第4話 船出を切る
イタリア。ベネチア。フゼリ川。
密集した住宅街。そこに狭い水路がある。
その水面に浮かび、パドルを漕いで進むのは、ゴンドラ。
後方には麦わら帽子を被った乗り手がいて、ラウラたちは快適に運ばれていた。
(……悪くねぇな、住宅密集地を船で移動するってのは)
ラウラは座席に腰かけつつ、感傷に浸る。
広い水路は体感済みだが、狭いのは初めてだ。
ここでしかできない体験に、心が少し躍っちまう。
(っといけねぇ、今のうちに、確認しとくべきことがあったな)
目的地はフゼリ川を抜けた先にある、サンマルコ広場。
そこには、ストリートキングの参加受付所があるらしい。
距離はそこまで遠くはない。聞いておくなら、今のうちだ。
「親父のこと、知ってるんだったら話してくれねぇか」
ラウラは隣で立ったままのジルダに問う。
当然、先ほどされた、親父が生きてるって話の続きだ。
「……言えません、です」
ゴンドラの揺れにびくともしないジルダは、小さな声で答える。
スカートの裾をぎゅっと掴み、視線は落とし、気まずそうにしていた。
「だったら、意思の力のこと、教えてやらねぇが、いいんだな?」
親父の情報は死ぬほど聞きてぇが、それにつけ込まれたくねぇ。
だから、交換条件ってやつだ。これなら、ある程度釣り合いが取れるはずだ。
「それは……」
思った通り、ジルダは困った様子。
ここで問い詰めてもいいが、飴と鞭。
物事には、バランスってもんが重要だ。
「いつでもいいぜ。話してくれるんだったら、いつでも教えてやるからよ」
そこで、会話は途切れ、無言のまま、ゴンドラは進んでいった。
◇◇◇
イタリア。ベネチア。サンマルコ広場。
聖堂、宮殿、時計塔などの施設に隣接する敷地。
広場自体も観光名所ともなっているため、当然、人通りは多い。
「これで、署名は完了、と。確認してくれ」
ラウラが紙にペンを走らせ、名前を書き連ねる。
そこには、ストリートキングの参加受付所があった。
黒いテントに、白い長机、安っぽい看板が横に飾られている。
ジェノとジルダは後ろに立っていて、それぞれ身分証を提示していた。
「あいよぉ……。確認させてもらうねぇ」
受付は、短い白髪で、皮と骨しかないしわくちゃの婆さん。
占い師みてぇな黒いローブ服を着ていて、他に受付の姿は見えねぇ。
(こんな婆さんが受付とか、この国終わってんな。大人しく隠居させとけよ)
なんでも、ストリートキングは国家規模のプロジェクトらしい。
それなのにだ、こんな超高齢の婆さんを一人で働かせてるなんて終わってる。
「あのよぉ、他に受付はいねぇのか?」
気付けば、そんなしょうもないことを尋ねていた。
家庭の事情なんて人それぞれだ。余計なお世話だってのは分かってんだけどな。
「あぁ……? なんだって? 最近、耳が遠くてねぇ」
一方、婆さんは、耳をそばだてている。
二度も言うほどの内容じゃねぇ。聞く気が失せちまった。
「いや、なんでもねぇよ。さっさと手続きを済ませてくれ」
「……おぉ、そうかい、そうかい。受付はずぅっとアタシ一人だよ」
ちゃっかり聞いてたんじゃねぇか。食えない婆さんだな。
と声に出しかけたものの、面と向かって言うほどのことじゃねぇ。
それよりも、このトーナメント。思ったよりも闇が深いのかもしれねぇな。
「……ラウラ、気付いてる? なんか俺たちすごい見られてるよ」
そう考えていると、ジェノが耳元で囁いてくる。
言われて辺りを見回すと、現地民から奇異の目線で見られていた。
(なんだ……? イタリアでは恒例のイベントじゃねぇのか?)
ストリートキングは、毎年行われているらしい。
それなら、別段おかしな光景じゃねぇと思うんだがな。
「ドキドキしますです。これで死亡保険の受け取り人は、イタリアの国庫に……」
そこで聞こえてきたのは、ジルダの言葉。
発覚したのは、聞きたくもなかった衝撃の事実。
「は? ちょっと待て、そんなの聞いてねぇぞ!」
ちゃんと読んでなかったが、これは保険の同意書。
目線の意味が分かった。まともなやつはぜってぇ、参加しねぇ。
恐らく、死に同意した者同士の死闘を楽しむコンテンツ。馬鹿がやる大会だ。
(ストリートキングって、健全な大会じゃねぇのかよ)
国が主催だからって、侮ってた。
ここの運営、倫理観が歪んでやがる。
というより、法律上でそんなの可能なのかよ。
「読んでなかったの? 死亡保険が賞金と財政に当てられるんだよ?」
さも当たり前のように、ジェノは語りかけてくる。
こいつ。目線に気付いておきながら、目線の意味に気付いてねぇ。
「あのなぁ、相手を殺す前提の大会だったらどうすんだよ」
それに問題点は他にもある。
ジェノは、殺さない誓いを立てている。
組織もそれに同意した上で、任務に就かせてるはずだ。
(さて、こいつはどう返す)
ラウラは、ちらりと横にいるジェノの顔を見つめる。
「――俺は絶対に殺さないよ。殺す前提の大会なら、ルールの抜け穴を作る」
その表情は冷たく、さも当然のように言い放った。
あまりの迷いなさに、正直、軽く鳥肌が立っちまった。
(……人のことは言えねぇが、こいつも頭のネジ、飛んできたな)
出会った頃から確固たる意思はあった。
ただ、ここまで突き抜けると狂気を感じちまう。
