第十章•〈鉛の屍〉㊀
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〈呼び鈴〉のーー涼やかな音が響いたのは、〈ガンダ国〉を治める、ダダ王と出会ったあの日から、五日後のことだった。
まさに、〈運命〉といえるあの日ーー王が〈城〉へもどっていったのは、日が暮れはじめた頃だった。
やわらかな金色と、茜色の溶け合う空の下、遠ざかっていく王の後ろすがたを、ビクとジェラは、それぞれの思いで見送った。
そして、その日を境にーージェラの心には、王が最後に放った、〈一つの言葉〉が、片時も離れず、こだましていた……。
ーー『三年に一度の、〈乱満月〉が、ひと月後にやってくる……』ーー
そのあとに続いた、落雷のような言葉にーージェラは衝撃に打たれ、身体中を戦慄が走るのだった……。
王のすがたが、黒みを帯びた森のなかへ消えると、ビクが前を見据えたまま、静かな声でつぶやいた。
ーー『今日聞いたことは、まだ誰にも言うな』ーー
それからーー二人はすぐに、やるべき仕事に、とりかかった。
正直、頭のなかは混乱し、考えたいことでいっぱいだったが、それでも今は、〈ムー〉のことを最優先に、満月の今夜を逃すことなく、王から聞いた話をしっかりと守り、エサと水の調達に、残る力を注いだ。
数時間後ーービクが、巨大な檻に設けられた、上下式の格子戸を下ろし終えると、二人はようやく長い息を吐き、ランプの灯りを消して、部屋にやってきてからはじめて、〈神獣〉を残し、反対側の東の森にある〈キューア〉の宿舎へと、夜陰のなか向かって行くのだった。
そして、翌る日、朝早く、再び〈ムー〉のもとへやってきた二人が見た光景はーー思わず互いの顔に、笑みが広がるものだった。(手を打ち合わせたせいで、そのあとしばらくの間、ジェラの掌はジンジンとしていた)
ジェラが用意した湧き水は、ほとんどがなくなりーー広い器の横には、身が残ることなく、きれいなすがたをあらわした骨が、いくつも転がっていた。
陽が天高く降り注ぐなかーージェラは、そわそわと落ち着きなく、〈神獣〉のいる檻の前を、行きつ戻りつ……しているのだった。
(どうしよう……)
ビクはあれから、今度は自分たちの食料を調達しに、〈ズコー〉へ行ったまま、まだもどっていなかった。
〈呼び鈴〉は、もちろん、いつ鳴ってもおかしくはなかったのだが、それがよりによって、このタイミングで聞くことになろうとは、なんとも意地の悪さを否めなかった。
相手を待たず……先に……行くべきか……
ジェラは迷っていた……
しかし、ビクにしても、きっとどこかで、同じように〈呼び鈴〉の音を耳にしたはずだ。
もしかしたらすでに、直接向かっているのかもしれない。
だとしたら自分も、ここで待っているより、今すぐに集合場所へ、向かったほうがいいのではないか……
ただでさえ、すでに一度、大きな遅刻をしている身……
足を止めた、ジェラの脳裏へーー威圧的な声と顔が、響き浮かび上がる……
(やっぱりだめだ……もう行こう……)
ジェラは、オリーブ色のつなぎ服につけられた、左の胸ポケットへ手を入れるーー中から、金色の大小ちがう二つの鍵がついた、真鍮の輪を、取り出した。
とーー足音が聞こえ、ジェラの顔がぱっと向くーーほどなく、部屋の扉が、勢いよく開かれるのだった。
視線の先に、肩で大きく息をした、ビクのすがたが現れる。
「やっぱり……まだいたんだな……おい!ぼおっとしてねぇで……さっさと行くぞ!」
息を切らせながら言うと、持っていた二つの紙袋を、次々に相棒の方へ投げる。
ジェラは慌てて、掴み取るのだった。
「……はいっ!」
二人が、鬱蒼とした森を抜け、束の間眩しさに目を細めるほど、照り輝く陽光が満たす世界へ出ると、開けた視界の中心にーー赤いレンガ造りの、巨大な建物が、映り現れるのだった。
夜の帳が下ろされた、塗り込めたような暗闇に見れば、ガス灯の妖しげな光に、ぬっと浮かび上がったそのすがたに、思わず背筋がぞくりとしたが、今こうして、明るい蒼天の下に改めて見ると、圧する不気味さも、うららかに響く鳥たちのさえずりと共に、おとなしく影を潜めていた。
森から出た二人が、離れた先にある倉庫のほうへ、足を踏み出したときーー反対側の森から、人影が現れた。
美しい赤毛が、陽に煌めいていた。
「チっ……アリーだ。 ジェラ、余計なこと言うなよ」
ビクがしまったという顔に、前を向いたまま、横にいるジェラへ釘を刺す。
「はい……」
ジェラの喉が、ゴクリっ……と、鳴る……。
アリーの長い手が、大きく振られた。
ビクは反応せず、ジェラは緊張に冷たくなった手を、大きく振り返すのだった。
そうしてーー三人は、倉庫の前で、一緒になった。
「なんだか、珍しい組み合わせだね」
アリーは合流すると、いつもの優しい笑みに言う。
「こいつが、あんまりちんちくりんすぎて、見てられねぇから、俺がいろいろと教えてやってんだ」
「ふーん……そうなんだ。 ジェラは今朝、ずいぶん早くに起きて出て行ったよね」
「あっ……はい……目が覚めちゃって……」
「西の森に、行ってたの?」
ジェラの鼓動が早鐘に打ち……生唾を飲み下した瞬間、ビクが突然、倉庫の正面を指差すのだった。
「向こうから、誰か来るぞ」
アリーの顔がそちらへ向けられた刹那、ビクの手がすかさず、ジェラの背中を小突く。
ジェラがちらりと見ると、黒い目が、睨みつけるのだった。
ビクの指差した方からは、たしかに、自分たちと同じつなぎ服を着た、見覚えのある髪色が、見えてくるのだった。
「あれは……デンだな。 紫の、ナスビ頭だ」
ビクの言葉に、手をかざして眺めていたアリーとジェラは、同時にぷっと、吹き出すのだった。
「なんだよ」
ビクは、明らかに機嫌を損ねたように、顔を歪める。
アリーがすぐに、口を開いた。
「ごめん……だって、すごく斬新な覚え方だったから。そしたら、私はトマトで、ハイリはニンジンかなって、考えちゃった……」
まだ込み上げてくる笑いを、必死に抑えるように、アリーは言うのだった。
「チっ……ジェラまで笑いやがって。俺はもう行く」
ビクはイライラした足取りで、一人倉庫の入口へ、進んでいくのだった。