第73話 決勝戦⑭
「戦闘武踊――駱駝の奔走」
ボルドさんの顔つきが変わり、三つ目の技を繰り出そうとしています。
見た目に変化はありません。数歩離れた場所で、右足を振り落としました。
「……」
武舞台に亀裂が入り、割れ、砕け、足場がなくなっていきます。
ただ、ルール上、場外負けはありません。素直に、砂地へ着地しました。
(砂地を利用した方がいいという判断。テーマはラクダですかね)
モンゴル語は理解できませんが、遊牧に由来してるのは分かります。
最初がヤギで、次がヒツジだと考えれば、簡単に予測できる部類でした。
(ここから、センスをどう絡めてくるのか、お手並み拝見ですね)
焦ることはありません。静かに相手を見つめ、出方を待ちました。
「――」
すると、ボルドさんは、ゆっくりと走り出しました。
走り方は側対歩。踏み出す足と手が同じ、疲れにくい歩法。
こちらに向かってではなく、ぐるりと舞台の外周を回る感じです。
(うかつに触るのは危険。様子見が安定ですね)
そう考えながら、ボルドさんを目で追い続けます。
すると、徐々に徐々にスピードが上がっていきました。
(さっきと違って規則的のようです。奇襲は意味をなさないですね)
規則的な周回を繰り返し、愚直にぐるぐる回っていきます。
ここから襲われても、なんの工夫をしなくとも、受けられます。
(何か意図がありそうです。例えば――)
相手の出方を待っている間に想像を巡らせていくと、動きがありました。
「……」
風がなびき、赤いスカートがゆらゆらと揺らめきます。
最初はそよ風が吹いた程度でしたが、徐々に強まっていきました。
(そう、きましたか)
砂埃が舞い上がり、視界が悪くなっていきます。
風は鋭くなり、武舞台の破片が飛び交っていきました。
まるで、台風の中にいるようです。観客席はもう見えません。
(人工的な砂塵……。少し厄介かもですね)
状況を冷静に分析しつつ、相手の姿を探します。
しかし、視界が悪く、居場所が分かりませんでした。
「――っ」
そんな時、後ろに鋭い気配があり、拳を振るいます。
バシンと音を立てましたが、砂となって消えていきました。
どうやら、飛び交っていた破片に体が反応してしまったようです。
(悪天候は、相手も同じはず、ですが……)
全身に泥を塗りたくられたような、いやな感じです。
一方的に、不利な場に追い込まれた時の感覚と似てました。
「……っ」
すると、再び、後ろに鋭い気配。すぐさま、拳を振るいました。
正体は破片。パシンと音を立て、先ほどと同様、砂となっていきます。
(また、ですか。連続されると感覚が鈍るのが面倒ですね)
ほっとしつつも、改善する気配のない悪天候に、不満はたまる一方でした。
「……ん?」
そんな中、視界の端の砂塵が、わずかに揺らいだような感じがしました。
ほんの些細な違和感でした。破片のせいで過敏になってるのかもしれません。
(絶対何かあるはずです。見落としてはいけません……)
ただ、それを気のせいで済ませるのは、三流のすることです。
警戒心をむしろ引き上げて、違和感を感じた上空に意識を割きました。
「……っ!?」
目を凝らし、ようやく見えた先に、それはありました。
落ちてきたのは、武舞台。直径5メートルはある分厚い床です。
(回避……。いえ、間に合いませんね……)
視界の悪さを利用した、投擲。
砂塵環境に適応した見事な攻撃でした。
環境適応能力に長けるラクダも顔負けの技ですね。
(仕方ありません。受けるしかないよう、ですっ)
そこまで考え、地面を蹴り、真上に跳びます。
目には目を、技には技で応える他ありません。
「――虚空拳極楽」
放つのは、脱力した拳の連打。
当たる瞬間にだけセンスを込めます。
武舞台は砕け、破片に変わっていきました。
(ふぅ……。こんなもの、ですかね)
叩き潰されないほどに床を砕き切り、安堵します。
気づくのが遅かったら、致命傷だったかもしれません。
警戒しておいて正解でした。違和感は放置しちゃ駄目ですね。
(……また、ですか)
地面に落ちるまでのわずかな間。
そこで、また後ろに鋭い気配を感じます。
(普通の使い手なら同じ反応をするでしょうが、ボクは違うです)
これまでのは全て布石。きっと、これが相手の本命です。
後ろを振り向きながら、最大限の注意を払い、意識を傾けます。
「甘い、ですよ!」
放つのは、振り向きざまの右回し蹴りです。
迫った相手を叩き落すような軌道で放ちました。
「……っ!?」
しかし、そこにあったのは、またもや破片でした。
同じ手は三度も使わない。という考えを読まれたみたいです。
(まずいです……。下じゃないということは……)
致命的な隙を晒しながら、首だけ逸らし、上を見ます。
見えてきたのは、砕け残った床から飛翔するボルドさんの姿。
重力に引かれ、こちらが体勢を整える前に、見る見る迫ってきます。
「読みが深いのが浅い。玄人同士の読み合いは未熟のようだっ!」
接敵するわずかな間。ボルドさんの声が聞こえてきました。
達人同士が接敵すると生じる時間の矛盾。超感覚というやつです。
(読みを逆手に取られたようですね。ですが――っ!)
