表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/33

第八章•〈城〉㊀

ドクンっ……ドクンっ……と、大きく脈打つ鼓動が、頭の先からつま先までーージェラの全身に、響き渡っていた……。

足下に見える黒い長靴は、その場に根を下ろしたかのように立ち尽くし、微塵も先へ、動くことはなかった。


ジェラの目の前にはーーついに、唯一無二の〈銀細工の城〉が、そびえていた……


夜明け前の、薄青い天を背にーーはるか仰ぎ見る、細い頂まで輝いた、それは圧倒的な〈銀〉のすがたが、この〈城〉の不動の地位を、見るものすべてに、知らしめていた。

大小さまざまに、数えきれぬいくつもの尖塔が、まるで鋭い槍の穂先のごとく、天を突き刺しーー地上に映る、小さな蟻たちのような人々のすがたを、銀色に光る眼で見下ろしていた。

ジェラはもう幾度となく、目の前にそびえる〈城〉のすがたを、見てきたはずだった。

それどころか、視界に映らない、ということのほうが難しく、いつでもどこでもーー常に、この世界ーー大帝国〈リグターン〉にいる限り、巨大に睥睨する存在からは、決して逃げられないのである。

しかし、今ーーそのもとへ、はじめて来てみれば、想像をはるかに上回る、あまりの迫力に……見上げている全身から、思わず力が抜けていくのだった……。

血の気が失せ……めまいが襲い……ジェラは慌てて、青白い顔を地上へ下ろす。

なんとか落ち着こうと、褐色の瞳がーー足下を捉えるのだった。

ようやく、窮屈だった革が馴染み、自分の足になってきた相棒ーー土汚れが、白く浮いた長靴の先ーーあと一歩を踏み出せば、そこから先は、一目見ても明らかに、〈特別な領域〉へと、入るのだった。

チクチクと小骨が刺さったような喉が、ゴクリっ……と、大きく鳴る……。

白く強張った顔が、前へ向いた……

ジェラは今ーー豪華な〈石橋〉の袂に、立っているのだった。

真っすぐに、ずっと先までのびた巨大な〈石橋〉は、銀一色の世界に鮮烈に咲いた、真っ赤な大輪ーー〈緋色の大扉〉へと、続いているーー

〈石橋〉には、光沢を静めた青みを帯びた黒石が、惜しげもなくふんだんに使われ、巨大な橋全体が、異世界へ誘うようなーー異彩を放ち、静謐な雰囲気を湛えていた。

そして、これまた芸術品のごとく、美しい橋の欄干には、一定の間隔をあけて、球体のガラスランプが、銀色の光を灯していた。

ジェラの視線がーー近くにあるランプへとまる。ーー

真ん丸なガラスの表面には、繊細なすがたに、〈ひとつの模様〉が、彫られているのだった。

ジェラは以前にも、同じ〈模様〉を、どこかで見た記憶があったがーー結局、どこで見たのかは、思い出せなかった。

ランプから目を離したジェラは、ゆっくりと、背後へ振り返る……


ジェラが、〈ムー〉のいる森の建物を出発したのは、まだあたりが深い闇に包まれた、真夜中だった。

もちろん、そんな暗闇のなかを行くより、東天に陽が昇り、明るくなってから出発したほうが、どれだけ安全でーー(長い髪、〈特殊能力〉があったとしても、一応はうら若い女性なのだ)ーー心持ちにもよかったかしれないが、目指す〈城〉まではかなりの距離があったことーーまた、陽が昇ってからでは、あの広大な街のなかを、激しく往来する人の大波を縫って、進んでいかなくてはならないことーー以上の二つを、闇夜に出発する苦痛と天秤にかけた結果、今現在に至るのだった。

ジェラは、〈ムー〉と出会って以来、どうしてもあの建物のなかへ、残しておくことができず、夜もまた、他のメンバーたちがいるであろう、〈キューア〉の宿舎へは行かず、〈ムー〉のいる部屋で過ごしていた。

そのため、アリーとも、倉庫で会話をした日を最後に、ずっと顔を合わせてはいなかった。

その一方で、ビクのほうといえば、なにかと理由をつけて、共に寝泊まりするようになりーー(ジェラは一言も、宿舎へ行かないようにとは言っていない)ーーそのビクが、街で手に入れてきた、自慢げな寝袋のようなもの(ジェラの分もあり、これには正直、すごく助かっている)にくるまって、大きないびきをかいている間に、ジェラはひとり、そっとおこさぬようーー〈ムー〉は暗闇に、大きな瞳をじっと開けて、静かに見送ってくれたーー建物を出てきたのである。


