第5話(その2)
仕方なく10ドル札を渡すと、運転手はすぐさま踵を返す――。
さすがニューヨーク。
イエローキャブを見送りながら、弘明はスーツケースを持つとホテルに向かう。
だが入り口まで数歩、そこに立つベルボーイが全身でドアを押すと、素早く弘明を誘った。
ホテルへ入ってみれば、中は外観に相違して、いかにもゴチックな造りだった。
ロビーはそれほど広くない。
吹き抜けの天井を支える柱に、滲み出る歴史が感じられた。
フロントと思しき一角にチョエックインの列がある。
その後端が入口の二重ドアからほんの数メートル先にあった。
どれだけ待たされるのかと弘明は気を揉んだ。
だが以外に捌けるのが早く、十数分で順番がきた。
ただフロントが意外に背高で、弘明でも圧迫感を覚えた。
そこで応対するのは瓜実顔の黒人女性。
だが全く無表情だった。
仕方なく弘明は、パスポートと予約票を出すと、真っ直ぐ彼女の顔を見て言った。
「This is my reservation ――」
すると彼女は、卓上テレビのような画面を覗き込み、
――それが初期のコンピューターだと知るのは随分あとのこと――
キーボードを叩く。
ほんの数秒後、なにか言った。
だが聞こえない。
いや聞き取れなかった。
「Pardon me?」
そう食下がっても、彼女の答えは同じ。
だが聞き取れない、いや意味が分からない。
2度3度、繰り返して聞くと、彼女のこめかみに血管が浮いてくるのが分かった。
――あっ、怒っているのか――
そう思ったが、弘明も引き下がる訳には行かない。
「もう一度、ゆっくり言って下さい」
そう言うと、まるで舌打ちせんばかりに
――恐らく舌打ちした――
いや、ガキに言って聞かせるような物言いで、しっかり口を尖がらせながら、彼女は言い放ったのだった。
「This hotel is not your booking hotel――」
(ここは俺が予約したホテルではない?)
と聞いて、そんな馬鹿な――と言いたかった。
だが彼女の眼を見て止めた。
なぜならすでに彼女の視線は、弘明の後の客に移っていた。
弘明は拳をぎゅっと握りしめながら、悔しさを押し殺した。
途方に暮れて列から外れると、そのままロビーの柱の陰へ。
(なんやこれは……)
と思いながら、もう一度手に持つ予約票を見た。
だが文字が目に入らない。
それはほんの数秒だったが、茫然自失とはこの時の弘明のことを言うのであろう。
広くもないはずのロビーで弘明は孤独だった。
(つづく)