第80話 決勝戦㉑
真下には、無防備な少年の姿が見える。
右手を掲げ、目を閉じ、致命的な隙を晒している。
(……何か、来る)
しかし、ボルドは本能的に察していた。
相手は類まれな強者。ここで諦めるわけがない。
こんなあっけない幕引きで、試合が終わっていいわけがない。
「――」
それでも、蹴りは進行する。容赦なく頭を狙い、迫り続ける。
大量のセンスがあろうと、防御に使わなければ、意味をなさない。
このまま接敵すれば、あっけなく決着がつく。そんな時のことだった。
「蛇咬爪」
目を見開き、ジルダは、左手を右手の下に添え、言い放つ。
両手には空色のかぎ爪。接触するまでのわずかな間に爪は振るわれる。
(そう、こなくては……っ!!)
自然と口端は上がり、心はこれ以上なく高ぶりを見せいていた。
◇◇◇
一分一秒にも満たない時間。
コンマ数秒の時の流れにジルダはいた。
「――」
両手には爪を纏い、眼前には蹴りが迫ってました。
上空数百メートルからの蹴り。速度は想像もできません。
それでも、間に合います。そう思えば、きっと実現するんです。
時間も速度も関係ありません。物理的法則の外に、意識を置くんです。
「……らぁぁぁッ!!!」
放たれたのは、第二の牙でした。
両手の爪を牙に見立て、口を閉じます。
時間も速度も無視して、牙を突き立てました。
狙いは迫る右足。センスが集中した相手の起点です。
◇◇◇
時間と速度の法則に反し、ジルダは両手を閉じる。
まんまと飛び込んできた獲物を食らうように、牙が襲う。
右足は前に突き出している。ここから軌道修正することは困難。
(並みの使い手なら、ここで決着。であろうな……っ!!)
ボルドは臆することなく、足をそのまま突き出している。
差し出す覚悟をしたからではない。勝てる見込みがあったからだ。
「戦闘武踊――山羊の戯れ」
打ち出すのは、一の武踊。原点回帰。新たなる境地。
限界の先に見出した武の循環。踊りの螺旋。自然の理。
右足には二本の角が生え、迫りくる牙を受け止めていた。
◇◇◇
ボルドさんは、とんでもない荒業をやってのけました。
最初に振る舞った武踊を、この土壇場で再演してきたのです。
放った牙は二本の青い角に受け止められ、蹴りの勢いは止まりません。
「……うぐ、ぐっっ!!!!!」
上空数百メートルの落下速度が乗った蹴りの質量が、体に襲い掛かります。
ドスンと足元の砂地はへこんでいき、受け止めた両手は引きちぎれそうです。
絶体絶命の状況。奥の手はもうありません。このままだと、敗北は濃厚でした。
(さすがは、ボルドさん、ですね……っ!)
それなのに、不思議と笑みがこぼれます。
逆境も苦境も困難も楽しくて仕方がありません。
勝つべくして勝つのは、正直、飽き飽きしていました。
負けるべくして負けるのも、悔しさだけが募っていきました。
勝つか負けるか分からない、命懸けの勝負だからこそ面白いのです。
それが今やっと分かりました。理解できました。骨身に染みていきました。
(おかげで、やっとたどり着けそうです。課題の先の境地に……!)
可愛いを極めろ。弱いのが可愛い。弱くて強いのが可愛い。
弱いのは悔しい。強いのはつまらない。追い求めるのは、その先。
「……っっ」
意識を集中して、全身に押し集めるのは、大量のセンス。
今まで野放しになっていた、使いどころのない過ぎた力です。
その間にも、足元は沈み、体ごと地面にえぐれ込んでいきました。
(起死回生の技も、傍若無人な力も、ボクには必要ありません……っ!)
集めたセンスにオーダーを送ります。
勝つためでもなく、負けるためでもないやり方。
瞳に意思が宿るのを感じます。心に火が灯るのを感じます。
「止める……。止めてやる、です……っ!!!!」
突き出した両手は、相手を殺すために振るうものではありません。
武とは、戈を止めると書いた文字。過去のお父様の発言は正しかった。
『やられる前に止める。それが、僕の選んだ道なんです』
頭によぎるのはドローンに記録された、『血の千年祭』の映像と音声。
弱くても自分から困難に立ち向かい、その身一つで事件を止めていました。
一時的とはいえ、あの大司教様を、物理的にも精神的にも上回っていたのです。
(お父様の理想は、ボクの心にも根付いていた……)
見ないようにしていました。考えないようにしていました。
お父様だと意識しないようにしていました。素っ気なくしていました。
でも、無理なんです。表面は偽れても、内面までは、決して偽れやしないのです。
(だから、だから、だからぁぁぁぁぁぁぁぁああああああっ!!!!!!!)
心の雄叫びを上げ、あり余るセンスを一か所に集めます。
ボルドさんのように、精度の高いセンスの操作はできません。
だけど、センスを緩衝材のように、足元に集めるぐらいはできます。
「……っ、……っっ、……っっっ!!!!」
それでも簡単には止まりません。
砂地を抜け、硬い地面に到達します。
展開したのは足元だけ。他は手薄でした。
だからこそ、体の節々が擦り切れていきます。
このまま粉微塵になって消えてしまいそうでした。
(お父様なら、諦めない……お母様なら、やり通す……)
それでも、背中にはお二人の手が添えられています。
諦めるな、やり通せと、見えない力と勇気を与えてくれます。
(もう、少し……あと、すこし……ほんのちょっとだけ……)
目の前がぐらっと揺らぎ、意識が薄れていきます。
今、何をしているのかよく分からなくなってきました。
それでも、両手は放しません。足元のセンスは解きません。
「……っ」
すると、地面の床が抜けたような感触がありました。
たどり着いたのは、青い松明に照らされる神殿のような場所。
その中心に位置する祭壇のような台座に、足と体で着地していきます。
(これ以上は、もう……)
体中の力が抜けていくのを感じます。
センスも全て使い切ったような気がします。
体もボロボロで、両手を上げるのも辛い状態です。
「み……ごと……」
そこで聞こえてきたのは、相手を賞賛するための言葉。
燃え尽きたように、ボルドさんは体の上で倒れていきます。
『クロスヒットとダウンを確認。両者に100のダメージ。10カウントを開始します』
続いてアイさんの声が聞こえてきますが、頭に情報が入ってきません。
体はもう動きません。どうしようもないって、体が分かっていたからです。
この状態で出来ることと言えば、一つ。ぼんやりとした焦点を少し、絞ります。
「きれい、ですね……」
そこには、大穴と夜空と赤い三日月が浮かんでいました。
止めることができたご褒美としては、十分すぎ、かもですね。




