この〈山〉全体が、〈女神ナリア〉のご神体でありーー〈ナリアの花〉が咲く、〈花壇〉がある場所こそ、最も尊いーー〈女神ナリア〉の、《魂》が宿る場だ」


「〈女神ナリア〉……」


老人の顔が、つぶやいた少女のほうへ向く。

やわらかな光が差し込む、部屋のなかで、灰色の瞳が、はっとする光を湛えていた。


「きみは、〈ナリアの目〉ーー〈女神ナリア〉の使いだ」


静まり返った岩の部屋にーーマーロの声が、深くこだました。

目を見開いたままーー声を失う少女に、老人は、さらに言葉を継ぐーー

「きみの耳に下がり、青く光っている〈耳飾り〉こそ、〈女神ナリア〉の使いである、〈ナリアの目〉の証しだ」

ジェラの手がぱっと、〈しずく形の耳飾り〉に触れる……。

しかし、声は……出てこなかった……。

青いしじまにーー再び、低い声が響く。

「きみは二度も、〈緑の壁〉を通ってきた。 あの〈壁〉は、この場所を隠すため、私が張った〈結界〉なのだ」

ジェラの瞳が、さらに大きく開かれた……。

「〈壁〉のすがたは、誰でも見られるわけじゃない。ーー限られた者たちのみ、見ることができ、そして、通り抜けることができる。 今はもう、私とソルビ、もうひとりをのぞいて、誰もここへ、くることはできないはずだった。……だが、きみは、やってきた。 それは、〈ナリアの目〉であるからだ」

マーロの言葉が、まわりの岩たちにこだましーー余韻を残して、消えていく……。

青い水底のような静けさが、二人の人物と部屋とを、包み込むのだった………

やがて、ゆっくりと、マーロが口を解く。

「だが……不思議なことがある。 きみはたしかに、〈ナリアの目〉でありながら、〈花〉のことや、〈女神ナリア〉について、知らなかった。 前に〈洞窟〉へきたとき、この部屋へ入らなかったのは、そのためだろう」

静かな声には、内にある緊張が、滲んでいた。

ひんやりとした沈黙がーー流れる………


「〈ナリアの目〉を、この目で見るのははじめてだ……」


マーロは、つぶやくように言うと、深く息を吸う。

「〈街〉で、きみのすがたを見たとき……すぐに、〈ナリアの目〉だとわかった。 だが、きみの周りには、同じ衣を纏った、若者たちがいた。 そして、なにより、私の心ノ臓を不穏に打ったのは、〈ナリアの目〉であるきみが、〈城〉の高い位の人間と一緒に、いたことだった……」

