8 刺客
ウィルフレッドが茶会でヴィクトリアーナの怒りを煽りまくった翌日。
「──は?王女は今、この砦におりませんの?」
「どうやら、そうらしいね」
いつ刺客を送って来るかと厳戒態勢を敷いていたが、特に何事も起こらず一夜が明けた。
ウィルフレッドから朝食の席でもたらされた情報は、昨晩中に王女が砦を出たという意外なものだった。
「では、もう危険は去りましたの?」
「いや。既に指示している可能性も考えられるし、刺客を送るだけならどこからでもできるからね。警戒は解かずにおくつもりだよ」
そもそもの情報自体がどうにもキナ臭い──というのがウィルフレッドとその騎士たちの見解だった。
ここは国境砦で、両国の辺境にある。
最寄りの街へは、騎馬で三時間程度で着けるらしいが、規模が小さくあの我儘王女が満足できる宿はないという。
高位貴族に対応できるレベルの宿屋がある大きな街までは、騎馬を駆っても半日以上はかかる為、馬車で夜間に出立して向かったとは考えにくいのだ。
茶会は無事終えたものの、滅多に王族が訪れることのない辺境の地とあって、ウィルフレッドは兵の士気向上を図るためにも視察を行うらしい。
「王女も不在なようですし、わたくし、お部屋で待機させていただいても宜しいでしょうか?」
当初は同行を求められていたが、お偉方を引き連れての視察など面倒なだけだ。
早速引きこもりを申し出てみたが、あえなく却下されることとなった。
「それは認められないな。予定通り、メイア嬢には視察にも同行してもらうよ」
限られた人数での守備態勢なので、一緒に行動していた方が護衛しやすいからと、騎士たちからの励ましはあったものの、私のガックリ感が癒えようはずもない。
「それではメイア嬢。参りましょうか」
「かしこまりましたわ」
ウィルフレッドにエスコートされ、興味もないのに砦の中を見学して回る。
茶会と違って両国の外交担当者たちは奥方を連れておらず、紅一点の私はどう考えても浮きまくっているというのに……。
「──どう思いますか?メイア嬢」
「まぁ、わたくしですか?」
なぜか時々意見を求めてくるウィルフレッド。
我が国の貴族社会に於いて、女性が政治のことを述べるのはあまり褒められた行為ではないとされている。
──なのに、王太子自らがこの振舞いとは、いかがなものか。
ニコリと笑って ”分からないわ” という顔をして答えをはぐらかそうとしても、わざわざ分かりやすく説明してまで意見を求めてくる。
段々とかわすのが面倒になってしまった私は、どうとでもなれという気分で、率直な意見を述べさせていただきましたとも。
多少前世の知識や考え方も含んでしまった気もするけれど、まぁ問題はないよね?
「思いの外有意義な時間を過ごせて驚いたよ。君は随分と多岐に渡った知識を身につけているようだね」
「お褒めいただき光栄ですわ。読書好きが高じて、様々な書物に目を通しましたの。きっとそのおかげですわ」
「本当にそれだけかな?」
最後の言葉だけ、耳元に口を寄せて囁く。
ゾワッとして思わず隣を見上げれば、ニヤリと小さく口元を上げたウィルフレッドが目だけで ”あとで吐いてもらうよ?” と言っていた。
そんなわけで、一日中砦の中を連れ回され、挙句の果てに頭まで使わされた私は、とても疲れていた。
だからスッカリ刺客のことを忘れるなどという考えられないミスをしてしまったのだ。
砦で過ごす最後の夜ということで、晩餐は立食形式の食事会だった。
男性同士で話すのを横目に、飲物を貰おうと目を彷徨わせた私は、背後からグラスを乗せたトレイを持った給仕が近付いてくるのに気付いた。
手を軽く上げて合図しようとしたところで、給仕の男の様子がおかしいことに気付く。
普通、左手でトレイを持ち右手で配るはずが、その男は右手にトレイを乗せ、その下には不自然に下げられた布巾があった。
布巾の陰に男が左手を入れた瞬間、キラリと光るものが視界を横切った。
「あぶないっ!!」
気付いたときには、男とウィルフレッドの間に身を滑り込ませていた。
持っていた皿やカトラリーが床に落ちて大きな音を立てる。
ドンッと強い衝撃が胸元に走り、そこからジワジワと熱いものが体中をかけていく。
逃げようとする男の手首を咄嗟に両手で掴むと、強烈な痛みが走った。
あまりの痛みにクラリと強い眩暈が襲ってくる。
駆け寄ってくる騎士の姿を見て、これで犯人は捕まるとホッとしたと同時に目の前が真っ暗になった。
「メイア!!」
背後から耳元で叫ぶウィルフレッドの声がした。
「う、るさい…ですよ、殿下。鼓膜、破れ、ちゃ…、じゃな、の…」
こんな時に何言ってるんだろうなって自分でも思う。
意識が途切れる寸前、ふと今更ながら思い出したことがあった。
侍女が切りつけたってことだけ覚えてたけれど、その後に、王女の子飼の暗殺者がなりすました姿だったという続きがあったな──と。




