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 少年には、思いついたことがある。彼の母は善い人だ。だが、突如として悪い人へと、変貌する時がある。そして、彼の父は悪い人だ。だが、善くなることも、時としてある。

 少年は思いついて、訳が分からなくなった。『善い』と『悪い』の境が混濁し、溶け合って、神の両手の内にこねられ、人の形となる。この不細工を明瞭に捉えようと欲するのが、少年の思いである。

 彼は想像し、思い描くことができた。故に、その胸にある像を結ぶ為、手始めに絵を描いた。絵には、善人と悪人が確かにいた。善人とも悪人とも判別つかぬ母が、この素性を尋ねた。——その日の母は、善人である。だから、少年を快く賛辞した。

 少年は度々絵を描いた。そして、どれが善人でどれが悪人か、一目で分かるようにしておいた。けれども、少年以外にその絵を見て、区別をつけられるものは不思議なことだがいなかった。

 絵だけでは飽き足らず、文章世界をも構築した。しかし、こちらも少年以外が読んでも、ちっとも要領を得ない。これは、単に能力の問題に尽きる。が、それでも少年の自覚は、はっきりとしているのである。

 少年が絵と文章とを並べて、その目前にあぐらをかき、考え込んでいると、とみにある欲望が湧いてきた。——この世界の中に、自分という『人間』が入り込んだとすると、どうなるのか。

 ずっと少年は、この明るく混じり気の無い世界を俯瞰してきた。渦中に飛び込んでみようなどとは、夢にも思わなかった。が、この時、きっとこの世界に生きるのは面白いと気がついた。それも、自分と言う、一色でない『人間』の介入が、面白いのだと悟った。

 母も父も二重人格である。ならば、少年も二重人格で相違ない。少年は生まれて初めて武者震いを経験した。さて、決めたからには行こう。行くには、騒音などに邪魔されてはならないから、静寂の時を選ぶ必要がある。就寝前が最も適当だ。今夜、少年は旅立つ。

 ——いよいよ降り立った地は、大分穏やかである。背景は夜、影になった山々が向こうに連なっている。少年はぐるりと辺りを見回してみるが、何も無い。俯くと、自分は寝間着姿である。無理も無い。少年は眠りにつくばっかりになって、この世界へと踏み入ったのである。

 ふと顔を上げると、突如そこに丸い顔をした兵士が目に入った。頰をピンク色に染めて、つぶらな目で少年を見下ろしている。巻き毛を兜から覗かせたこの者の背丈は、少年より少し高い程度である。

「どうしたの?」とこの者は高い声で問う。少年は既に確信している。この者は、善人である。

「ここに、迷い込んでしまって……」

「そうか、ならうちに来なよ。温かいスープを、ご馳走してあげる」

 この世界の季節はちょうど冬の口らしい。現実と同じである。スープはありがたい。

 この者に連れられていくと、更地にぽつんと一軒の家が見えるようになる。煙突付きの平屋で、明かりが外に漏れ出している。

「ただいま」とこの者が声をかけると、中にいたおばさんが、「あら」と反応する。おばさんは白い頭巾をかぶっている。目が細くて、皺の寄った優しげな顔つきをしている。少年は、当然おばさんは、この者の母親であろうと思う。

「母さん」とこの者は呼びかけた。ほら、思った通りだ、と少年は勝手に納得する。

「その子は?」

「外で寒そうにしてたから、入れてあげた。スープ作ってあげて」

「はいはい。あなたの分もありますからね」

 少年は、二人が母が良く読み聞かせしてくれた童話の登場人物に似ていると気づく。

 スープは温い。体だけでなく、心まで温まるとはこのことだ。この者が嬉しそうに、少年の飲み干すのを見ている。

「おいしい?」

「うん」

「やっぱり! 母さんの作るスープは世界一なんだ」

「やあねえ、そんなこと無いわよ」

「少なくとも僕にとっては世界一さ、ね、母さん」

「あらあら」

 おばさんはずっと微笑んでいる。少年はご馳走さまを言って、「ありがとうございます」と礼をする。

「いいのよ。……あなた、今日はうちに泊まっていきなさい。外は危ないからね」

「そうだよ。やったー! 僕たちもう友達だよね」

 この者は陽気になる。少年は気になったことを聞いてみる。

「外が危ないって、一体……」

 おばさんは困った顔をする。少年は動揺する。こんなに善い人を惑わせてはいけない、と思う。それでも

「あの……」と言ったきりで言葉が続かない。代わりに、この者が応答する。

「悪人がいるんだ。……あいつらなんて、いなくなっちゃえばいいのに……」

「こら、ミゲル」

「ごめん、母さん」

 少年はこのやり取りで一切了解する。

 この者と少年は、寝室で会話を交わす。

「悪人のことだけど……」

「ああ。……あんまりその話はしたくないな」

「……ごめん」

「でも、君もこの世界に迷い込んじゃったからには、知っておかなくちゃいけないらしい。ーーこの世には僕らみたいな、心暖かな善人がいれば、冷たい悪人もいる。どうしてなのかな」

 少年は黙って聞いている。

「僕らは、お互い相容れないから、よく喧嘩をする。本当は喧嘩なんか、したくないんだ。相手が悪人だって、殺したりはしない。そんな恐ろしいこと、できないもの」

「悪人が善人になったりはしないの?」

 少年のふとした問いかけに、この者は仰天してひっくり返ってしまった。

「へ、へえ? 何だって?」

「いや、だから……」

 少年はちっともおかしくないつもりである。

「悪人が善人に更生したりすることは無いの?」

「こーせーだって? 初めて聞いたな、そんな言葉。……ねえ君、君って、名前なんてゆーの?」

「……ゆうき」

「ユーキか、そーか。僕はミゲル」

 この者は頰のピンクをいよいよ膨らませて、胸を張った。

「ミゲル……」

「そっ、で、僕は善人。ーーねえ、ユーキ、ユーキの理論で言うと、僕らが悪人になっちゃうこともあるってわけ?」

「うん」

「へー! 面白いな、でも、あり得ないから」

 この者は自分が善人であると信じて疑わない。少年もそうであると、全面的に認める。ーー少年はこの時、善人である。

「ユーキは、やっぱり善人だね」

「そうかな」

「うん、そうだよ」

 二人は一通り語り合うと、トランプやボードゲームをしね遊び、それから眠ることにしたーー

 少年は、とりあえず、ここで一旦覚める。この続きはまた明日の夜ということになる。

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