第46話 決勝戦⑤
舞台の熱気は高まり、観客は息を呑んだ。
向き合い、構えるのは、小柄な少年と大柄な男。
本来なら、当事者同士が感じる熱気は半分も伝わらない。
なぜなら、観客のほとんどが、意思の力を使うことができない。
彼らが纏う膨大なセンスを観測することは、一部の達人を除き不可能。
「すっげぇ……」
そのはずが、最前列に座る観客。赤髪短髪の青年が声を上げる。
体は細く、白いカッターシャツを着崩す、格闘技に縁のなさそうな男。
それなのに、選手同士の熱気を直に感じ取っている、そんな態度をしていた。
「これが、トップアスリートの世界……」
その隣に座り語るのは、長めの茶髪に毛先が巻かれた女性。
服は背中部分が大胆に見える、黒いバックレスドレスを着ている。
手に汗握る右手には、黒革の小型バックを持ち、ミーハー丸出しだった。
それなのに、状況を理解しているような口振り。その原因はある機材にあった。
「このゴーグル。ここまで高機能なのかよ……。買い入れ検討だな」
二人の両目にかかるのは赤色のゴーグル。
選手が身に着けているものを、改良したもの。
一般人でもセンスを感じ取れる機能が追加されている。
観客の動員が少ない、決勝の舞台だからこそできることだった。
それもここに集まるのは、高倍率のチケットを入手できた、富豪ばかり。
「検討じゃなくて、明らかに買いですよ。社長の目は節穴ですか?」
新商品のプロモーションとしては、抜群の効果を示していた。
◇◇◇
構えるのは、拳。ここから繰り出せる技なんてない。
あるのは、身に余るほどの強大なセンス。銀色のまばゆい光。
最初は出所のしれない力に戸惑っていたけど、一つ分かったことがある。
(これが、『白き神』の力、なんだな……)
自分の力じゃないのは分かる。だったら、答えはそれ以外。
白教の象徴にもなっている『白き神』の力。それしか思い当たらない。
(なんの神様かは、詳しく知らないけど、あるものは全部利用してやる)
ジェノは、右手の拳をぐっと握り込んで、意思を集中させる。
すると、とんでもない量の銀光が集まり、高揚感を与えてくれる。
もし、センスのない一般人に放てば、間違いなく殺してしまうだろう。
でも、大丈夫。ザーンならきっと、受け止めてくれる。それほどの達人だ。
「――」
「――」
視線が交錯するも、掛け合いはもう生まれない。
互いのセンスはこれ以上ないほどの高ぶりを見せている。
後は解き放つだけ。舞台も観客も息を呑んでその時を待っている。
(いつか、自分の力で、この領域までたどり着いて見せる)
ジェノは心に誓いを立て、借り物の力を振るう覚悟を決める。
ザーンとの距離は、約二歩分。一歩分ほど踏み込めば、手が届く。
「……」
どくんどくんと心臓が高鳴る音が聞こえる。
ジェノは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
それでも体はわなわなと震えている。たぶん緊張のせいだ。
だけど、不思議と心地がいい。やることが明確だからかもしれない。
(ザーンさん。あなたをこれから倒します。この拳で)
言葉には出さない。心の中でそう思う。
本来なら、思ったところで、何も起きないはず。
だけど、場の空気は異様なほど張り詰めていくのを感じた。
選手間だけじゃない。会場全体が、緊張感を共有しているような状態。
「――っ」
息が詰まる空気を肌で感じながら、ジェノは駆けた。
掛け声もなく、無言のまま、大きな一歩を踏み出した。
すぐさま、距離は縮まり、敵の懐まで容易にたどりつく。
ジェノは右拳を振りかぶり、渾身の力と意思を集約させる。
(目的は先にダウンを取ること。借り物の技は、必要ないっ!)
