第35話 本選準決勝⑪
「こいつで仕舞いだっ!!!!」
武舞台に響くのはラウラの声。
同時に振るわれるのは、拳と拳。
かち合い、ズレ、交差し、急所を狙う。
今までと同じ、一方的に有利なダメージトレード。
繊細な感覚によって導き出された、再現性のあるクロスカウンター。
「……っ」
「……っ」
それが今、再び炸裂し、打拳音が響き渡る。
会場は静まり返り、観客席からは息を呑む音がした。
ラウラとマランツァーノの拳は交差し、互いの顔を捉えている。
(……捉えたっ! これで僕の勝ちだっ!)
相手の残り体力は200。
クリティカルヒットのダメージは200。
顔面に出た赤丸を射貫き、クリティカルヒットで終わる。
『クロスヒットを確認。両者50のダメージ。敵はラッシュモードに移行しました』
――そのはずだった。
聞こえてくるのは、公正な審判であるアイの声。
試合は終わることはなく、最悪の形で進行していった。
(ただのヒット、だと……? 何がどうなって……)
理解が追いつかないラウラは、まず視界の端にある数字を確認する。
名前:【ラウラ・ルチアーノ】
体力:【600/1000】
意思:【1741】
名前:【ジェノ・マランツァーノ】
体力:【150/1000】
意思:【1976】
そこには右肩下がりにある意思と、敵の体力が表示されている。
(……やっぱり終わってねぇ。どうしてこうなった)
次にラウラは目線を動かし、相手の顔を見る。
クリティカルの判定は赤丸内に攻撃が入ったかどうか。
「……こいつっ!!」
血液が沸騰したように熱く滾っていくのを感じる。
なぜなら、見えたのは赤丸から数ミリ外れた自分の拳。
「拳のズレを利用できるのは、あなただけではありませんよ」
その起きた現象を、マランツァーノは懇切丁寧に語り出す。
まんまと出し抜かれたこっちを、心底見下すような目線を向けながら。
「てめぇ……っ!!」
拳に自然と力がこもり、そのまま振り抜こうとする。
この行為に意味はねぇ。連撃は、試合には反映されねぇ。
ただの憂さ晴らし。ただのストレス発散。ただの八つ当たりだ。
「……ふっ」
それを鼻で笑うマランツァーノは一歩後退し、かわす。
振るった拳は大振りになり、致命的な隙をさらす形となった。
(くそっ、なにやってんだ……。こんなんじゃ相手の思う壺だろ……)
瞬間、急に頭が冷え、反撃に備えて身構える。
「遅いっ!」
そこに叩き込まれるのは、純粋な拳の連打。
狙いは左脇。腹。胸の三か所。それが感覚で分かる。
避けんのはこっからじゃ間に合わねぇ、やるなら、防御一択だ。
ただ、問題はどこを守るか。選択を間違えたら、一気に差が埋まっちまう。
「……くそがっ!!」
悪態をつきながら、ラウラは左脇を腕で守る。
その瞬間に、三発の拳が容赦なく叩き込まれていった。
「…………ぐっ」
左脇。腹。胸。右フック。左ボディブロー。右ストレート。
機械のように正確無比な拳は、感じた通りの場所に迫ってくる。
左脇は腕でガードしてるとはいえ、他の部位はノーガードに近い状態。
刺すような鋭い痛みを感じながらも、歯ぁ食いしばって、気合で受け止める。
(ここさえ、耐えきりゃあ、まだ――)
思考の最中、飛んでくるのは三発目の拳。
無防備ながらセンスが緩衝材となり、衝撃を軽減。
踏ん張る両足が武舞台の地面を削り、数歩後退する程度で済んだ。
『ラッシュヒットを確認。マスターに150のダメージ』
そこに、アイの判定が聞こえ、すぐさま実数値を確認する。
名前:【ラウラ・ルチアーノ】
体力:【450/1000】
意思:【1641】
体力はごっそり減って、意思の力は右肩下がり。
いいことなんて一つもねぇ。ただ、悪くはない結果だった。
(なんとか、クリティカルは防げたか……)
脇を守った理由。それは、クリティカルヒットを防ぐため。
自分の体を見れば、顔以外の場所なら急所を確認することができる。
赤く光ったのは左脇だった。だから、胸でも腹でもなく、左脇を守った形だ。
「今ので底は見えました。そろそろ終わりにさせてもらいますよ」
ほっとしたのも束の間、マランツァーノは次の攻撃準備に入っている。
感じなくても、分かる。さっきより数段速い拳を無数に打ってくるつもりだ。
(万事休すってやつか……。一発。なんとかクリティカルさえ出せりゃあ)
追い込まれた緊張感のせいか、ラウラは拳をぐっと握り込む。
ごくごく自然な動作。特に違和感なんかねぇ、何気ない行動のはずだった。
(……なんだ。手に力が入らねぇ。足もふらついてきやがる)
でも、なぜか、握り拳が作れねぇんだ。
それに血の気が引く感じがして、軽いめまいがした。
(拳を食らったせいか……? いや、それにしては、症状が重すぎる)
受けたダメージと、体に起きた症状が一致しない。
そんなちぐはぐな違和感があった。原因は別にあるような感じだ。
「……参ります」
ただ、悠長に不調の原因を考えている暇なんてねぇ。
敵は一歩、二歩と、徐々に距離を詰めてくるのが分かる。
(ここで決まるんだ。気合でも意地でもなんでもいいから動きやがれ!)
