第63話 在りし日の記憶⑦
占拠騒動より翌日。アルカトラズ刑務所一階。独房。
二段ベッドの下側に、白黒の囚人服を着たラウラが腰かける。
手には二つのサイコロを持っており、ぐっと握りつぶそうとしていた。
「……っざけんな。こんなバッドエンド。あってたまるかよ」
目が覚めたら、檻の中。いつもの日常が戻っていた。
ただ、これは、一人の馬鹿な後輩を犠牲に得た仮初の日常。
問題の根っこは解決してねぇ。心にはぽっかり穴が開いたままだった。
「出ろ」
そこに現れたのは、黄色髪をポニーテールにした女看守。
黒い制服姿で、黒い帽子を被り、いつも通り偉そうにしている。
すると、格子戸は開き、その手には手錠と、一体化した縄を持っている。
「あ? 今は食事でもシャワーでも自由時間でもねぇだろ」
時刻は昼過ぎ。一番中途半端な時間だ。
外に出られる理由なんて、これっぽっちもない。
「いいから、出ろ」
問答無用で、両手に手錠をはめられ、体が引かれる。
手錠に繋がれた縄を女看守が引っ張り、外に出された形だ。
「……まさか、懲罰房行きか?」
真っ先に思い浮かぶのは、これだ。
占拠は終わったが、看守側の面目は丸潰れ。
形だけでも騒動の落とし前をつける必要があるだろう。
「じきに、分かる」
だが、看守は答えようとせず、歩みを進めた。
縄が引かれ、否応なく体は引っ張られていく。
とにかく今はついていくしかないみてぇだな。
◇◇◇
行き先は、懲罰房じゃなかった。
刑務所の外を出てから、数分は経った。
狭い幅の道路を、看守に導かれるまま、進む。
空は曇り、天気は小雨。傘も差さずに、進み続ける。
「おい、ここって……」
ここまで会話もなく、黙って看守に付き従ってきた。
だけど、口を挟まずにはいられねぇ。だって、ここは。
「別棟から特別に招待を受けた。中で何が行われるか不明だ」
気付いたのと同時に、女看守は説明する。
たどり着いたのは、アルカトラズ刑務所別棟。
男囚人が収容されている、三階建ての監房だった。
(後輩の動向を知る、チャンスってわけか……)
嫌な感じはあったが、空いた心に活気が戻る感じがした。
状況次第じゃ、あいつを助け出せる可能性もあるかもしれない。
(ただ、入ってから手を打つのは、悪手だな……)
これは、恐らく、あの金髪の男が計画したことだろう。
中に入ったら最後。看守も含めて一生出れないかもしれねぇ。
(せめて、前情報があれば、いくらでもやりようがあるんだがな……)
そこまで考えた時、ある違和感が頭に残る。
「中で何が起きるか分からないだぁ……? お前、それでも看守なのか」
考えを整理した上で、ラウラは怒りの矛先を看守へ向けた。
看守は本来、囚人を厳しく監視し、使役するためにある職業。
少し強気に出れば、中の情報を知るぐらいはできたはずなんだ。
どうせ、占拠されたことが尾を引いて、聞けなかったんだろうな。
偉そうなのは、見てくれと態度だけかよ。まじで使えねぇやつだな。
「……」
すると、看守は何も言わず足を止めた。
反抗的な態度を取られると思ってなかったらしい。
「この際だから言っとくが、お前ら看守が不甲斐ないせいで――」
それが、無性に腹が立った。
看守なら言い返してみろってんだ。
「分かっている! こちらの不手際で、迷惑をかけたのも全て分かっている……」
看守は背を向けたまま、声を荒げる。
自己正当化のための、逆切れってやつだ。
言い返してきたのはいいが、最悪の回答だな。
「だったら、情報収集ぐらいやってみせろや! 僕たちの身も危ねぇんだぞ!」
言い合っても意味ねぇのは分かってる。
だけど、言ってやらずにはいられなかった。
看守以前に、人としての危機感に欠けてるからだ。
「――」
その言葉に看守は振り返ると、目が合った。
表情に色はなく、感情を読み取ることはできねぇ。
元々、こいつは、囚人から『鉄仮面』って呼ばれていた。
感情が希薄で、どんな作業も機械のように淡々とこなすからだ。
今みたいに追い込まれた状況だろうが、感情を表に出すわけがなかった。
「なんだ。鉄拳制裁でもしようってか? ……いいぜ、やってみろよ」
ラウラは殴りやすいよう頬を突き出し、煽り口調で言った。
殴られるのは怖くねぇ。むしろ、殴ってくれた方が清々する。
都合が悪くなったら暴力に走るクソ看守って、見下せるからな。
「……っ」
すると、看守の表情に変化があった。
奥歯をぐっと噛みしめたような顔だった。
(はっ、さすがの『鉄仮面』さんも、イラついたってか)
状況を冷静に受け止めながら、観察を続ける。
「――」