力と技は別物。『白き神』の力を借りる覚悟は決めた。
だけど、技だけは、自分の中から生み出たものでありたい。
拳を振るうまでのわずかな時間。考えを整理し、行動を選択する。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
雄叫びと共に振るうのは、なんの捻りもない、右ストレート。
自分のオリジナルであることにこだわった一撃。借り物の中の本物。
言わば、素人の拳。流派を持たない自分が繰り出せる唯一の必殺技だった。
「……神の鉄槌」
対し、ザーンは一貫して張り手を選択。
型も動作も同じように見えた。だけど、違う。
(今までよりも、数段速い……っ)
薄々、分かっていたけど、技の精度が格段に増してる。
見る見るうちに張り手は、右拳を追い抜き、懐に迫っていた。
(良くて相打ち……。悪くて一方負け……)
そんな中、頭は急速に回転し、冷静に状況を分析する。
見るからに、分が悪い。相手の方が一枚も二枚も上手だった。
(いいのか、このまま打ち切って……)
この土壇場で生じるのは、選んだ行動への迷い。
放った拳に怖気が走り、センスと勢いが弱まるのを感じる。
当然の出来事だった。センスとは思いの力。思考が揺らげば弱くなる。
(いや、自分を信じるんだ。今さら、止められない)
すぐに自らを鼓舞して、心を持ち直そうとする。
おかげで、センスも勢いも多少戻ったような気がする。
それでも、張り手の方が速い。肉薄した距離まで迫っている。
(駄目だ。このままじゃ、拳は届かない……)
明らかに劣勢だった。心には再び陰りが見えてくる。
ここから巻き返さないといけない。そんなのは分かってる。
だけど、見えないんだ。ここから逆転できる、明確なビジョンが。
(……待てよ。右ストレートってオリジナルなのか?)
そんな絶望的状況の中、ふとした疑問が頭に浮かんだ。
深く考えるまでもない。右ストレートは、ボクシングの技術。
自分が編み出したわけでも普及させたわけでもない。借りただけだ。
(違うよな。だったら、オリジナルって、なんなんだ……?)
ジェノは、自らに問いかけ、思考は加速する。
張り手が届くよりも速く。拳を振り抜くよりも俊敏に。
異常なほど緩やかに流れる時の中で、一つ腑に落ちたものがあった。
(……そうか。勝ち方にこだわる必要なんてなかったんだ)
至ったのは自問に対する自答。
これ以外ないと思えるほどの結論。
暗中模索の状況から見出した一筋の光。
(見つけたぞ。俺なりの答えを)
打つのをためらった自分の感性は、正しかった。
そう思うことで、弱った心とセンスが活気づくのを感じる。
後は、拳に乗せるだけ。今からでも通用する『技』が一つだけあった。
(喰らえ……帝国で学んだ滅葬志士棟梁の一撃……)
思い浮かべ、イメージして、強く想像する。
憧れ、羨み、真似したくて仕方がなかったもの。
抽象的な概念を、具体的な心象風景にまで、落とす。
赤い絵の具を、真っ白なキャンバスに染み込ませる感覚。
それを馴染ませ、滲ませ、満遍なく、心ゆくまで塗りたくる。
突貫工事にもほどがある作業。それでも、この憧れに、嘘はない。
「超原子拳っ!!!」
言葉と拳に乗せたのは、破壊の権化。
帝国の隠密部隊の最強格。滅葬志士棟梁。
毛利広島が得意としていた必殺の一撃だった。
「……ウスノロ」
すると、ザーンの罵るような声が聞こえてくる。
「うっ!!!?」
直後、張り手が懐に届き、電信柱で突かれたような衝撃が走る。
こっちの拳はまだ届いてない。ザーンの懐まであまりに遠すぎる。
出鼻をくじかれたような感覚。ここで勢いが止まれば待つのは投げ。
肺から空気が漏れ出て、拳に込めた力の何割かは、減衰した気がした。
「らぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
だけど、彼女なら、きっとこうする。
逆境を跳ね除け、力のままに、拳を振るう。
そのイメージに従い、叫び、銀光をほとばしらせた。
「……っ!??」
轟音が鳴り響き。地面は揺れ。砂埃が舞い上がる。
ザーンの驚く表情が見えた頃には、二人の姿は消えていた。
◇◇◇
ギリシャ劇場。石畳の観客席。その最前列にある実況席。
テーブルはなく、硬い石に座り、片手にマイクを握る男がいた。
『おーっと、何が起こった!? 劇場には砂埃が舞い、目視することが困難な状況になっている! ザーン選手の張り手が一歩先に届いたように見えたが、間一髪のところでジェノ選手が反撃を試みたようにも見えた。果たして結果は……』
結果が出るまでの時間。実況者は完璧な仕事を果たす。
状況は五分と五分。どちらに軍配が上がってもおかしくない。
劇場にいる観客の大多数は、試合に圧倒され、声を失っている様子。
すると、砂埃は徐々に晴れていき、舞台で起きたことが明らかになっていく。
「な、なんとっ! こんなことが、起こり得ていいのか……!?」
実況者は声を上擦らせながら、劇場にいる誰よりも早く情報を伝える。
「ありがとうございます、ザーンさん。おかげでまた一つ、強くなれました」
立っていたのは、ジェノ・アンダーソン。
その眼下には、直径3メートルほどはある、大穴。
見事なクレーターが出来上がり、そこでザーンはダウンしていた。




