第43話 決勝戦②
ギリシャ劇場。その中央にある舞台上。
地面は砂利。横幅は50メートルほどある場所。
そこに立っているのは、大柄な男と小柄な少年だった。
「来い。雑魚」
黄色い民族衣装を着た男、ザーンは拳を前に突き出す。
シンプルな罵倒だった。だけど、今はそれが妙に心地いい。
「行きますよ。投げの達人」
相手の人となりを知っている。
必要以上に、怖がる必要なんてない。
工房で投げ飛ばされた時とは訳が違うんだ。
そう考えながらも、拳を前に突き出し、触れ合った。
『決勝。第一試合。先鋒戦。チームラウラ対チームモンゴルの試合を始めます』
アイの無機質な声が響き、本当に負けられない試合は始まった。
名前:【ジェノ・アンダーソン】
体力:【1000/1000】
勝率:【4勝0敗100%】
階級:【白金】
実力:【1758】
意思:【893】
名前:【ザーン・バヤル】
体力:【1000/1000】
勝率:【11勝1敗92%】
階級:【黒鋼】
実力:【2071】
意思:【2221】
表示されるのは、圧倒的なまでの実力差。
普通に戦ったら、絶対に勝てないような相手だ。
でも、大事なのは数字じゃない。意思の強い方が勝つ。
「――」
そこまで考え、ジェノは両拳を握り、ボクシングのように構える。
素人ながらの構え方だったけど、今のところ、これが一番しっくりきた。
「――」
一方、ザーンは手を開いたまま前に突き出し、構える。
柔道か相撲かは分からないけど、投げ主体なのは間違いない。
恐らく、近接戦闘型。準決勝で戦った相手とは真逆の戦い方だった。
(投げはダウンを取りやすい。狙いは、スリーダウンのTKO)
そんな中、ジェノは間合いを計りながら、考察を進める。
場数を詰めたおかげで、相手の傾向。得意な距離が大体分かる。
完璧じゃないけど、イタリアに来る前と比べたら、確かな進歩だった。
(ダメージを取るには、触りにいくしかないけど……近づいたら、投げられる)
短い時間の中で、思考を重ねるも、突破口が見えてこない。
かといって、考えなしに突っ込んでいくのは悪手でしかない。
(……だったら、試してみるか)
そんな中、一つだけ思い浮かんだ戦法があった。
「セレーナさん。技、借りますね」
ジェノは思いつくままに右足を上げ、構え直す。
それは、かつてセレーナにやられた技の物真似だった。
足の関節はまだ外せないけど、これなら拳よりもリーチが長い。
投げの間合いに入らないためにも、この戦い方がベストのように感じた。
「しばきでも、けたぐりでも同じ。……かかってこい」
ザーンは一切動揺せず、待ちの姿勢を崩さない。
明らかに戦い慣れてるし、どっしりと肝が据わっている。
まるで、山を相手にしているみたいだった。やりにくいったらない。
(……やるしかない、よな)
ただ、どのみち攻める以外、勝つ手立てはない。
心が弱気になっていくのを感じながら、間合いを計る。
足を伸ばせば相手に届く距離。いつでも、攻めに転じられる。
(……大丈夫。いける。なんとかなる)
弱気になった自分を励ましながら、意思を込める。
体からは銀光が溢れ、上げた右足に光を収束させていく。
(イメージするのは、力じゃなくて速さ。掴む隙さえ与えない)
意思の力は、力だけを増幅させるものじゃない。
頭でイメージできるものは、恐らく、全て実現できる。
つまり、こっちの思い方次第で、速さにも特化できるはずだ。
後はどこを狙えば、反撃を食らずに済むか。それだけ考えればいい。
「……」
意を決し、眦を決し、ジェノは敵を見据える。
敵の隙を示す赤い丸印は、当然ながら表示されていない。
見るのは敵の全身を覆う黄色いセンス。どこが薄く、どこが厚いのか。
(……見えた)
狙う場所を定め、成功するイメージを頭に思い浮かべる。
失敗する気が微塵もしない。一方的に勝つ未来しか見えない。
自然と右足には力が入る。今か今かと、その時を待ちわびている。
(落ち着け、逸るな。セレーナさんの動きを思い出すんだ)
それでもまだ動かない。あり余る力を抑えつける。
理想の動きを思い起こし、入念にイメージを補強する。
弓の弦に引かれた矢を、ギリギリまで引き絞るような感覚。
(イメージ、できた。後は……後は……っ!)