普通なら、ここから振り返っても間に合わないです。
ですが、今は超感覚中。それを利用し、体を反転させます。
背中から地面に落ちながら、体は上空に向き、上が見えてきます。
真上にはボルドさんがいて、拳を振り下ろそうとしているところでした。
「――ッ!!」
「――ッ!!」
真上と真下。振り上げた拳と、振り下げた拳の衝突。
水色と青色のセンスが空中で弾け、淡く消えていきます。
(なんとか間に合った、です……。ここからは……)
ボルドさんの驚くような顔が見えます。
でも、すぐに切り替えたような顔に戻ります。
どうやら、相手も同じ答えにたどりついたようです。
「……うぉぉぉおおっ!!!」
「……やぁぁぁああっ!!!」
互いにお腹から声を張り、始まったのは、手数勝負。
拳がぶつかり合い、蹴りがかち合い、落下していきます。
(拳が重い……。何かきっかけがないと、押し負ける、です……)
重力があるせいで、上側にいる相手の方が拳に威力が乗りやすいです。
徐々に地面へ押し込まれていくのを感じますが、後ろを見る余裕はありません。
「……っ」
そこで見えてきたのは、破片でした。
ボルドさんの真上から、降ってきます。
後ろに目がない以上、見えないはずです。
(使えるものは、全て使うです……)
攻防に意識を割きながら、タイミングを計ります。
今のペースなら、三回目の打ち合いで、恐らくちょうど。
「――」
「――」
手先で気取られないよう、細心の注意を払います。
一回、二回と拳と足はぶつかり合い、三回目が迫ります。
狙い通り、拳大サイズの手ごろな破片が上から落ちてきました。
(……これで、形勢逆転ですっ!)
顔を狙ったように見せかけた右ストレート。
それで破片を粉々に砕いて、相手の視界を奪います。
そう頭に思い描きながら、落下する破片に拳を合わせました。
「……っ!?」
しかし、目の前がいきなり見えなくなりました。
細かい砂粒が、いきなり目に入ってきたからです。
そのせいで手元は狂い、破片への拳は空振りました。
「卑怯とは、言うまいな」
閉じた目の中で、聞こえてきたのは、ボルドさんの声でした。
恐らく、手の中に砂を仕込み、同じタイミングで仕掛けてきたんです。
(読まれたのか、思考が同じだったのか……。どちらにせよ、不覚、です……っ)
悔しい。久方振りに味わう感情が、体の中を巡っていきます。
反射的に、体の奥底のセンスを全て解放したいという気になりました。
(いえ、弱くて、いいんです。負ければ、ボクの夢は……)
その願望を必死で抑え込み、自分に言い聞かせます。
このままボルドさんの一撃を待てば、決着がつくでしょう。
「とどめを刺させてもらうっ!」
そこに、ボルドさんの張り上げた声が聞こえてきました。
念願の負けです。勝ちたい気持ちはそこまでだったみたいです。
チームを組む前から、何も変わってません。身勝手な自己中人間です。
(……これで、いいんですよね)
心は下の下まで落ちていき、続けて、体も落とすだけです。
手を抜いて、加減して、悔しさから目を少し背けるだけです。
(ごめんなさい。ラウラさん、ジェノさん……)
微量に纏っていたセンスも消え、最後の希望もなくなっていきました。
終わりです。これで、正真正銘、全部終わりです。どうしようもありません。
(ボクは、ボクは……)
頭の中は、言い訳だらけになりました。
謝れば、お二人なら、許してくれるはずです。
それで、心置きなくお二人とお別れができるはずです。
「へばってんじゃねぇぞ!! それでも、お前は僕の息子か!!!」
そんな失意のどん底にいた時、聞こえてきたのは、お母様の声でした。
見えないはずなのに、聞こえないはずなのに、的確に応援をしてくれました。
「……っ!!!」
痛いはずの目がパチリと開き、正面を見つめます。
拳は瞳のすぐ前まで迫っていました。でも、間に合います。
いえ、間に合わせてみます。きっとできます。なんとか、するんです。
「ボクはぁぁぁぁああああああああぁっ!!!!」
体中から水色のセンスが迸り、反射的に拳を振るいます。
迎撃が間に合おうと、間に合わなかろうと、関係ありません。
ただ、ボクは諦めなかった。それは変えようのない事実なのです。




