連勤警察
2029年。
新しい仕事が誕生日した。連勤警察だ。休憩警察が生まれてから2年後に誕生した連勤警察。その名の通り週休2日を保障されていない人を守る警察だ。
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連勤警察に採用されるのは、20代前半に見える男女だ。(実年齢との差があればあるほどよい。)なぜかというと彼、彼女らは連勤してしまう男性あるいは女性の息子、娘のように見える必要があるからだ。
中年のいかにも決定権を握っていそうな上司から「休みなさい」と言われると、「それってそのまま解雇につながったりしない?」とびくびくするし、逆に「休む間なんてないんじゃー!」と反抗したくなるかもしれない。
しかし、愛する我が子から「働きすぎだよ。休もう」と優しく言われて、はたと立ち止まり自身の過労具合をふと振り返る親はいるだろう。
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ここに一人の男性がいる。大企業でSEとして働く谷川 (年齢:58歳 男性)だ。人望が熱く仕事もできるため管理職の立場になっても上司と部下の板挟みになることなくこれまで過ごしてきた。
しかし、ここ数年で新入社員の雰囲気が変わってきた。谷川の年代は就職したら定年を迎えるまでは同じ会社で働く方がよい、と考えるギリギリの世代だ。
その後、若者にとって転職は当たり前になり、苦手な仕事はありとあらゆる手段を使って回避する傾向が出てきた。そんなこともあり、谷川は現在、部下の仕事の大部分を肩代わりするようになっていた。
しかし、部下も馬鹿ではない。谷川に肩代わりさせられていると気づかれないように根回しをし、自分の仕事の大部分を谷川にさせているのだ。
23時。
オフィスにはもう谷川しか残っていない。
「ちょっと休憩するか」
谷川はそう言って首を左右にゆっくり傾けると、ぱきぱきと音が鳴った。気付けば2時間以上作業に集中していた。目頭を親指と人差し指で押さえた後、谷川はトイレへ行き自販機でコーヒーを購入するため席を立った。結局、谷川が帰路に着いたのは午前1時になる頃だった。
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「谷川昭人さんですね」
翌朝、社屋の一階にあるゲートに社員証をかざして出社しようとする谷川に一人の男性が声をかけた。昨日の深夜残業明けでぼんやりしていた谷川は声をかけられたことに気づかない。男性は「谷川さん!」と声を大にして呼びかけ、その肩をぽんと叩いた。
「わっ! あっ、はい」
谷川は驚いた様子で肩を叩いた男性を見た。しかし、谷川は目の前にいる男性に見覚えがなかった。
「あの……失礼ですが、どちら様でしょう?」
谷川は訝しみながら尋ねた。
「自己紹介が遅れて失礼しました。僕はこういう者です」
男性は人懐っこい笑顔を見せると首からぶら下げたカードを見せた。そこにはこう記されていた。
『連勤警察 宮本碧』
「けっ警察っ?」
谷川は驚きのあまり叫んでしまったと同時に自身の過去を振り返り、罪になるようなことをしたことがあるか自問自答した。そんな谷川に連勤警察こと宮本は優しく微笑みかけこう言った。
「警察といっても警視庁の警察官とは何も関係ありません。僕はこの企業の中で、きちんと決められた休日を取れていない方から事情聴取……というか、なぜ、休日が取れないのかお話を聴くのが仕事です」
「はぁ……」
一気に説明を受け、疲れきった谷川の頭は混乱している。そんな谷川の様子に頓着することなく、宮本は言葉を続けた。
「それでは谷川さん、あちらのソファーでお話を伺っていいですか?」
そう言って受付の隣にある来客用ソファーに手を向けた。谷川は混乱しつつも宮本に従い促されてソファーに座る。宮本は背負っていたリュックサックからパソコンを取り出し「では早速、谷川さんの勤務状況について伺っていきますね」と言って、カタカタとパソコンのキーボードを叩いた。
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宮本の事情聴取によると谷川の残業時間は月180時間を超える勢いだった。谷川と同じ会社に勤める他の指名手配員 (連勤警察の取り調べを受ける対象になる者)と比べても、群を抜いて谷川の残業時間は多かった。週休二日といっても、必ず取れておらず急な出張で土日も呼び出されている月もあった。
――これはかなり重症だ……
宮本は心の中で一人ごち、谷川にいかに休むよう説得するかを考え始めた。谷川ほどのワーカーホリックになると、最早、休むって何? のような境地になっている。休んだ方が落ち着かないということも多い。
