第1話「赤い表装のパスポート」(その1)
「さらば日本、されどアメリカ」 開幕!
1984年、ニューヨーク。
爆音のギター、欲望と危険、自由を求める男たちの街——
日本を飛び出した一人の青年が、この街に足を踏み入れる。
彼が求めたものは何なのか?それは、この物語の中で——
それでは、本編へどうぞ!
弘明の乗った機体は、想像以上の角度で上昇を続けた。
先ほどまでいた伊丹空港が、あっという間に遠ざかる。
やがて高槻や茨木――そして京都との県境の山々が、次々と後方へ消えていった。
機体が大きく傾き、舷側の窓に直下の街並みが現れる。
そのまま東へ旋回していく。
――季節は夏――
この年、昭和57年6月末、山岡弘明の勤める造船所は破産した。
前年の暮れ、会社は弘明にパスポートを作らせた。だが、それを使う前に倒産。
設計部の自分の机を片付ける際、引き出しの奥で未使用のパスポートを見つけた。
真新しい赤の表装。それを手にしたときの昂りが、脳裏によみがえる。
初めての欧州出張が決まり、パスポートを手にしたあの日。
――俺は、ここに閉じ籠もっている場合じゃない――
その思いは、決して消えることはなかった。
だから弘明は、そのパスポートを使うべく、ひとりアメリカへ渡ることを決めた。
7月半ば。弘明はアメリカの知人に電話をかけた。
別に誰かに相談したわけではない。
共働きの妻にも黙っていた。
何も言わずにアメリカ行きを決めた。
旅行代理店で渡航費を調べ、あとは両親に頭を下げた。
そこまで根回しした上で、厚かましくも知人を頼った。
旅行代理店で提示されたのは――
「伊丹発、サンフランシスコ2泊、ロサンゼルス2泊、成田着」のツアー。
機中2泊を含む6泊7日で、25万円。
だが弘明は、そのツアーに「サンフランシスコ~ニューヨーク~ロス」の行程を加えた。
追加の航空運賃とニューヨーク2泊のホテル代を合わせると、総額なんと65万円。
それでも弘明は、ニューヨークに拘った。
なぜなら、かつて勤めていた造船所に1年間駐在したインド系アメリカ人に、どうしても会いたかったからだ。
彼の名はセンゴプタ。
弘明と同い年でMIT出身の工務監督だった。
だが、65万円はさすがにきつい。
就職7年目、月給15万円。到底手が届かない。
――アメリカから帰ったら、大人しく地元の企業へ就職するから――
そんな嘘八百を並べて、両親から金を借りた。総額100万円。
弘明にとって、初めて手にする札束だった。
胸の鼓動を抑えながら、旅行代理店で支払いを済ませ、ようやく機上の人となった。
ツアー客はたった5人。
老夫婦、若い女性2人、そして弘明。
指定カウンターで合流し、ガイドもなしの初めての海外旅行だった。
伊丹発17:20、サンフランシスコ着は翌朝8:00。
乗ったのは、AMAのボーイング767。
真新しい機体だった。しかし、機体を見ながら思う。
――この機の導入で、かつての社主や首相が捕まることになったのか――
狭いシートに身を沈めながら、弘明はいかにも複雑な思いで機内を見渡した。
――あの、ガタイのでかい入道然とした男が失脚しなければ――
それが6年前の話。
だが、入社した会社が早々に倒産した現実は、忘れようとしても忘れられない。
(つづく)
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この作品は、1984年のニューヨークを舞台にした、青春×異国×音楽×危険の物語 です。
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