第68話 継承
別棟での騒動より三年後。ギリシャ劇場地下の神殿。
周りは青い松明で照らされ、地面は黒い影に覆われている。
入り口付近に立っているのは、黒いバニースーツを着たメリッサ。
両手には白と黒の手袋。足元には骨と肉片と衣服の切れ端が落ちている。
「助けにきたっすよ、先輩。あの時みたいにね」
そして、メリッサは三年前と同じように上から目線で言い放つ。
頼んでもねぇのに、全部こいつの手のひらの上。あの時と変わらねぇ。
「……またごっこ遊びのつもりか。助けてくれって、いつ頼んだ!」
いつもいつも先回りして、過保護なまでに干渉してきやがる。
初めは、可愛いもんだと思ってた。実際、何度も助けられたしな。
だけど、もう、うんざりなんだ。こいつに人生を引っかき回されるのは。
「先輩の露払いごっこほど、楽しいものはないっすからね」
すると、メリッサは悪びれることなく、告げてくる。
冗談なら笑って済ますが、こいつの場合、本気だから性質が悪い。
「あいつはっ! あいつはな……っ!!」
ラウラはバニースーツの胸倉を掴み、行いを責め立てようとする。
ただ、上手く言葉が出てこねぇ。あいつの素性をよく知らねぇからだ。
「ジェノ・マランツァーノ。未来のジェノ・アンダーソン。組織『ブラックスワン』に属する元代理者。蝙蝠型の聖遺物を所持し、能力は記憶の回帰と忘却。ダンジョン『コキュートス』で洞窟男の魔眼を入手し、適性試験合格。本誓約前に組織から逃走。目的は不明。……ただ、先輩を犯そうとしたっす」
すると、メリッサは聞いてもねぇことをぺらぺらと語る。
なんの同情の余地もない、心底くだらねぇ犯行動機つきでな。
「……そんなのが、殺していい理由になると思ってんのかっ!!!」
胸倉を掴む手の力が、自然と強まる。
責められる立場じゃねぇのは、分かってる。
だけど、そんな理由で納得できるわけがなかった。
「おい、その辺にしとけ。責めても死人が帰ってくるわけじゃない」
そこに割って入るのは、黒スーツを着た銀髪の青年ジャコモ。
黒いシルクハットのツバに手をかけて、軽く脅しをかけてきやがる。
「……雑魚は引っ込んでろ!!」
声を荒げるラウラは、空いた左拳に白いセンスを込め、放つ。
狙いは横手に立つジャコモの顔。そこに目掛け、拳は振るわれた。
「――ッ」
ガキンという金属音が響き、地面を擦る音が聞こえる。
手応えはあった。だが、いまいち殴り足りねぇような感触。
恐らく、鋼鉄仕込みのハットでとっさにガードしたってところか。
「……強くなったのは、お前だけじゃない」
数歩下がった距離で、ハットを片手に持ち、ジャコモは述べる。
体には赤いセンスが纏われていて、以前に比べて、光に鋭さを感じた。
「外野は黙ってろって言ってんだ! 僕とこいつの問題だ!」
雑魚じゃねぇのは、認めてやる。
ただ、口出しされるのは、筋が違う。
殺したのは後輩だ。こいつは死因じゃねぇ。
「俺も加害者だ! 見たら分かるだろ。視神経腐ってんのか」
そこでジャコモは、誇らしげに加害者であることを主張する。
加害したように見えて、そうじゃねぇんだが、説明すんのが面倒だな。
「いや、それについては同意っす。この件には口出し無用っすよ」
そう思っていると、メリッサは加勢するような形で口を挟んでくる。
この件に関しては意見が一致してるらしい。あいつが納得するかは別だが。
「……姉御が、そこまで言うなら」
ただ、意外にもジャコモは大人しく食い下がっていく。
しつけられた犬みてぇだった。借りでもあるのかもしれねぇな。
「……それで、先輩はこの件について、どう落とし前をつけさせたいんすか」
すると、すぐにメリッサは話を戻してくる。
それもちょうど切り出したかった話題を添えてな。
「殺した責任を取れ。死んだこいつの目的を、お前が代わりに叶えろ」
ラウラは足元に散らばる肉片を見て、言い放つ。
後輩を独房にぶち込んだところで、ご褒美にしかならねぇ。
罪を償わせるにはこれしかなかった。どうせ、反論してくるだろうがな。
「分かったっす。――朱雀、こっちに来るっす」
しかし、意外にもメリッサは提案を受け入れ、明後日の方向を向く。
そこにいたのは、一匹の黒い蝙蝠。声に従って、一直線に迫ってくる。
『いいですね。正解。さすがハーバード卒だ』
飛んでくる蝙蝠は爽やかな青年の声で鳴いた。
録音した音声を加工再生したような、妙な感じだ。
(あいつの紹介通りなら、聖遺物か……。確か、能力は……)
考えを巡らせている間にも、メリッサは蝙蝠に手で触れていった。
「う、くっ! 何度やっても、慣れないっす、ね――」
すると、突然、メリッサはその場で、うずくまり出した。
(記憶の回帰と忘却。まさか、あいつの記憶を引き継いでんのか?)