これ以上ない溜め。これ以上ないイメージ。
今やれることは一通りやった。準備は万端だ。
抑えつけた右足の筋肉を緩やかに解き、そして。
「――疾っ!!」
蹴り穿つ。引き放たれた矢の如く、敵の胸元へと一直線に。
「……鉄槌」
対しザーンは開いた両手を前に突き出した。
相撲でいう張り手。後の先を取る一撃。返しの技。
恐らく、打撃で相手を止め、投げに移行するための繋ぎ。
太くて長い手が、黄色い光を纏って、一直線に懐へ迫ってくる。
(思ってたより、ずっと速い……)
待ち構えるだけあって、凄まじい反応速度だった。
それも、こっちのお腹には、赤い丸印が表示されている。
一方、相手は顔に赤丸があり、今からじゃ軌道を修正できない。
食らえばクリティカルヒット。相打ちでもダメージトレードで負ける。
(……だけど、速さなら負けないっ!!)
そんな状況でも、ジェノの目は死んでいなかった。
不屈の意思に応じるように、グンと放たれた足刀が伸びる。
力ではなく速さ。イメージしていた通りの現象が目の前で起きていた。
「……ッッ!!?」
そして、届く。ザーンの胸元に蹴りは命中。
蹴った反動で、ジェノは大きく後退し、張り手を避けた。
(やった、上手くいった!)
明らかな手応えを感じ、心の中で拳をぐっと握り込む。
一方的なダメージトレード。反撃さえ受けなければ、問題なかった。
(この調子で、速さを押しつけ続ければ……)
セレーナが取っていた戦法。それが上手く機能した形。
同じことを続ければ、準決勝とは真逆の優位な立場が維持できる。
「アホ丸出し」
そう思っていたところに、ザーンの罵倒が響く。
(ハッタリ……? いや、あの人は正直なだけで嘘はつかないはず……)
唐突な不安に襲われ、思考を重ねる。
人となりを知っているからこその、違和感。
負け惜しみのような虚勢を張るとは、とても思えない。
(何か、ある……。変化を見逃さないようにしない、と……っ)
その思考の最中、目を疑う光景が広がっていた。
(……しまっ!!)
視界には、黄色い閃光。一直線に懐へと迫っている。
恐らく、手からセンスを飛ばしたんだ。避けた相手を追撃するために。
「……ぐっ!」
そう気付いた頃には、もう遅い。
相手が放った黄色い閃光は、下腹部に命中。
拳で腹を軽く突かれたような衝撃が走り、光は消え失せる。
(威力はそこまで大したことはない。だけど……)
相手の飛び道具を受け、痛みを堪えながらも、頭によぎるのは一つの懸念。
『ヒットとクリティカルヒットを確認。敵に50。マスターに200のダメージ』
その懸念通りの内容が、アイの口から語られた。
名前:【ジェノ・アンダーソン】
体力:【800/1000】
意思:【948】
名前:【ザーン・バヤル】
体力:【950/1000】
意思:【921】
目の前には、結果が反映された冷たい数字が並んでいる。
「ずるいですよ、飛び道具もあるなんて……」
思わず漏れ出たのは、本音。気心の知れた仲だからこその発言だった。
「モンゴル相撲に死角なし。流派ない素人には負けない」
ザーンは腕を組み、誇らしげに、己が流派を暴露する。
暴露したところで優位は揺るがない。そう判断したんだろう。
「ははっ、素人か。確かにそうかもしれませんね」
乾いた笑いがこぼれ、素直に事実を認めるしかなかった。
何も間違ったことは言っていない。実力に差があるのは明白だ。
百回やって一回勝てたらいいところ。それぐらいは今の攻防で分かった。
「……」
そこでザーンは諦めろ。なんて野暮なことは言ってこなかった。
ただ黙って、続きがあるんだろ。と言わんばかりに、二の句を待っている。
「でも、速さだけは勝った。他は気合と根性で補うまでです!!!」
だから、思っていることを強く告げた。
この程度で諦めるわけにはいかないんだ。
負ければ、世界が滅ぶかもしれないんだから。