悪意が微塵もねぇから、止めようもないってのも問題だな。
「……確認、終わったよぉ。ただ、今ならやめにできるけどねぇ」
そこで、ちょうどよく婆さんが声をかけてくる。
確かに、国がやってるイベントだ。強制なワケがねぇ。
やめようと思えばいつでもやめれる。大会を潰す側に回ってもいい。
「やるに決まってんだろ。舐めてんのか」
ただ、ここまできてばっくれるわけにはいかねぇ。
とにかく勝ちゃあいいんだ。必要以上にビビる必要はねぇ。
「……はいよぉ。じゃあ、参加者はコレ。つけといてぇ」
そこで婆さんが取り出したのは、白いグローブと黒いゴーグル。
当然、人数分あり、身分証を返すと同時に、それぞれに渡していった。
「グローブは分かるけどよぉ。このゴーグルはなんに使うんだ?」
ゴーグルは大会参加者かどうかを見分けるため。
とは思ったが目印のためなら、グローブだけで事足りる。
つけてみりゃあ分かるかもしれねぇが、得体の知れねぇモンだ。
適性試験の時みたく、首輪に爆弾が搭載されてたら、しゃれになんねぇ。
「……なるほど、そういうことか」
そう気を揉んでいると、ジェノは早速ゴーグルを装着していた。
それもすぐに機能を把握した様子。警戒心っつーもんはないのかよ。
「あぁ……? なんか言ったかねぇ?」
そこに、婆さんが遅れて反応してくる。どうせ、聞こえてるくせによぉ。
「はぁ……。百聞は一見に如かずってか」
こうなりゃあ、実際にやってみるしかねぇ。
思い切ってラウラはゴーグルを装着し、目を見開く。
「なんだ、こりゃあ」
目の前に広がるのは、風景に加えられた文字と映像。
名前:【ラウラ・ルチアーノ】
体力:【1000/1000】
勝率:【0勝0敗0%】
階級:【銅】
実力:【1500】
意思:【未計測】
『こちらは拡張された現実空間。ARと呼ばれる技術がこのゴーグルには搭載されています。マスターを含めたストリートキング参加者の個人戦績を確認することができ、ルール説明や、戦術的なサポートをAIである私。アイが行います』
すると、どこからともなく、音が響いてくる。
恐らく、骨伝導だ。この声は他人には聞こえてねぇ。
(ジェノが納得したのは、そういう意味か……)
目と耳で情報を与えられ、完全に理解する。
間違いねぇ。このゴーグルがストリートキングの目玉だ。
こいつを使いこなせるかどうかで、優勝が決まると言っても過言じゃねぇ。
「少しよろしいか、そこの御仁」
すると、唐突に背後から男の声が聞こえる。
ジェノでもジルダでもねぇ、野太く、かしこまった声だった。
「あ? なんだ」
振り返ると、そこには青い民族衣装を着た黒髪の男。
体は細く、長い後ろ髪を見事な辮髪に仕立てあげている。
背後には、赤と黄の民族衣装を着た、高貴そうな女と太った男。
それぞれ手にはグローブ。顔にはゴーグルをつけている。目的は恐らく。
(……初狩りか。この民族衣装は確か、モンゴルだったか)
そう予想をしつつ、辮髪男の発言を待った。
「共闘を申し込みたい。もちろん、礼は弾む。受けてもらえないだろうか?」
だが、返ってきたのは、初狩りとは逆の行為。
裏があるようにしか見えねぇが、さて、どうっすかな。
「共闘、か……」
「怪しすぎ、です。断るべきですよ」
仲間二人の顔色はすこぶる悪い。まぁ、当然ってところだな。
即断してやりたいところだが、ここは少し、裏を取ってみるか。
「アイ。今、目の前で起きてることを手短に説明してくれ」
相談するのは、婆さんでも仲間でもなく、AI。
あるもんを使いこなせねぇようじゃ、勝ち残れねぇだろうからな。
『ストリートキングは予選、本選、決勝の三段階で競われます。現在、マスターが進行中の予選では、参加者同士で三対三のチーム勝負をしてもらい、負ければ敗退。残り十二組になった時点で、本戦出場が決まります。ただし、現在六十四組のチームが参加しているため、昼夜問わず連戦になる可能性があり、疲弊した状態では――』
手短につったが、話がくっそなっげぇなぁ、おい。
「あーもういい。大体わかった。さんきゅな」
まぁ、ただ我慢して聞いてやったおかげで状況は掴めた。
ようは共闘すれば、互いの休憩時間を確保できるってことだ。
後は見ず知らずの相手を信用して手を組むか、拒否して戦うかの二択だ。
(まぁ普通に考えれば断るのが、無難だろうな。裏切られたら、終わる)
手を組むリスクとリターン。
両方を吟味した上でも、断る方に思考は傾く。
「ラウラ、信用してみようよ」
すると、ジェノは何か考えでもあるのか口を挟んでくる。
「理由は?」
「裏切られても俺がどうにかするから」
その瞳は真っすぐで純真で、一切の曇りなんかない。
こいつのお人好しはあの試験を通しても変わってねぇんだな。
いや、試験で色々揉まれた上で、良心を保ってるって可能性もあるか。
「……」
ちょうど、考えは五分と五分。
「決断を急かすようで悪いが、そろそろ決めてもらえるか?」
そこに割って入ってくるのは、辮髪男。
いいタイミング差し込んできやがる。全くよぉ。
「……その共闘、乗ってやるよ。ただし、期間は予選が終わるまでだ。いいな?」
ひとまず、ジェノを信用してやるか。
相手チームを信用するかは、もうちょい様子を見てからだ。