第72話 決勝戦⑬
目の前には、両目を閉じたボルドさんが立っていました。
驚くほど殺気はなかったです。むしろ、無気力のように感じます。
(狸寝入りの上位互換……。睡拳といったところですか)
能力の考察を進めながら、慎重に身構えます。
相手との距離は二歩分。仕掛けるにはまだ遠いです。
ただ、尻上がりの技だと聞いて、待ちに徹するのも考え物。
(ひとまず、触ってみてもいいかもしれません)
そう結論を出し、間合いを計りながら、仕掛けてみることにしました。
「……」
相手の射程に入るかどうかのギリギリの距離。
懐を探るように、慎重に、大胆に、詰め寄ります。
あと少しで、ボルドさんの間合いに触れようとした時。
「――」
それは、ほんの一瞬の出来事でした。
目の前にいたボルドさんは消えていたのです。
(速い、ですね……)
ただ、足音がかすかに聞こえます。
凄まじい速度で移動を繰り返していました。
(でも、音を頼りにすれば問題ないです)
耳を澄ませ、拳を握り、後手に意識を集中させます。
足音は、規則性も法則性もなく、音も距離もバラバラでした。
予測するのは困難な状態です。それも、いつ来てもおかしくありません。
「――」
そう考えた瞬間、音が一際大きく、距離も近く感じました。
気配は真後ろ。普通なら、振り返って迎撃がベターな流れです。
(予測不可能なものは予測不可能なことが、予測できるです)
膨大な経験から導き出された直感。
それが後ろではない、と語りかけてきました。
難しく考える必要はありません。心に身を任せるまでです。
(大司教様。お力をお借りするです)
狙いは背後ではなく、誰もいないはずの正面。
型も技も心得があります。後は思いを乗せるだけ。
「――虚空拳黄泉」
突き出したのは、脱力し切った右の拳。
速さも、強さも、何もない、赤子のような突き。
腕が伸び切る瞬間に、ほんの少しだけ、センスを込めます。
「――――ッッ!!!」
目の前には予測した通り、踵落としを放つボルドさんの姿。
放った拳は、吸い込まれるように、相手の鳩尾を捉えていました。
(手応えあり、です)
踵が脳天に落とされるまでもなく、ボルドさんは飛ばされていきました。
『クリティカルヒットを確認。敵に200のダメージ。敵残り体力800』
どうやら、急所だったようです。
受け身は意図的に取ったみたいですね。
目を見開いたボルドさんが、前に見えました。
殴られたことで、トランス状態が解けたっぽいです。
「……ふぅぅ。見事。無軌道を逆手に読まれてしまったか」
ボルドさんは息を整えながら、素直に褒めてくれました。
嫌な感じはしません。ただ、満たされない感じの方が強いです。
「……」
弱いのが可愛い。という価値観に沿って、戦ってきました。
そのせいで、強いことを褒められても、あまり嬉しくないのです。
弱くて強いのも可愛いとも言われましたが、分からなくなってきました。
(可愛いを極めろ、という課題は、思ったより難しいですね)
思い出すのは、大司教様に出された最後の課題です。
抽象的なせいで、目的に近づけてるのか一向に分かりません。
(勝ち負けも重要ですが、課題にもそろそろ答えを出さないと、ですね)
複雑な心境のまま、試合に意識を傾けていきました。
「弱さを極めようとした先の脱力。拙者にはない武の高みに至りつつあるな」
そこで耳に入ってきたのは、聞き流せない言葉でした。
(……そういう、ことですか)
弱いのが可愛い。弱くて強いのが可愛い。可愛いを極める。
課題を出された意味が、今やっと分かったような気がしました。
「これぐらいで驚いてもらっては、困るですね。本領はまだこれからです」
この調子なら、本当に掴めるかもしません。
可愛さを追い求めた先にある、自分だけの境地に。




