決着
「団長、アンタやっぱスゲーよ」
閃光が収まる。放たれた聖剣は深々と地面に突き刺さっていた。
傍ら、騎士が剣を杖代わりに何とか立っている。
その左腕、聖剣を受け止めた大盾は消失していた。
「一応、これは魔王をブッ倒した技なんだけどな」
ふざけろ、と悪態を吐く余力すら、今の騎士には残っていない。
勇者は加減をした。アレは身体強化魔法、加速魔法を組み合わせて乱暴に聖剣を投げる技だ。となれば、わざわざ空中に跳び上がる理由がない。
騎士の突撃と同じだ。踏み締める大地があってこそ、その真価は発揮される。
そうしなかったのは。
防御結界か。
聖剣はあらゆる魔法を否定する。何十人の魔法使いが集まったところで、それが魔力による防壁であるなら問答無用で打ち砕かれるはずだ。
だから威力を下げ、地面に投げた。
騎士が生き残ることができたのは勇者の配慮があったからだ。
「相変わらず、ムカつくやつだ」
「おお、喋る元気は出てきたか。それとも、時間稼ぎかな」
虚勢か、矜持か、騎士が剣を構え直す。左腕を失くした肩から、滝のように血が溢れた。
「死ぬぜ。団長。今ならまだ何とかなるはずだ」
聖剣による傷は回復魔法を拒絶する。対処が遅れれば命はない。
或いは、もう手遅れだろうか。
「もう既に勝った気でいるな」
「違うのか?」
「俺はまだ立っている。そして、お前は聖剣を手放した」
「腕の傷は?」
「それが無いのは、お前も一緒だ」
騎士の言葉に、勇者の口の端が吊り上がった。
「それはどうだろう。俺には奥の手の、さらに奥の手がある」
「何?」
「まぁ何かと条件付きのヤツなんだけどな。この感じだと使えそうだ。良かったぜ」
「何が言いたい」
「ここは負けを認めてくれ。できれば、俺もアンタを殺したくない。奥の手も見せたくないしな」
勇者の戯言に、騎士の口元も三日月に歪んだ。
「ハッタリだな」
「試してみるか」
「いつものお前通りだ。打つ手がないとなれば、相手を口で丸め込ませようとする」
「だから、試してみるかって言ってるだろ」
勇者がゆっくりと右腕を広げた。
「アンタが負けを認めれば、アンタは命が助かって俺も奥の手を使わずにハッピー。まだ戦うなら、俺が奥の手を出してアンタを殺す」
微笑みから、真意は伺えない。
「お前は俺を殺したいのではないのか。さっさと奥の手を使えばいい」
「試してるんだよ。アンタを」
「では、俺もお前を試そう」
余裕ぶっていた勇者の顔が、ここで驚きに変わる。
「いいぜ。何か聞きたいことがあるのか?」
「お前が望む世界の半分とはなんだ」
「ああ、そんなことか」
「お前はこの戦いが終われば魔界に戻ると言っていた。この世界の半分を手に入れて、何がしたいんだ」
「別に。単なる俺の趣味だよ」
容量を得ない返答に、騎士が怪訝な表情をする。ゴフッと咳払いすると、地面に小さな血溜まりができた。
「悪い。時間がないな。とはいえアレだ、俺が望む世界の半分なんて考えりゃわかるだろ」
「わからないから聞いている」
「団長さんよ。じゃあ、この世界には大きく分けて2種類の人間がいるだろ。わかるか?」
騎士の表情は変わらない。勇者は呆れた、と大きなため息を吐いた。
「男と女だよ」
「は?」
「俺が欲しい世界の半分ってのは、こっちの女を全部俺のモンにさせろって事だ。世界は人間のものだからな」
「貴様、そんなことが願いなのか」
「向こうにも美人はいるんだけどなー、目付き羽付き角付きは当たり前、色白美人かと思ったら歩く死体とかそんなのばっかで」
「もういい。死ね!」
にこやかに話していた勇者の表情が、騎士の返答に凍りついた。
「そりゃあ、結局戦うってことでいいんだな」
「無論、貴様はここで殺す!!」
「残念だ」
戦闘状態へと意識を切り替えた騎士は、まるで空気がねばつくような息苦しさを感じた。
明らかな違和感。
勇者が笑う。
「今ここは、魔界と同じだ」
魔力を完全に遮断する結界の中でアレだけの魔法を撃ったのだ。霧散した魔力は行き場を失い、空気に溶けていた。
空間を満たす魔力の濃度。魔界のそれはこちらの世界のそれより極めて高い。向こうの魔力濃度に慣れていた勇者にとって、こちらの世界はまるで水の中にいるような感覚だった。
だがこの場所は、殺し合いの結界の中は、魔界の魔力濃度に近づいている。
騎士は気づいた。先ほどの一撃。王の黄昏という技が地面に放たれたのは、確かに結界を破壊しないためであったが、それはあくまで勇者自身のためだったのだと。
他人への配慮。気遣い。そんな生やさしいものではない。それはもし騎士が必殺の一撃を耐えた後にも、この奥の手が使えるようにするための布石だった。
この状況でこそ使える奥の手を、魔の時刻が訪れた時の技を、勇者は確かに持っていた。
「禍刻」
大量の魔力を吸い込んだ勇者の姿が変貌する。
巨大な翼と鋭い角。欠損を補うように鱗のついた左腕が生え、強靭な尾が地面を叩く。
充血した瞳。勇者の変貌は、かつて魔王と呼ばれたものに酷似していた。
「なっ、おっ」
騎士から、それ以上の言葉は出なかった。
直感でわかる。もはや勇者は別次元の強さに至っていた。真っ当に戦うべき相手ではない。
握っていた剣を放り捨て、騎士は地面に刺さった聖剣に手を伸ばす。
勇者の力が魔界で手に入れたものなら、聖剣の退魔の力が通じるはずだと。
誇りと矜持を捨て、生存本能が最後に縋り付いたのは、奇しくも憎い相手の得物だった。
聖剣の柄を握りしめ、全霊をもって引き抜く。
「お前に抜けるわけないだろ」
その体勢のまま、騎士は事切れた。
一瞬の踏み込みによって放たれた勇者の拳が、騎士の頭蓋を粉砕した。力の抜けた体が、聖剣に縋り付くように倒れる。
「これは、選ばれた者の剣だ」
何事もなかったかのように、勇者が聖剣を引き抜く。悪魔のような姿のまま。
聖剣の光は勇者の魔力を拒絶しない。持つ主として認め、寵愛を注いでいるから、勇者にだけは許されていた。
騎士はわかっていた。だからこそ、憧れていたのだ。
「じゃあな。本当はアンタのこと、あんまり嫌いじゃなかったぜ」
勝者は次の戦いへ。
庭園には敗者だけが残った。