第67話 在りし日の記憶⑪
手の中には、衝撃で起爆するサイコロが一つ。
目の前には、起爆したサイコロを食らって無傷の男が一人。
(まだサイコロはあるが、直撃でほぼ無傷の相手に、どうすりゃいい……)
パイプ椅子に座り、右手を軽く握りながら、ラウラは思考する。
不意打ちは失敗に終わった。もう一度当てるのはどう考えても厳しい。
万策尽きたといってもいい状態だった。今ので手の内はバレちまったからな。
「飛び道具といったところか。まだ一歩も動いていないのが、頂けない」
ジッパーを閉じる音が聞こえる。
金髪の男は陰茎をしまい、立ち上がる。
興味は後輩より、こっちに移ったって感じだ。
どうにか一歩動かして、性奴隷を確定させたいらしい。
「動かしてみろよ。お前を倒すのなんざ、座ったままで十分だ」
人差し指を二度引くように見せ、ラウラは挑発する。
当然、ハッタリだった。サイコロ以上の隠し玉はねぇ。
手の内がまだあるように見せかける三文芝居ってやつだ。
「ハッタリ、にしては威勢がいい。サイコロ爆弾は残り一つ、といったところか」
ご名答。やりにくい中年親父だ。
体だけじゃなく、頭も冴えてやがる。
ここまでやり手だと逆にワクワクするな。
「だとしたら、どうする。投了でもするか? 今なら許してやらんこともないぜ」
適当に会話を繋げ、思考を巡らせる。
議題は、この逆境をいかに乗り越えるか。
時間を稼げれば、光明が見えるかもしれねぇ。
「時間稼ぎが見え見えだな。意外にも隠し玉は、苦戦してる看守長様か?」
金髪の男は戯言に興じながら、一歩、また一歩と近づいてくる。
その通過した隣では、明らかに押されつつあるルミナの姿があった。
「さぁな。素直に教えるわけねぇだろ」
気付けば、密着。金髪の男は、目の前まで迫る。
ズボン越しに隆起した股間が、嫌でも目に入ってきた。
「それなら、その体に聞かせてもらおうか」
男はパキポキと拳を鳴らし、言い放つ。
密着状態じゃ、サイコロは自殺行為に等しい。
しかも、相手はそれを防ぐ何らかの手段を持ってる。
(やるとしたら、あれぐらいか……)
そんな中で浮かんだのは、一つのプラン。
考えるだけで吐き気を催すほどの、やり口だった。
(手段は、選んじゃいらねぇよな……)
刻一刻と迫る、喧嘩に発展するまでの時間。
必死に考えを巡らすも、行きつくのは同じ場所だった。
「……待て。お前、溜まってんだろ。僕が抜いてやるから、見逃せ」
ラウラが選んだのは、ハニートラップ。
女の体を武器にした、古典的なやり方だった。
「ふっ。倒すとは、まさか、私を骨抜きにする。ということか?」
金髪の男は鼻で笑い、小馬鹿にしたように尋ねてくる。
こっちの意図を、全部見抜いた上での発言、なんだろうな。
なんだか小恥ずかしい気持ちになって、発言を撤回したくなる。
「あぁ、そうさ。女には女の戦い方があるんだよ!」
だからこそ、開き直ってやった。
それ以外、勝ち目はなさそうだからな。
寝込みを襲ってやれば、ワンチャンだってある。
「……」
すると、金髪の男は、こっちの顎を手で掴み、顔を覗き込む。
そして、目が合った。真偽を確かめている。そんな印象を受けた。
「なんだよ。じろじろ見やがって、見惚れちまったか?」
目を背けたのは山々だが、瞳を逸らさずに告げる。
ここでヒヨったら負けだ。意地は通さないといけねぇ。
「見逃せ。というのは、お前ら三人か。それとも、お前だけか」
どうやら、気になったのは発言の真偽より、その中身らしい。
確かに、主語が明確じゃねぇ。どうとでも解釈できる内容だった。
(……さて、交渉のテーブルにはつけたか)
悪くはない展開だ。少なくとも興味を示した。
腹パンされて即終了、って最悪のオチは免れたみてぇだ。
(後は、どっちを選べば気を引けるか、ってとこだな)
提示されたのは、表面的な二択でしかねぇ。
どっちを選んでも、こいつはここで始末する。
その心持ちは変わらねぇし、相手も分かってる。
内容次第で話に乗ってやる、ってところだろうよ。
(茶番も茶番だが、嘘をつけば見抜かれる、か……)
未だに目は合ってる。心を見透かすように、見つめ続けてやがる。
やるなら、本心の勝負。その後は、ノリと根性でどうにかするしかねぇ。
「僕だけ見逃せ。そのために体を売ってやる」
綺麗ごとを並べてもこいつにはきっと、通用しねぇ。
だから、今、素直に思っていたことをそのままぶつけてやった。
助けたい気持ちもあるが、助かりたい気持ちもある。自分に嘘はつけねぇんだ。
「……」
金髪の男は、目を鋭くして、瞳の奥を覗き込んでくる。
どっちでもない時間が続き、嫌な緊張感が体に満ちてくる。
失敗に終わったら、玉砕覚悟だ。右手ごと、爆弾をくれてやる。
「――気に入った。お前の体は私が貰い受ける」
だが、男は顎から手を放し、満足げに言い放った。
本心はどうだか知らねぇが、お眼鏡に叶ったみてぇだな。
「へぇ、意外だな。何が気に入ったんだ」
茶番だろうとなんだろうと、こいつは話に乗った。
その事実は変わらねぇし、それには理由があるはずだ。
「保身のためなら仲間を裏切る。お前は、そういう醜い女だからだ」