浮かぶのは一つの予想。説明された内容から容易に想像がつくものだった。
「おい、顔が真っ青だぞ。大丈夫なのか」
予想が当たってるにしても、少し様子がおかしい。
だらだらと脂汗をかき、顔色は悪く、視線は右往左往している。
「……持たざる者よ、等しく首を捧げて、慚愧の至りで朽ち果てよ」
返事はなかった。代わりに、メリッサは詠唱を終える。
直後、蝙蝠は輝き出し、白と銀のナイフへと変化していった。
それを両手で握るメリッサは、ギロリと血走った目で睨みつけてきた。
(どうなってる……明らかに様子がおかしい……)
嫌な緊張感が場に満ちていく。
どう考えても、普通の状態じゃねぇ。
まるで、人格を乗っ取られたような感じだ。
「お前は一体……何者だ」
ラウラは自然と、目の前の相手にそう尋ねていた。
知性を持たない人ならざる者。率直にそんな印象を受けたからだ。
「 、 。」
そんな予想が的中するように、認知できない言葉を目の前の相手は話してくる。
「あぁ、面倒な展開だな。いいぜ、かかってこいよ人外。目ぇ覚まさせてやる」
状況を受け入れたメリッサは、拳を構え、人差し指を引いた。
相手が人だろうとそうじゃなかろうと、一発殴れば元に戻るだろう。
素手で聖遺物相手は骨が折れるが、意思のない相手に、負ける気はしねぇ。
「にひっ。冗談っすよ、冗談。演技っす」
と、息巻いてたところに、メリッサは笑みをこぼし、語る。
顔色は戻り、汗は引き、いたって健康そうな表情に戻っていた。
「……ちっ、ふざけやがって。心配して損したじゃねぇか」
反射的に出てくるのは、本音。
普段なら、絶対に口に出さない言葉だった。
(しまった……。こんなこと言ったら、あの馬鹿は……)
ラウラは手で口を覆い、目の前のうざい後輩を見る。
「あれ? あれあれぇ? 先輩、うちのこと、心配してくれてたんすか?」
すると、案の定、言葉尻を捕らえて、うざ絡みしてきやがった。
「お前のことなんか心配するか、馬鹿」
「へぇ。だったら、何を心配してたんすか?」
「……お前の両手にある聖遺物だよ。壊れたら困るだろ」
うざ絡みを続ける後輩に、適当な理由をつけて茶を濁す。
そこで、メリッサは両手に握る、二振りの刃物を見つめている。
「あぁ、これっすか。確かに貴重っすよね」
「そういうわけだ。お前のことは、なんの心配してねぇよ」
「……そうっすか。それなら、これで心置きなくお別れできるってもんっすね」
売り言葉に買い言葉。なんてことはない、いつもの日常的な会話だった。
ただ、メリッサの声のトーンが急に落ちる。選択肢をミスった。そんな感じだ。
「あ? お別れ? どういうことだ」
「いいっすか。うちの攻撃、ちゃんと受けてくださいっす」
疑問に対して、見当違いなことをメリッサは告げてくる。
それも、二振りのナイフをこちらに向け、敵対する意思を見せていた。
「また演技のつもりか――っ!」
と言いかけた時、メリッサは近づき、刃を振りかざす。
反射的にラウラは拳にセンスを集め、そのまま正面に振るった。
「――忘却の彼方」
拳と刃は触れ、二つの異なる振動は共鳴し、在りし日の記憶だけを忘却させた。




