第65話 在りし日の記憶⑨
アルカトラズ刑務所別棟三階。事務所。
眼前では、金髪の男がメリッサを押し倒そうとしている。
(このままじゃ……。どうする……っ!)
それを目の当たりにしながらも、ラウラは動けずにいた。
ここから一歩でも動けば、別棟に監禁され、慰み者にされる。
そう言われたことももちろんあるが、それ以上に、分が悪すぎる。
(突っ込むにしても、僕だけじゃ限界がある……)
視線を横に向けると、黒髪の男が睨みを利かせている。
一人で飛び出して行っても、上手くいくビジョンは見えねぇ。
(飛び出すなら同時がいいが……こいつは、やれんのか……)
思考を巡らせながら、ラウラは横にいる人物を一瞥する。
「……」
そこにいたのは、『鉄仮面』の異名を持つ看守。
表情は相変わらず毅然としてやがるが、体は震えていた。
こいつのメンタルは豆腐だ。この状況に、耐えられるわけがねぇ。
(動ける状態じゃねぇか。喝を入れれば動くとは思うが……)
思い出すのは、別棟に入る前に起きた出来事。
弱気なメンタルに喝を入れて、『鉄仮面』を被らせた。
だから、強気に言えば従ってくれるはずだが、問題点が一つあった。
(巻き込んでいいのか……)
自分が失敗して性奴隷になんのは、まだいい。
どうせ、死刑になる身だったから、諦めもつく。
ただ、他人の人生を巻き込むのは、話が別だった。
「意外だな。真っ先に止めに入ると思ったが」
メリッサを押し倒した金髪の男は、顔だけこちらに向け、語る。
飢えた獣のような眼光で、雄の本能をむき出しにしてるのが分かる。
今にも無抵抗なメリッサを組み伏せ、欲望のはけ口にしようとしていた。
(考えてる時間はねぇ。やるなら一人だ。ただ、その前に……)
すぐに考えを切り上げ、腹を決めるが、一つだけ気掛かりなことがあった。
「確認だが、片方が動いたら、動かないもう片方も連帯責任とはならねぇよな」
問題は、動かなかった隣の看守が罰を受けるかどうか。
自分勝手な行動に、他人を巻き込んだら、後味が悪ぃからな。
「それが懸念か。口約束になるが、動かなかった方は手を出さないと保証しよう」
すると、金髪の男は、納得した様子で答えていく。
これで、懸念材料はなくなった。後は出たとこ勝負。
足に力を込め、一歩踏み出せば、命がけの乱闘開始だ。
「……そうかよ。それなら、心置きなく僕一人でぶちのめせるってもんだ!」
己を奮い立たせるように、ラウラは声を張り上げる。
そして、その有り余る勢いのまま、動き出そうとした。
「……っ」
しかし、体には、ある異変が起こった。
足が地面に引っ付いたみてぇに動かねぇんだ。
「どうした? 威勢がいいのは口だけか?」
すぐに異変を察し、金髪の男は煽るように言った。
その手はメリッサの体に伸び、胸を揉みしだいている。
「てっめぇ……」
今すぐにでも、頭を叩き割ってやりてぇ。
それなのに、体はびくとも動こうとはしねぇ。
腕はプルプルと震え、拳を握んのが精一杯だった。
「もういいっすよ、先輩。うちの覚悟は決まったっす」
なんの色もない声音で、メリッサは語る。
視線は天井を向き、何もかも諦めようとしていた。
(……なんで、どうして、この体は動きやがらねぇんだ!)
脱獄したい欲望を断ち切って、ここまで来た。
危険なのは承知の上で、事務所に乗り込んだ。
慰み者にされる覚悟を決めて、啖呵も切った。
そこまでして、まだ足らねぇっていうのかよ。
「そこで指をくわえて見ておけ。後輩が孕み袋になる様を」
金髪の男は腰のベルトに手をかけ、語り出す。
ここが最後のチャンスだ。今なら、まだ間に合う。
あのクソ野郎の顔面を、ぶん殴ってやることができる。
(……動け。動け。動け。動け。動けっ!!)
強く握った手は血で滲み、体は小刻みに震え出す。
あと一歩、あと一つきっかけがあれば動き出せそうだった。
(……くそっ、くそっ、くそっ!! 動けってんだ!!!)
それでも、及ばない。足は力んで、震えて、力が全く入らねぇ。
不甲斐ないにもほどがある。このまま見てることしかできねぇのかよ。
「――」
その時、靴音が聞こえた。
遠くはない距離。すぐ近くからだ。
(……嘘だろ、おい。やめろ、やめてくれよ)
音が鳴った意味は理解できる。
容易に想像がつく。頭に映像が浮かぶ。
「きひひっ。馬鹿な女だ」
次に聞こえてきたのは、下卑た笑い声。
それが示す意味は、もう他に考えようがない。
あらゆる予想は、自ずと一つの最悪な答えに収束する。
「看守とは、規律と秩序の維持に努め、囚人の指導、更生、社会復帰に従事する者。別棟であろうと、職務は全うされなければならない。つまり、アルカトラズ刑務所看守長――ルミナ・グレーゼの前で、この落花狼藉は、まかり通らん!!!」