しかし、このままでは、いつ谷川が心身を病んでもおかしくない状況だ。病んでから後悔したのでは取り返しがつかないのだ。
「失礼ですが谷川さんにはご家族がおられますか?」
宮本が尋ねると谷川は、こくりと頷いた。
「谷川さん。大切なご家族のためにも、きちんと休みを取りましょう!」
「はぁ……」
「また失礼なことをお聞きしますが、お子さんはいらっしゃいますか?」
「は? え? えと、小学五年生の息子が一人。結婚が遅かったもので……」
「お子さんのお名前は?」
「充希です」
「じゃあ目を閉じて充希君の姿を思い描いて下さい。今から僕が充希君になりって谷川さんに呼びかけますので。あ、『声が全然違う』とか余計なことは考えないでくださいね」
「はぁ……」
谷川はよっぽど疲れているのだろう、宮本が言うことを素直に聞いて目を閉じた。目を閉じると瞬く間に眠気が谷川を襲う。そんなぼんやりした頭の中で谷川は息子の充希の姿を思い浮かべた。
毎晩、帰宅した時には夢の中にいる息子。その寝顔を見ると疲れの半分はどこかに消えていくのだった。前に一緒に出かけたのはいつだったか。3ヶ月前の日曜日に近所のアスレチック公園に出かけたのが最後だった。
朝に顔を合わせると「おはよ! お父さん頭ボサボサ〜」とからかってくる息子。あぁ愛おしい! そんなことを思っていると目の前に言葉が飛んできた。
「お父さん! 働きすぎ! 仕事休んで僕と遊ぼう!」
その声は充希とは似てもにつかないものだったし、充希は自分のことを「俺」と言う。
そんなにあれこれ違うのに、谷川の瞼の裏にはリアルに充希がそう言っている場面が思い浮かぶ。
――父さんも休みたいよ
谷川はそう思った。そして、そう思った自分にびっくりした。びっくりしすぎて、ぱちり! と目が開いた。すると向かいに座る宮本が目に入った。宮本は優しい笑みを浮かべると谷川を見て、深く頷いた。
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「谷川さん。今、自分の本当の気持ちに気づきましたね」
宮本に核心をつかれて谷川はどきりとした。
「それが大切なんです。自分が休もうと思わないと本当の休息は取れません。休んでこそ仕事のパフォーマンスが上がるのです」
谷川は自分よりおそらく20歳は歳下であろう宮本が、とてつもなく偉大に見えた。宮本の言う通りだ、と神様の言う通りみたいな不思議な感覚を覚えた。
「それでは、谷川さんの休暇申請と働き方を上司に報告に行きましょう。上司も待っているはずですよ」
「は? どういうことですか?」
谷川が尋ねても宮本は「まぁまぁ、ついてきてください」と言うだけだった。
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秋晴れの午後。
芝生の上には黄色と白色のストライプ模様の敷物が敷かれている。そこには大きめのお弁当箱があり、おにぎりや唐揚げ、卵焼き、ミニトマト、ブロッコリーとお馴染みのおかず達が詰められている。
「昼からは噴水広場に行きたい!」
そう言って男児がおにぎりを頬張る。
「着替え持って来てるけど濡れるのは、ほどほどにな」
「充希は昔っからここの噴水広場が好きよね」
「だって、急に出たり止まったりすんのが面白いんだもん!」
そう谷川は土日をしっかり休み、家族と過ごす時間が増えていた。妻や充希の笑顔を見る度、これまでは二人の寝顔しか見てこなかったな、と谷川は思った。これらは家族との時間を大切にする、谷川はそう心に誓った。
ちょうどその頃。
谷川が勤める会社では、宮本が谷川の上司の本田に「あぁ、宮本君!」と呼び止められていた。
宮本が振り返ると本田は恰幅のいい体を揺らしながら近づいてきて言った。
「谷川君の連勤を止めてくれてありがとう。おかげで彼の仕事の能率はますます上がったよ。私も彼の抱えている仕事を精査して、彼の後輩達にも責任を持って仕事するように通達したよ。
全く、部下のことを把握できていなくて恥ずかしいよ。でも、宮本君のおかげできちんと部下の業務を見直すことができた。本当に感謝しているよ」
そう言って本田は頭を下げ、言葉を続けた。
「で、新たに指名手配員の候補がいるんだが、事情聴取してくれないかね?」
「はい。任せてください!」
宮本は爽やかな笑顔で答えた。連勤警察の細やかな動きによって、人々は〝休む〟ことの大切さを知るようになるのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
明日はどんなお仕事が生まれるのかな?