見上げればーーいつのまにか、天が白みはじめていた。

それでもまだ、かなり早い時間帯のせいか、あたりに人のすがたはなく、街は不思議な静けさに包まれていた。

ジェラの目がーー眠る街の景色に灯る、幻想的な銀色の光を見つめる……。

〈石橋〉の欄干にあるのと同じ、丸いガラスランプが、もうまもなく目覚めのときを迎える、街のいたるところで、輝いていたのだった。


「……〈ジーガ〉……」


つぶやいた、ジェラの耳にーー街のはずれから、荷馬車に乗せてくれた、〈西の大通り〉の近くで食料品を商う、ボンゴという名の、店の主人の言葉がよみがえってくる……。

前に二度ほど、ジェラが店に食べ物をもらいに行った縁で、二人は互いに、顔見知りだった。

そして、なんとも運が良いことに、ジェラは二時間ほど歩き続けて、ようやく街へ入った直後、荷を積んで、店へ向かおうとしていたボンゴと、ばったり出くわしたのである。

『〈城〉へ行くため、店まで一緒に乗せてほしい』と、白いものが混じった、クルクルと縮れた短髪をした、大福そっくりな丸顔をした主人に、ジェラが懇願すると、ボンゴは慌て転がるように座っていた御者台を降りてきて、『今すぐちゃんとした馬車をお呼びいたします』と、頭を下げるのだった。ジェラがそれを断り、荷馬車の後ろに乗せてほしいと頼んでも、二重顎をした店の主人は、その狭い額に玉汗を浮かばせて、失礼のないよう、丁重に断り、ついには地面へ平伏すのだった。

たとえ頼まれたとはいえ、〈城〉のお偉いさまのお客様を、このような粗末な荷馬車に乗せたなんてことが、他に知られれば、自分がどんな罪に問われるか、とても恐ろしいのだと、ボンゴは額と両手を地面へこすりつけたまま、震えた声に弁明した。

しかし、最後にはーー生来、人がいい店の主人は、呆然とし、見るからに顔色の悪い相手が、謝りの言葉に、フラフラとした足取りで去っていくすがたを、その場に見送り去ることはできず、恐れながらも、了承してくれたのだった。

ジェラが荷馬車の後ろで、布をかぶって揺られていると、御者台で手綱を握るボンゴが、〈ジーガ〉という、ジェラがはじめて聞き知る、〈帝国法〉のことを、少し話してくれた。

ボンゴの話によればーー〈ジーガ〉には、様々な決まりがありーー最も重要なものでいうと、〈髪に関すること〉であったがーーそのうちの一つが、〈城〉の近く、ある定められた範囲のうちは、〈南に向く城の大扉ーー通称、ダリア〉が開け放たれる時刻まで、大きな物音や、騒々しい音を立ててはならず、神聖な静寂を厳守することーーだそう。

自分の店は、ギリギリ、その範囲の外にあるため、こうして早い時間から、荷馬車を使うことが許されているのだと、ボンゴは安堵を滲ませた、囁き声で言うのだった。

ジェラがずっと気になっていた、街のいたるところに見える、銀色の光を灯す丸ランプについて尋ねると、ボンゴは、それも〈ジーガ〉の一つなのだと、教えてくれた。

ジェラはそうして、二時間ほど荷馬車に揺られ、無事にボンゴの店の前で降り礼を言うと、そこから先は、さらに一時間ほど歩いて、今いる〈城〉の前までやってきたのだった。


ふと……人の気配を感じて、ジェラの視線が向く……

四階建ての、いかにも立派な建物の入口から、人のすがたが、現れるのだった。

白く柔らかな羽織を纏い、しっかりと結わえられた髪型をした、上品な女将のような風貌の女性は、なぜかその手に、細長い棒のようなものを持っていた。

ーー若すぎず、年配すぎずの女性は、高い軒先に吊るされた、丸いランプへ、その棒のようなものをのばすと、慣れた手つきにすっと、外すのだった。

女性の手のなかに下ろされたガラスランプは、一瞬のうち、銀色の光を消した。

重たげなランプを抱えた女性は、再び瀟洒な建物のなかへと、すがたを消した。

その様子を眺めていたジェラは、ぽつぽつとーー目覚めの音が聞こえはじめた街に、静かに、背を向けるのだった……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