4 腹黒王子の危機
腹黒王子には絶対に近付かないぞ!──と心に決めてから二日。
たった二日で、決意は脆くも崩れてしまった。
昨日の晩、お風呂上りにうつらうつらとしていた私は、ある夢を見た。
お馴染み、前世での小説を読んでいるシーン。
主人公たちが間もなく二年生が終わるという頃に、隣国の動きが怪しくなったというもの。
アレクサンダーはまだ未成年なので直接関わることはなかったが、七歳上の兄王子が交渉の場に出向き、大けがを負ったという話をマリーローナにしているシーンだった。
この兄王子の件については、外伝に詳細が載っていた覚えがある。
その隣国では、王侯貴族の悪政が長年続いており、暴動寸前にまで国が荒れていた。
交渉内容というのは、その国の王女が、亡命目的で王太子に嫁ぎたいというもの。
けれど、元々評判の悪い王女だったことから、王太子妃──延いては王妃の器ではないとされ、王太子本人が出向いて断りを入れたのだ。
そもそもこの時点で、王太子が結婚していないどころか、婚約者すらいないのが問題なのだが……。
数年前、結婚直前で王太子の婚約者が病により急死し、その後、候補者を検討中ということに表向きなっている。
しかし、外伝知識のある私は知っている──婚約者が浮気相手の子を身籠ってしまい、婚約破棄せざるを得なかったことを……。
後日、この元婚約者だった令嬢が登場し、すったもんだあることも。
それはさておき、プライドの高い王女のこと。
自分がフラれたという事実にキレて、刺客を送ってくる。
──実際、隣国の王女はすこぶる評判が悪い。
金遣いが荒いだの男にダラシナイだのは序の口で、気に入らない侍女を自ら拷問してるとか、自分のものにならなかった護衛騎士に処刑命令を出したとか。
国境をまたいでいても恐ろしい噂が引っ切り無しに流れている有様だった。
王太子の元に送られた刺客は、彼女の侍女の一人。
我が国の騎士は精鋭揃いと評判なので、国に帰られる前にと身近な者を使った犯行だった。
着替え中に背後から切り付けられたウィルフレッドは、とっさに身をかわして急所は避けたものの、左腕と左脇腹に大けがを負った。
刺客はその場で捉えられた為、主犯は直ぐに判明し、隣国が潰されるところまでが書かれていた。
カッとなった思い付きで、隣国の王太子を暗殺しようとかどんだけ身勝手な女なんだと、嫌悪感たっぷりで読んでいた覚えがある。
──そう思い返してみると、外伝の内容まで鮮明に覚えている辺り、私がどれだけこの小説を愛読していたかがお分かりいただけるだろう。
本編なんて、繰り返し読み過ぎて指の位置だけ厚みがほんのり薄くなっていたほど読み込んだものだ。
そんな風に前世を懐かしんでいられたのも、ほんの少しの間のこと。
いくら腹黒王子で二度と関わりたくないような相手だったとしても、大けがに苦しむ姿を見るのは人として絶対嫌だ。
いや、お見舞いに行けるような間柄でも身分でもないから、実際に苦しんでるところは見なくて済むだろうけど……。
よくよく考えると、外交にも関わることだし、余計なことに口出ししない方がいいような気もするけれど……。
悩みつつも、無意識に足は学園長室へと向いてしまう。
その入り口で、ウロウロウロウロと悩み続けていると、なぜか──本当になぜこのタイミングなのか、学園長を訪ねてきたご本人と遭遇してしまった。
「おや?奇遇だね、クレアルージュ伯爵令嬢。君がここにいるってことは、何か見えたのかな?」
キラリと光った鋭いまなざしが怖すぎて、黙って頷くよりなかった。
「別の用件で学園長に話があったのだけれど、今日足を運んで正解だったようだ」
ニコリと優し気な微笑みを浮かべるのに、なぜか背後から黒いオーラが立ち上り、猫がネズミを見付けたかのように目が爛々と輝いて見えた。
先に入室して、まるでエスコートするかのように、扉の前で振り返って待っている。
その目は ”絶対逃がさないよ?” と言っていた。
──あれ?もしかして、めっちゃ不機嫌じゃないですか?
己の不運を心から悔やみつつ、ウィルフレッドの後に続くのだった。