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フロアスパイ

 2030年。この世に新しい仕事が誕生した。

 フロアスパイだ。一見、清掃作業員のように見える。実際、清掃作業をするのだが、本職はスパイだ。各フロアに一人ずつ配置されている。この会社には三人のフロアスパイが属している。


 ∝


 一階担当の浜谷はまたに。三十代後半。フロアスパイ歴十年。中堅だ。二階担当の岩屋いわや。五十代半。三人を統括するリーダーだ。そして最年少で三階担当の山中やまなか。二十代後半。スパイ歴は五年。まだまだ新人だ。


 三人はそれぞれのフロアで清掃作業に勤しむふりをして、スパイ活動を日々行っている。得た情報は逐一インカムを通して共通しあっている。


 ある日、浜谷が玄関のガラスを拭いていると、正面から険しい表情をした男性が二人、歩いてきた。一番得意先の社員だった。浜谷は一瞬にしてこれから起こるであろうことを推察した。

 男性二人組は浜谷の後ろを通り過ぎながら「全くこの会社はなっとらん!」と言い合っていた。すぐさま二階にいる岩屋にインカム越しに報告をする。あの二人が面会しようとしているのは、二階の営業部の山下と森だろう。

 先日、山下と森が件の男性二人を玄関まで見送りに来ていた。


「営業部。山下と森に面会客あり。トラブルの気配」


 浜谷がそう報告するやいなや、岩屋から「了解」と返事があった。



 ∝


 浜谷から報告を受けた岩屋は営業部の山下と森の所へ向かう。ゴミ箱のゴミを集めるふりをしながら


「取引先の方が玄関に見えたようです。どうやらご立腹のようです」


 二人の耳元で囁く。二人は「えっ! マジで」「もしかしてあの件か?」と言いながらパソコンを操作している。先輩の山下が「俺、迎えに行ってくるから、お前資料持って会議室行ってて!」と森に指示し、瞬殺で走り去る。と、その時、受付からの内線が鳴り、それを取った女性が「山下さんと森さんに面会の方がこられています」と言った。森は手を上げて応答している。


 岩屋ができることはここまでだ。後は山下と森が頑張るのみだ。岩屋はパソコンと資料を抱え会議室に向かう森の背中に向かって「グッドラック」と呟いた。


 ∝


 三階にいる山中は朝から総合企画部全体に広がるピリピリ感を感じながらシュレッダーの紙屑を集めていた。原因は部長だ。何があったのかは知らないが、出社し朝礼を始めた時からイライラしていた。

 この空気感では社員の報・連・相や仕事のモチベーションに影響が出てしまう。どうすればスパイとしての力を発揮できるのか困った山中は先輩二人にアドバイスを乞うた。


「総合企画部。部長不機嫌。業務に支障の可能性あり」


 インカム越しに山中が言うとすぐさま応答が合った。浜谷だった。


「部長にさりげなくお茶を出し、雑談がてら話を聞け」


 なるほど、と山中は思った。シュレッダーの紙屑を入れた袋の口を縛ると、山中は給湯室に向かった。


 こと。と微かに音を立て山中は部長の前に湯呑みを置いた。湯呑みの中に入っているのは梅こぶ茶。給湯室の棚をあさっていると部長の名前が書かれた梅こぶ茶の缶を見つけたのだ。


「……君は」


 不意の出来事に眉間の皺を緩めながら部長が山中を見る。


「清掃担当の山中です」


 フロアスパイは立場の説明を求められると「清掃担当」と言うことになっている。


「今朝からお疲れのようでしたので、心配になりまして」


 お盆を両手で抱え一歩後退しながら山中は言った。それを聞いて部長は「いや、面目ない」と恥ずかしそうに頭を掻いた。


「実は今朝の通勤電車で痴漢の濡れ衣を着せられそうになってね。全くまいったよ」


「それは大変でしたね。それで……」


 話の続きを促すと部長は語り始めた。

 被害を訴える女性に対して、たまたま目撃していた第三者が、部長ではない他の誰かの手が女性に触れていたと訴えてくれ何とか事なきを得たらしかった。


「それは朝からまいりますね」


「とんだ濡れ衣だよ。満員電車は怖いね」


 部長はそう言って「これいただくよ」と湯呑みに口をつけた。


「山中君だっけ? 君のお陰で心が晴れたよ。ありがとう」


 部長が笑顔になると同時に総合企画部全体の空気感が和らいだのがわかった。フロアに目をやると一人の社員と目が合った。社員はぺこりと会釈をする。「ありがとう」という意味だろう。山中も会釈を返した。


「部長の機嫌回復。業務遂行しました」


 山中が二人に報告すると「了解」と二人から立て続けに返事がきた。


 ∝


 この日も三人は大車輪の活躍を見せた。

 開発部の山口が書類を作成しているところに行き、

「上司が求めているものは、ここまでのクオリティー」と上司が立ち話で漏らしていた情報を伝えたり、取引先の社員がエレベーターを待っている時、掃除機をかけるふりをしながら、先方の「ここは経費が大雑把なんだよな〜」という本音を聞き経理部の部長に伝えたり。

 最早、フロアスパイがいないとこの会社は潰れるかもしれない。



 二時間後。

 受付前をモップがけしていた浜谷の後ろから数名が談笑しながら近づいてくる気配がした。声の方に顔を向けると、山下と森、それと険しい顔をして入ってきていた取引先の社員だった。

 四人の表情は穏やかだった。それを見て浜谷は岩屋との連携プレーが上手くいったのだと確信する。


「ご足労かけて申し訳ありませんでした。今後ともよろしくお願い致します」


「いや、こちらこそ。はやとちりをしていたようで申し訳ない。失礼するよ」


 そんなやりとりを浜谷はにんまりとしながら聞いていた。



 ∝


「君達三人には大変感謝している。おかげで社員が働きやすくなって生き生きしてきたように感じるよ」


 浜谷、岩屋、山中の三人の向かいにはロマンスグレーヘアに顎髭を蓄えた細身の男性が座っている。そう、社長だ。


「ありがとうございます。光栄です」


 三人を代表して岩屋が答える。


「君達の存在を伝えると『我が社も!』という社長連中がいてね。『フロアスパイの働きぶりを見学したい』と言ってきておるんだが、一日君達に密着しても構わないかい?」


「見学という形なら結構です」


 岩屋が浜谷と山中に目配せしながら言う。二人も頷いた。


「じゃあ来週あたりに日程調節するよ。今後ともよろしく!」


「はい! よろしくお願い致します」


 フロアスパイ三人の声は気持ちいいくらいにそろっていた。

読んでいただき、ありがとうございます。

明日はどんなお仕事が生まれるのかな?

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