第53話 決勝戦⑨
ギリシャ劇場。武舞台上。
「うらぁ!!!」
響くのは、ラウラの怒号。
勢いよく振り放たれたのは、右拳。
喧嘩で培った泥臭い一撃が、真っすぐ放たれる。
「何度やっても……。無駄……っ!!」
一方、後手に回るオユンは遅れて動き出し、掌底を放つ。
「うぶっ!」
掌底は、放った拳の初速を超え、ラウラの顎を的確に捉える。
瞬間、体は宙に浮き、平衡感覚を失い、気付けば、月を見ていた。
一部が欠けた月。三日月ってやつだ。どんな意味があるかは知らねぇ。
ただ、綺麗だった。勝負のことなんか忘れて、ぼーっと、眺めたい気分だ。
『ヒットとダウンを確認。マスターに100のダメージ。10カウントを開始します』
だけど、そんな甘えが許されるわけがねぇ。
ズドンという音と共にアイのアナウンスが響く。
背中はジンジンして、顎はヒリヒリと痛んできやがる。
(……ちくしょう。これでツーダウン目。リーチってところか)
それでも、頭は働き、状況は把握できていた。
今みてぇに、綺麗に投げられたのは、これで二度目。
試合のルールでは、スリーダウンでTKO。負け扱いになる。
つまりは、もう一度、同じ目に遭ったら負けちまうってところだ。
『10、9、8』
そう考えを整理してると、アイのカウントが聞こえてくる。
ダメージは多少あったが、再起不能になるほどの致命傷じゃねぇ。
「……はいはいっと」
腹筋と背筋を使い、体を起こし、地面に両足をつける。
言われる前に、ファインティングポーズを取り、再開を待った。
『続行可能だと判断しました。試合を再開してください』
すると、面倒なアナウンスを端折り、アイは試合を進行する。
(こいつ……まるで人間みてぇだな)
AIなのは分かってるが、とても機械の行動のようには思えなかった。
声に抑揚がないだけで、中身がいるんじゃねぇかと錯覚してしまうほどだ。
(いや……んなことより、問題はこっちだ)
ただ、すぐに考えを切り替えて、ラウラは前を向く。
そこに立っていたのは、オユン。間違いなく合気道の達人だ。
名前:【オユン・ボルジギン】
体力:【1000/1000】
意思:【50】
体力は変わらず満タン。試合は一方的に不利な状態。
(拳を交わせば何か見えるかと思ったが、微塵も隙がねぇ……)
分が悪いのは分かってたが、それでも、やるしかなかった。
感覚系に飛び道具は使えないってのを、さっき実感したからな。
何かしらの収穫があればよかったが、そう都合よくはいかねぇわな。
「……しゅぅ、しゅぅ、しゅぅ」
そう思っていたところに聞こえたのは、吐息。
息を激しく切らし、呼吸を整えるオユンの姿だった。
(こいつ、もしかして……。いや、どう考えても間違いねぇ……)
そんな状況を見れば、否が応でも、ある答えに行き着いちまう。
「オユン……。さては、お前……死ぬほど体力ねぇだろ」
まさかとは思いつつも、見るからにそうだ。
思ったことをそのまま口に出し、確認を取る。
「必要なのは、対応力……。不要な力は、不要……っ!」
すると、オユンは開き直ったように事実を認めていく。
どうやら、一か八かで攻め続けた甲斐はあったみてぇだな。
「そうかよ。だったら、ひと思いに次の一撃で沈めてやる」
体力を回復させる隙は与えてやらねぇ。
恐らく、次の攻防が、体力の限界だろうからな。
やけっぱちだが、さっきの状況に比べりゃあ、随分マシだ。
「望む……。ところ……っ!!」
オユンは肩で息をしながら、身構え、舞台は整った。
相手の意思は明らかに低い。拳が入りゃあワンパンKOだ。
技量でカバーされてたが、体力不足っつぅ致命的な弱点も見えた。
(頼れる技は今んとこねぇが、僕には親にもらった拳がある)
ラウラはじっと右拳を見つめ、ぐっと意思を込める。
すると、白く輝くセンスが拳に集まり、収束していく。
(ジェノのような破壊力はねぇが、それでも……やるしかねぇんだ!)
そこで気を抜かねぇように、自身を奮い立たせ、余計な思考を振り払う。
名前:【ラウラ・ルチアーノ】
体力:【800/1000】
意思:【2243】
そのおかげか、意思は最高記録を更新。
体はだるくねぇし、これ以上ない万全の状態だ。
「未来も占いも必殺技も、くそくらえ……」
距離は約二歩分。一歩踏み込めば、拳が届く距離。
オユンは距離を調整して、絶妙な間合いを作ってやがる。
この状況は、奇しくも先鋒戦。ジェノ対ザーン戦の最後と同じ。
先攻対後攻。決め手も同じと来た。だったら、余計に、負けらんねぇ。
「こいつが、僕の……全力だぁぁぁぁっ!!!!!!!」
くすぶる劣等感を力に変え、ラウラは大きく一歩を踏み込んだ。
一気に距離を詰め、拳を振りかぶり、力の反動を利用する合気に立ち向かう。
「――」
「――」
拳を放ち、オユンは動き、接敵するまでの間。
感性と神経が一番過敏になる瞬間に、それは起きた。
「……っ!!?」
腹の底を蹴り上げられたような圧迫感が体を襲う。
全身の毛穴がぶわっと開き、嫌な汗が背中を伝っていく。
震えが止まらねぇ。振り上げた拳を止めるには十分すぎる出来事。
(オユンの野郎……。こんな底が見えねぇセンスを隠してやがったのか……)
敗北を覚悟し、ラウラは前を見る。
恐怖半分。賞賛半分。といったところだ。
だが、眼前には、目を疑う光景が広がっていた。
「……ッ!!?」
こっちと同様に、オユンも手を止め、怯えていやがったんだ。
(どうなってやがる。出所がオユンじゃねぇんだとしたら、一体、誰が……)
そこまで考えた時、頭の中には一人の人物の顔が浮かんだ。
灰色髪のオールバックに、褐色の肌をした、左頬に傷がある男。
準決勝の大将戦で戦った、黒いバーテン服姿の、いけ好かねぇやつ。
(こいつは……マランツァーノのセンス……っ!!?)
理解が追いつき、状況をようやく受け止める。
「とどめ……っ!」
そこで動き出したのは、オユン。
さっきと同様の掌底を打ってきている。
「んなくそ……っ!!」
中身を知っていた分、反応が遅れた。
焦りながらも、止めた拳を打ち抜こうとするが。
「余の占いは、外れない……っ!」
遅い。反応も判断も、あまりにも遅すぎた。
掌底は顎を捉え、オユンの決め台詞が聞こえてくる。
(ついて、ねぇな……)
すると、体は宙に浮き、見えてきたのは三度目の三日月。
悔しくて仕方ねぇが、今度はぼーっと眺めることができそうだ。




