第62話 在りし日の記憶⑥
腹の下辺りがどす黒いもんで満ちていくのが分かる。
殺意と憎悪が、腹の中でぐちゃまぜになった気分だった。
「……てめぇ、んなことがまかり通ると思ってんのか」
その一部が、口からどっと溢れ出す。
体内に留めておくには、気持ちが悪すぎた。
腐った食べ物を、無意識に吐き出す感覚と似てる。
こんなクソみたいな話を聞かされて、スルーできっかよ。
「まかり通ったから、我々は出会うことができた。違うかね?」
金髪の男は、悪びれる素振りも見せず、そう述べる。
己の掲げる大義。ってやつに、酔ってるようにも見えた。
「……っざけんじゃねぇ!! 屁理屈聞きにきたんじゃねぇんだぞ!!!」
執務机をドンと叩き、ラウラは声を張り上げる。
それでも、金髪の男は動じず、真顔でこちらを見ていた。
お前にはなんの脅威も感じない。そう顔に書いてあるみてぇだった。
「……それ以上、動くな」
すると、背後に異様な圧を感じる。
間違いなく、こいつの護衛。黒髪の男だ。
それも、こいつは本気の警告。破れば、殺される。
(……落ち着け。今は我慢しろ。感情的になってもいいことはねぇ)
冷静に状況を受け止め、ラウラは怒りを静めていく。
落ち着いて話し合えば、まだ道は残ってるかもしれねぇからな。
「やめろ。同胞には手を出すな。あくまで標的は看守どもだ」
そこで金髪の男は、手を前に出し、言った。
同時に後ろの圧が、マシになっていくのを感じる。
この調子なら、落ち着いて話し合うこともできるだろう。
(よし、これでいい。……これで、いいんだよな?)
頭はさっきよりクリアだった。その上で、自問自答を繰り返す。
相手の言い分を理解し、状況を把握し、言いたいことをまとめていく。
(いや、いいに決まってる。こっから冷静に交渉して、それで。それで……)
すぐに、考えはまとまった。後は口に出すだけ。
冷静に話し合って、ゆっくりと折り合いをつければいい。
「てめぇらと一緒にすんじゃねぇっ!!!」
そう思っていたのに、振るったのは、右拳。
男の顔面に、野蛮な暴力をお見舞いしていた。
「……満足したか?」
拳は頬で止まり、男の口端からは赤い雫が零れ落ちる。
痛がる素振りも見せず、まるでこちらが悪者のように問う。
どうやら、後ろにいるはずの男は、手出ししなかったみてぇだ。
「ちっ。被害者面しやがって。お前らは加害者なんだぞ」
むかつくのは、むかつくし、許せる気はしねぇ。
ただ、殴ったことで、気分はほんの少しだけ晴れた。
これならなんとか、話し合いの場に戻ることができそうだ。
「勘違いしてもらっては困るな。我々は、まだ何もしていない」
しかし、男は理路整然と自己正当化している。
こういう輩は頑固だし、自分の否は絶対に認めない。
それでも、会話になるだけマシだった。諦めるのはまだ早ぇ。
「あぁ、そうかよ。この際、どっちでもいいが、ともかく、お前らは別棟へ帰れ」
ラウラは相手の言い分を流し、交渉を進めた。
ここには、善悪問答をしにきたわけじゃねぇからな。
「……帰っても構わないが、一つだけ条件がある」
すると、案外、順調に話は進んでいく。
条件をつけてくるのは、想像できたからな。
提案を否定される展開よりかは、随分マシだった。
「聞いてやる。言ってみろ」
どうせ、まともな条件じゃないだろうが、聞く価値はある。
もしかしたら、この占拠を、あっさり終わらせられるかもしれねぇからな。
「お嬢さん方、どちらか一人に、我々の孕み袋になってもらう」
金髪の男は、なんの恥じらう顔も見せず、堂々と己が願望を言い放った。
(そう、きたか……)
ある種、納得のいく回答だった。
こいつらの目的は、『約束の国』の実現。
本棟でも別棟でも、子孫を残せれば条件は同じだ。
「囚人には手を出さないんじゃないかったのか?」
これは、子供レベルの屁理屈だってのは分かってる。
ただ、考えがまとまらず、間を埋めるように言い返していた。
「退去を命じたのはそちらだ。そちらに責任をとってもらうのが筋だろう」
ぐうの音も出ないほどの正論だった。
実際、退去を命じたのはこっちの独断。
囚人側の総意でも、看守側の総意でもない。
「筋、か……。まぁ、それに関しては間違ってねぇな」
実家は、ゴリゴリのマフィアだった。
筋の通し方ってのは、嫌でも染みついている。
その経験から見ても、相手の言い分には正当性があった。
「いや、なに折れようとしてるんすか。もっと強気にいった方がいいっすよ」
それを見かねたのか、ここまで黙っていたメリッサが口を挟んでくる。
言ってることは分かるが、間違ってないと思った以上、意見は変えられねぇ。
「お前は黙ってろ。話がややこしくなる」
どのみち、こいつを孕み袋にさせる選択肢はねぇ。
体を張って看守を救うか、それとも、見殺しにするか。
選択肢はたったの二つ。第三の選択肢なんぞいらねぇんだ。
「存分に話し合ってもらって構わんよ。下の者がいつ痺れを切らすか分からんが」
そこに、金髪の男は、プレッシャーをかけるように言ってくる。
実際、猶予はないだろうな。相手はどこまでいっても犯罪者集団だ。
頭の切れるリーダーがいたとしても、完全な統率なんか取れるわけねぇ。
(背に腹は代えられねぇか……)
限られた時間の中で、思考は自ずと一つに絞られていく。
「仕方ねぇ。ここは僕が、から、だを――」
ラウラは、身を捧げる覚悟を決め、口に出そうとする。
それなのに、急に視界が明滅して、よく見えなくなってきやがった。
「うちが孕み袋になるっす。だから、看守は解放するっす」
一体、何が起きたのか分からず、意識は遠のいていく。
ただ、視界が閉じる寸前、そんなメリッサの声が聞こえた。




