第5話(その3)
だがしばらくして、入口で会った愛想の良いベルボーイの顔を思い出した。
(あいつの目……、確か親切そうな男に見えた……)
そう思うと、弘明はスーツケースを引きずる。
ロビーを抜け、回転ドアを押し開ける。
目の前には、姿勢を正したベルボーイ。
迷わず声をかけた。
弘明はベルボーイと狭い踊り場でやりとりを始めた。
最初はフロントの女と同じような態度を見せた。
弘明は食らいついて離さなかった。
彼は、狭い踊り場を占拠されてはたまらないと思ったのであろう、階段下まで降りて弘明の相手をしてくれた。
その時弘明は、やっと英語らしい英語を喋ったのだった。
結局ホテルはシェラトン違いで、弘明のミスである。
いや、やはりいい加減なタクシードライバーのせい。
チッブを余分に取ったくせに――
と腹が立ったが、今更ではある。
ベルボーイが言うには、ニューショーク市内には5つのホテルがシェラトンという名をつけていて、弘明が予約したシェラトンは5ブロック先にあると言うのである。
またズボンの後ポケットから札入れを出た弘明は、そこから10ドル札を1枚出すと、彼に握らせた。
背中に冷や汗を感じながら、
―― Thank you, thank you ――
と、何度も繰り返した。
(人を見る目に狂いはない)
どこまでも能天気な弘明は、ベルボーイの表情など気にせず、彼に手を振った。
そのままスーツケースを引っ張り、歩道の人波を縫うようにして歩き出した。
―― マンハッタンのメインストリート ――
それこそ生き馬の目を抜くような、世界で一番忙しい街の中を、『おのぼりさん』よろしく、弘明はゴロゴロとスーツケースを引いて歩いた。
あれほど抱いていた感動や興奮もどこかへ消え失せた。
今はもう、一刻でも早く自分のホテルへ駆け込んで鞄も服も放り出し、素っ裸でシャワーを浴びたい一心で歩いていった。
(第6話へつづく)