なんの根拠があるのか、男は理路整然と理由を告げてくる。
どうせお前は抵抗してこない。そう言われてるようだった。
「あぁ、そうかよ。なんとでも言ってくれ。それよか約束は守るんだろうな」
こいつがどう思おうが、どうでもいい。
大事なのは、身の安全が保証されるかどうかだ。
「お前だけは見逃し、お前以外は助けない。私が保証する」
欲しいところを的確に、男は提示する。
これなら、体を売る甲斐があるってもんだ。
「へっ。だったら、安心だ。こいつを渡しとくよ。起爆したらおっかねぇからな」
そう言って渡したのは、サイコロ爆弾だ。
ヤるには危なっかしくて仕方ねぇ代物だからな。
男はそれを慎重に受け取ると、不思議そうな顔をしている。
どうして、こいつがそんな表情をしているのか、意味が分からなかった。
「やはり、お前は醜い女だな。これは抵抗する最後のチャンスなんだぞ」
ただ、そこまで言われて、はっと気付く。
演技のはずなのに、演技じゃなくなってるってことに。
「……待て。待ってくれ、そいつを返してくれ」
今さら遅いって分かってる。みっともないってのも分かってる。
それでも手を伸ばし、自分から手渡した最後の武器を手繰り寄せようとした。
「そこから動けないのも納得だ。看守長は立ったというのに、お前は保身のために動かなかった。口では仲間を助けたいと言えても、体は違う。自分だけ助かりたくて仕方がない。行動が伴わない。口だけの偽善者。それがお前の本性だ」
男は、迫る手を避けながら、淡々と事実を指摘する。
一つ一つの言葉が心に直接突き刺さってくるようだった。
「うっせぇな! 口だけだったら、危険を承知でここに乗り込んでねぇ!」
それでも、否を認めるわけにはいかなかった。
行動が伴わないってんなら、この場にいねぇんだよ。
ズレたことを言う男にイラつきながら、手を動かし続ける。
「くははっ。ここまでくると滑稽だな」
男は堪えきれない笑いをこぼすように、語る。
当然、サイコロを持つ手を左右に動かし、避け続けていた。
「……何がおかしい! 何も間違ってねぇだろうが!」
それでも、必死で反論して、子供みてぇに盗られたサイコロを追い続けた。
「――死刑から逃れるために、お前はここに来た」
そこで男がぴしゃりと言い放った、一言。
それだけで、動かし続けた手は簡単に止まった。
「……」
自分で何がどうなってるのか、理解できなかった。
いや、頭が理解を拒もうとしていた。だって、それは。
「サイコロはここに置く。図星でないなら、そこから一歩動いてみろ」
すると、男は一歩下がって、地面にサイコロを置いた。
手を伸ばしても、足を伸ばしても届かない。絶妙な距離だった。
拾うためには、一歩前に出ないといけない。でも、一歩、前に動いたら。
「……終わりだ」
「……くっ!!!」
その間にも、アンドレアとルミナの戦いに決着がつく。
ルミナは片膝をつき、再起不能といったような状態だった。
(動けるのは僕しかいねぇ……この状況をどうにかできるのも、僕だけだ)
真っ白になりかけた頭でラウラは考える。
状況を整理して、やるべきことに思考を巡らせる。
「……僕は、僕は」
必死で答えを出そうとする。足に力を入れて前に出ようとする。
「言っておくが、動いて職員の慰安婦になっても、死刑は受けてもらう」
その気力を削ぐように、男は逃げ道を塞いでくる。
なんの言い逃れもできない状態まで追い込まれていく。
「あ……あぁ……」
体の力が抜けていく、目の前がじわりと歪んで見えてくる。
手の形が分からなくなってくる。何が正しいか分からなくなってくる。
(僕は……)
それ以上、考えてはいけない。そう心は叫んでいた。
だけど、抑えられない。思考は止まらない。事実は変わらない。
(なんて醜い人間なんだ……)
自覚してしまった頃には、全てのやる気が失せていた。
戦う気さえ、抵抗する気さえ、仲間を助ける気さえ起こらない。
自分さえよければいい。自分さえ助かればいい。それで頭がいっぱいだった。
「答えは出たな。このまま抱かせてもらうぞ。嫌なら抵抗しろ」
トントン拍子に話は進み、男は約束を果たそうとする。
体を売れば、見逃す。ひいては、死刑からも逃がしてくれる。
いちいち聞かなくても分かる。こいつはそこまで面倒を見るつもりだ。
(……生きるためには、仕方のねぇ、ことなんだ)
そう言い聞かせながら、自分の上着に手をかけていく。
行為には邪魔だ。やるなら、さっさと終わらせた方がいい。
――そんな時だった。
「糸石榴」
目の前には、縦と横に折り重なる糸と血液と肉片。
同時にサイコロは起爆し、事務所中央に穴が開いていった。
「……は?」
目の前が歪んでよく見えねぇ。見間違いにしか思えなかった。
だって、視界の映像が本物なら、主犯格は死んで、逃げ道はできた。
出来すぎだ。ピンチにヒーローが助けに来たぐらい、都合のいいシナリオだ。
「帰るっすよ、先輩。誘拐ごっこはもう十分楽しめたっす」
膨大な情報を頭で処理しきれず、視界は暗くなってくる。
その刹那に聞こえてきたのは、後輩の頭のネジが外れた発言だった。