肌にぴりぴりと感じるほど、伝わる緊張感に、ジェラの全身が強張る……。

「私が最も恐れていたことこそ……まさにそれだった……」

厚い瞼の下から、突き抜くような眼差しが、真っすぐに、ジェラを見据える。

深重な時が流れた………


「鳶色の髪をしたきみは、私の手から奪われた、〈水晶の指輪〉によって、この世へ導かれたのだろう」


ジェラは、瞬きひとつせず……相手の言葉を、聞いていた……。

マーロが身体の向きを変え、広々とした部屋の隅へ、足を進めるーージェラの足も、まるで自然に……そのあとに続いた……

ピタリと止まった、ジェラの瞳がーー床に広がる光景に、息をのむ……


「〈鉛の屍〉……」


そこにはーー岩の床へ整然と並べられた、十一体もの〈鉛の屍〉が、ひっそりと穏やかに、永遠の眠りについていた。

みな年若い、〈鉛の屍〉の上にはーージェラがソルビからもらったのと同じ、あの黄色い〈ポポの花〉が、それぞれ一つずつ、のせられていた。

そして、足下にはーージェラが空き家のなかで見つけた、〈花のすがたのない葉〉が、添えられているのだった。


冷たく痺れたような足で、ジェラがゆっくりと……老人の横へ立つ。

ずらりと並べられた、一番端にーー見覚えのある顔が映った。

そのすがたは確かに、あの空き家のなかで見た、若い青年のすがただった。

血の気の失せたジェラの顔が、隣にいるマーロを見る……


「……今までもあなたが、〈鉛の屍〉を運んでいたんですね……」


「せめて、この場所に……連れて帰ってやりたかった……」


微かに震えた声には、決して癒えることのない、あまりに深い、悲しみの色が、痛ましく滲んでいた。

「あの子の両親も、ここにいる」

ジェラの心臓がーーズキンっ……と、鋭く打つ……

はっと開かれた目で、老人の視線の先をたどっていくとーー反対側の端から、二番目に横たわる人物が映った。

その〈鉛の屍〉は、マーロや並ぶ青年たちのすがたと同じにーー短く髪を刈ったすがたの、若く聡明な顔立ちをした、美しい女性だった。

「ソルビの母親の、ロナだ」

マーロが静かに言う。

「そばにある、〈白い壺〉には、父親のソランの、遺骨が入っている。 あの子は……ソルビは、一歳の誕生日を迎えてすぐ、父親のソランを病で亡くし……二歳の誕生日を迎えてまもなく、今度は母親の、ロナを失った……」

ジェラは、視線の先にーーまるで寄り添うように並べられた、かつての二人の人物をーーソルビの両親のすがたをーー暗い瞳で、見つめるのだった……。

影の満たした内に、まだ幼いソルビのすがたが浮かび……言いしれぬ悲しみが、胸に突き上げる……。

冷たくなった手が、右胸のポケットに触れる……そこには、明るくまるい花が、かおを出していた。

見ず知らずの自分に……〈ポポの花〉をそっとくれた、陽だまりのような笑顔の、やさしい子……。

ジェラの瞳から、涙が流れ落ちる。

老人は、少女のすがたを静かに見つめ、再び顔を前へ向けた。


「彼らが、〈鉛の屍〉になったのは……私のせいなのだ……」


ジェラが横を見ると、マーロはじっと、厳しく食い縛る表情に、前を見つめていた。

「彼らはみな、私がここではじめた、〈山の子〉のメンバーだった」

「〈山の子〉……」

低い声が、深閑とした部屋のなかに、語りだすのだった……


〈山の子〉とはーーさまざまな〈運命〉に、苦しく恵まれず、貧しい子どもたちを、マーロが旅をするなかで集めーー〈女神ナリア〉の息づく、この神聖な〈山〉のなかで、共に手を取り合い、生きていこうと、したものだった。

沈んだ灰色の眼差しがーーソルビの母親の、ロナの隣に並ぶ、一番端の青年にとまる。

「〈山の子〉のリーダーであったネリは、最初に〈鉛の屍〉となって、発見された。 ネリとロナは、同じ国で生まれ、小さいときから共に育った」

マーロが言葉を切りーーしばらく、無言の時が流れた……

少し曲がった、その背中が、ゆっくりと大きく、上下する……。

「〈山の子〉のメンバーで、ここにおらず、残っているのは、あとひとり……。 ネリの、一つ違いの妹だけだ。 私は、彼女が……どうかこのまま、〈鉛の屍〉になることなく……どこかで……自分の人生を、生きていってくれるよう……ただそれだけを、毎日願い……祈っている……」

深い皺の刻まれた、真白な髭のある乾いた頬をーー一筋のしずくが、伝い落ちる。

「私がかつて……彼らに、〈女神ナリアの伝説〉を、話したがゆえに……取り返しのつかぬ悲劇を、生んでしまった……」

マーロは、激しく震えた右手で、俯いた顔を覆うのだった。

きつく拳を握りーーそのすがたを見つめていた、ジェラの白い唇がーーしずかに……解かれる……


「……まだ……よくわからないことも……たくさんあります……」


老人の顔が上がり……青く光る〈耳飾り〉をつけた、少女を見る。

ジェラの瞳も、真っすぐに、マーロを見つめていた……。

「だけど……私や……私たちのことを……マーロさんにお話しすることが、大きな意味をもつのだと……そのために私は……ここへ導かれてきたのだと……そう思います」

ジェラは一度、口をつぐむと、深く……息を吸う……

「うまく話せるか……わかりません。……ですが、聞いていただけますか……」

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