11 婚約なんて聞いてません
ダンスにまつわる貴族の慣わしをご存じ?
──この場にいる全ての人が知っていることでしょう。
学園最後を彩る大舞踏会に、ウィルフレッドにエスコートされて現れた私に、生徒たちだけでなく教職員や親類として参加している大人たち皆の視線が集中した。
これまで目立たず地味にボッチで過ごしていたはずの変わり者令嬢が、なぜかこの国の王太子殿下にエスコートされているんだから、誰だって不思議に思うはずよね。
王族に連なる子息令嬢が卒業生にいる場合しか設けられないはずの貴賓席に、これまた何故か並んで腰を下ろしたものだから、もう会場中の目が釘付けと言っても過言じゃない。
学園長の祝辞を聞いた後、メインの催しとなる卒業生のダンスタイムが訪れた。
ファーストダンスは、親族・婚約者と決まっている。
他人であれば、最初の曲は見逃し次曲以降から踊る。
続けて二曲踊るのは、夫婦や婚約者だけで、周囲への牽制や関係が良好であることを示す方法でもある。
三曲以上踊るのは、余程仲の睦まじい二人だけだ。
本来ならば、エスコート役の兄とファーストダンスを踊ってその場を離れるはずだった。
なのになぜ、ウィルフレッドと二曲目三曲目と踊らされているのだろうか──。
「あのぅ…もう、三曲目になりますが…」
「うん。そうだね」
──そうだね、じゃなぁあい!!と叫びたいけれど、この場でそんなことができるはずもなく。
「わたくし、病み上がりで少々体力の方が…。申し訳ございませんが、休憩させていただけませんでしょうか?」
「そう?では、バルコニーに出て、少し涼もうか」
やっとダンスからは解放されたものの、そっと腰に腕を回されて、人目を避けたバルコニーへと促される。
背中に数多の視線をグサグサと突き刺されながら…。
人目のないところで二人きりになるほうが、ダンスより余程外聞が悪い。
それがどういう風に見られるのか、王族であるウィルフレッドなら、私より余程分かっているはず。
まるで ”誤解を招きたい” かのような振舞いに、思わず震えが走った。
「寒いかい?……もっと近くにおいで」
「殿下──」
まだ人目がこちらに集中していることを分かっていて、わざと作られた甘い声で引き寄せてくる。
しかし、背後から見えないところでは、腹黒い微笑みが私を見下ろしていた。
こちらも負けじとジト目で返せば、仕返しとばかりに、抱き締めるかのように更に引き寄せられた。
「無用な憶測を生みますわ。放してくださいまし」
「構わないよ」
「わたくしは構います」
背後の喧騒をどこか遠くに感じながら、身形が崩れない程度に身動いで抵抗するも、完全に面白がる目をしているウィルフレッドが力を緩める気配はない。
「君は私の婚約者候補だろう?」
「まあ!そのお役目は、数日前に終えたはずですわ」
「残念ながら、まだ継続中だよ。……少なくともあと数日は、ね」
「数日とは曖昧ですこと。継続する必要性も思い浮かびませんけれど」
会話しながらも何とか体を離そうと試みたものの、騎士団に混ざって訓練を行っているウィルフレッドと、重いものなど殆ど持たせてももらえない伯爵令嬢では元々の筋力が違いすぎるらしく、全くもってビクともしない。
無駄な努力は早々に止めて、力を抜いて身を任せれば、頭の上でウィルフレッドが小さく笑う気配がした。
「そうそう、諦めが肝心だよ。……君は ”未来視の能力” を証明してみせた。そんな稀有な存在を、私が──そして王家が、逃がすと思うかい?」
「え…?」
「君が眠っている間に、王太子である私と君の婚約が調ったよ。国王とクレアルージュ伯爵の間で、既に調印が取り交わされている。……逃げられないよ」
顔を覗き込むようにして額同士がこつんとくっつくと、霞みそうな程近い距離でニヤリと悪魔が微笑んだ。
「──は?こ、んやく?」
あまりのことに声が掠れてしまうほどに、衝撃的な出来事だった。
「そんなに見開いたら、瞳が零れ落ちてしまうよ?」
「ひゃあ!?」
甘い声で妙なことを囁きながら、ムニュッと目尻にウィルフレッドの唇が押し付けられる。
室内から甲高い悲鳴が上がったが、それどころじゃない。
「こここ…」
「こ?」
「婚約なんて聞いてませんわ!何かの間違いですわよね!?ね?悪い冗談だと、悪ふざけが過ぎたと、そう言ってくださいまし!」
思わず扇を放り、ウィルフレッドのシャツを掴みグラグラと揺する──実際に揺れたのは自分の体だけれど。
「まさか。冗談でも悪ふざけでもないよ。既に決まったことだ」
「そ、そんなぁ…」
「ふふふ。未来視の能力のことは公表できないからね。学園で偶然に出会い、お互いに一目惚れしたことにするらしいよ。民は王族のロマンスを好むからね。私は今日から ”君にベタ惚れ” という設定だよ、婚約者殿」
数日後に元から予定されていた王宮の夜会で婚約発表が行われ、一年後には式を執り行う手筈で動いていると囁く腹黒王子に、思わず眩暈がして寄りかかってしまう。
力の抜けきった体を難なく受け止めて、ウィルフレッドはそっと顎に指をかけた。
「これから、末永くよろしくね。メイア」
降ってきた口づけに、室内から今日一番の悲鳴が響き渡ったのだった。




