第4話「いざニューヨークへ」(その1)
ロマノフスキー家での晩餐は、夜の7時過ぎに始まり10時頃まで続いた。
弘明の午睡で遅くなったのである。
彼が声を掛けてくれるまで弘明はぐっすり眠っていた。
日が暮れて、気温は20度を切っていたかも知れないが、夫人は居間に続くテラスへ場を設えてくれた。
夏の定番らしいが確かに日は長く、なお日暮れの明るさがあった。
暖かいスープに常温ビール、ジャケットがあれば凌ぎやすく、彼と共に暮れ行く時を楽しんだ。
テラスを囲む木立の間に沈む夕日があまりに赤かい……
土地の隔たりを超えて、寂しさが漂い、ふと弘明に幼い頃の葬儀を思い起こさせた。
日本も今は火葬が主だが、弘明の子供の頃には土葬があった。
語るとはなしに弘明が土葬のことを話すと、彼が興味を示した。
弘明が5歳の頃、まだ五十を幾つか超えたばかりの祖父が亡くなった。
葬儀の日、祖父は弘明の目の前で白装束を着せられ、頭に三角巾を付け、木製の棺桶に納められた。
弘明は彼に、そんな話を始めた。
2人の叔父が、死後硬直した祖父の体を苦労しながら棺桶に入れた。
まだ弘明は死の意味が分かる歳ではない。
ただ泣きじゃくる母の膝の上に腰かけ、冷たいものが落ちてきたのを覚えている。
そして蓋が閉められ、木釘が打たれた。
――棺桶の中の祖父の顔は、もう弘明の知る顔ではなかった――
弘明は、そんな記憶をロマノフスキーに語りながら、その時の光景を思い出していた。
すると、彼は奥にいた妻を呼び、この話を聞かせた。
それに別の葬儀で、亡くなった人の体を二つに折り、菰にくるんで田んぼの畔で焼く話もした。
屍を焼く火は3日3晩燃えた。
ずっと見ていた訳ではないが、次第に炎の勢いが増し、冬場であったのであろう、黒土の田から満天の星空へ上がる煙を覚えている。
それらの話をロマノフスキーから聞く夫人は、腕を組んで右手を頬に添えていた。
なぜその話が2人の心を捉えたのか、30歳を超えたばかりの弘明には分からない。
ただ2人は静かに見つめ合い、互いの心の中でかみ砕くような姿は、弘明の心に沁みた。
(夫婦とはこういうものか)
そんな思いが弘明の心を揺るがした。
会社が破産したのに、勝手にアメリカ行きを決めて、親の金で渡航した己の振る舞いがいかにも後ろめたかった。
ロマノフスキーは、工務監督として自分の家を持ち、家族と暮らしている……。
それでも、俺は必ず再起する――と、そんな自負で、辛うじて弘明は己の心を守っていた。
(つづく)