次に看守は、腕を震わせながら、拳を振り上げていく。
(ほらきた。そのまま振りかぶって、頬を殴れば仕舞いだ)
予想通りの展開に、心は高ぶっていた。
あの『鉄仮面』の、醜い本性が垣間見える。
そう思えば、殴られるのなんか安い代償だった。
「……」
胸ぐらいの高さまで拳が上がった時、ぴたりと止まった。
看守の表情は、怒っているより、哀れんでいるようにも見える。
「どうした? こいよ。イラついてんだろ? 殴ってスッキリしろよ」
それが、無性に気に食わねぇ。
殴りたいなら、殴ってみろってんだ。
このままじゃ、こっちが悪者みてぇじゃねぇか。
「…………っ」
その煽りに覚悟が決まったのか、拳は再び上昇を開始する。
(そうだ。それでいい。僕をぶん殴って、下には下がいるって思わせてくれ)
期待通りの展開に、にやけが止まらねぇ。
ゲスなことをしてるってのは、自分でも分かってる。
だけど、こうでもしねぇと、心が今にも押し潰されそうだったんだ。
「………………あ?」
しかし、目に飛び込んできたのは、あり得ない光景だった。
看守は振り上げた拳で、帽子を取り、唇をぷるぷると震わせている。
(嘘だろ、おい……。これって、まさか……)
その光景から予想できる行動はたった一つ。
だけど、あり得ねぇ。あり得るわけがねぇんだ。
こいつは、感情希薄な機械人間。『鉄仮面』様だぞ。
囚人に詫びるなんて展開は、プライドが許さないはずだ。
「……ごめんなさい。昨日の騒動は、私が不甲斐ないせいで起きたことです。あの時もっとしっかりしていれば、占拠されることも、囚人番号1111。メリッサさんが人身御供になることもありませんでした。殴りたければ、殴ってください」
それなのに、『鉄仮面』は頭を深々と下げやがった。
その頬には、小雨に混じった、悔し涙も確かに見える。
(……んだよそれ。くっだらねぇ)
ずきんずきんと、心が痛むのを肌で感じる。
見えない針で心臓を突き刺されてるみてぇだった。
ただ、この場において、囚人と看守の立場は逆転している。
「手錠を外せ」
それをいいことに、ラウラは看守に命令する。
断れるわけがない。打算しかない卑怯な手だった。
「……」
従うしかない看守は、何も言わずに懐から鍵を取り出し、手錠を外す。
これなら、看守を人質に脱獄することもできるし、協力もしてくれるはずだ。
「今、僕は何を考えてると思う?」
意地悪な質問だってのは、自分でも思う。
だけど、聞かずにはいられなくなっちまったんだ。
囚人が看守の上になるってのは一生に一度もない経験だからな。
「月並みなら、脱獄したい。でしょうか」
プライドは捨てても、あくまで看守ってとこか。
こっちが考えそうなことは、一発で見抜いてきやがる。
「……三秒間、目を閉じてろ。答えを教えてやる」
続いてラウラは、不安を煽るように、さらに命令した。
これも今の状況なら断ることはできない。打算込みの発言だ。
「はい……」
思った通り、看守は弱々しい返事をして、ぎゅっと目を閉じる。
もはや、『鉄仮面』の異名は、見る影もない。子供みてぇな反応だった。
「……」
今なら、現実から目を背けて逃げることも可能だった。
周りは海に囲まれ、潮の流れも強いが、きっとなんとかなる。
サンフランシスコ沖まで約2キロだ。気合いで泳ぎ切れば、脱獄できる。
(どうあがいても、待ってんのは死刑、なんだよな……)
中にメリッサがいて、助けたい気持ちは十分ある。
だけど、生き長らえたいという気持ちも同じぐらいあった。
現実から目を背けて、逃げ出せば、死刑の恐怖からは解放されるだろう。
(助けに行っても助けられる保証はねぇ。逃げた方が、合理的……)
自分の命と、他人の命。どちらを優先するべきか。
そんなもんは聞くまでもない、分かり切った命題だ。
そこまで考えれば十分。やることと言えば一つしかねぇ。
「――っ!!?」
パシン。と痛快な音が辺りに響く。
看守の顔は強張り、目を見開いていた。
(はぁ……。なんで、こんな面倒な性分に生まれちまったんだろうな……)
ラウラは、逃げなかった。
逃げずに看守の両頬を平手で叩いていた。
「……感想は?」
続けてラウラは、両頬をつねり、その感触と感想を確かめる。
「いひゃいです」
看守は喋りにくそうにしながらも、素直に感想を述べている。
こいつはきっと裏切らねぇ。今のやり取りで、それだけは分かる。
「よし、今のでお前の失態は全部許した。後は中の馬鹿を助ける。協力してくれ」
だとすれば、協力して他人の命を助ける。
自分の命なんかより優先すべき、簡単な命題だった。