その間に、ラウラは自身の体に発破をかけ、無理やり拳を握り込む。
すると、なんとか形になった。体はだるいが、握り拳さえ作れたなら御の字だ。
(……よし、それでいい。やればできるじゃねぇか)
ラウラはさらに自身の体に語りかける。
思いを言語化し、勝率を少しでも上げるためだ。
(いいか。狙うのは敵の隙。クリティカル。急所狙いの一撃だ)
だから、ラウラは自身の体と対話を続ける。
そう言い聞かせておかねぇと不安で仕方なかったからだ。
(防御は捨てていい。たった一回に全てを込める。それぐらいなら、できんだろ)
加えて、ラウラは自身の体に念押しする。
無理してるのは分かってる。だったら、一点に絞るまでだ。
「……半端に受けると、死にますよ」
そこまで考えると、敵は密着。冷ややかな台詞を言い放ち、両拳を構える。
(知ってるよ。だから、なんだってんだ)
ラウラは冷めた目で敵を見つめ、リスクを受け入れる。
そこまでしないと勝てない相手だってのは、分かっているつもりだからだ。
「さようなら、我が愛しのラウラ・ルチアーノ」
覚悟を決めた上で、飛んでくるのは、無数の拳。
センスが薄まった体に、一切の容赦なく降り注いでくる。
「…………」
ラウラはそれをノーガードで受け続ける。
自殺行為に等しい行為。顔は腫れ、腕は打撲。腹は内出血。
体中の細胞が痛覚を通して悲鳴を上げる中、それでも握り続けるのは、右拳。
(……まだだ、まだ耐えろ。今じゃねぇ。今じゃ、ねぇんだ)
薄れゆく意識の中で、ラウラが探るのは、千載一遇のチャンス。
訪れる保証なんか一切ないものを、恋焦がれるように待ち続けている。
「――――」
それでも、訪れない。訪れない。訪れない。
機械じみた正確な拳には、隙なんかありゃしねぇ。
ただ一方的に殴られ続け、体力はそろぼち限界に近かった。
(……やべぇ。真面目に死ぬかもしれねぇ。目の前が霞んできやがる)
大会のルール上、殺しは禁止されてねぇ。
体力を0にすれば終わる、いわばゲームだからだ。
ただ相手が格上だと話は別。最悪、死んでもおかしくねぇ。
このまま目をつぶれば、即お陀仏。って、可能性は十分に考えられた。
(……いや、だから、どうした。死ぬ気でやるしか、勝ち目は、ねぇんだ)
それでも、ラウラは必死で耐え続ける。
いつか来る好機。そこに全てをぶつけるために。
「――――」
その気迫が伝わったのか、相手のミスかは分からねぇ。
ただ、手元が緩んだ気がした。拳の雨が一瞬だけ止んだ気がした。
隙だらけに見えた。今なら突けるような気がした。敵の顔面。赤丸印の急所を。
(ここだ! ここしかねぇ!! ここ以外に考えられねぇっ!!!)
薄れゆく視界の中、ラウラは勝利の気配を感じ取る。
握り続けた拳のぶつけ先。待ち望んでいた千載一遇の好機。
(……食らい、やがれ)
隙の糸を縫うように、ラウラは気迫を乗せ、放つ。
なんてことない右ストレート。普通なら簡単に避けられる一撃。
だが、放ったタイミングが完璧だった。相手の虚を突く、意識の外からの攻撃。
「……くっ」
マランツァーノは遅れて気付き、防御ではなく、攻撃に手を回す。
恐らく、こっちの体力は50。先に一発当てりゃあ、勝てると踏んだんだろう。
(……遅ぇよ)
相手の悪あがきを傍目で見ながら、ラウラは拳を振り抜き続ける。
その甲斐あってか、拳は相手の顔面の数ミリまで迫り、触れる寸前。
(もう少し、もう少しで……)
追い抜かれる感じはしねぇ。このままいけば勝てる。
そんな思いが先行しながらも、確かに勝ちへと近づいていた。
――その時だった。
「……っ!?」
股から、つぅーと液体が伝う感触があった。
小便を漏らしただけ。だったなら、良かっただろうな。
この現象には、身に覚えがあった。女性なら月に一回は来る例のアレ。
(生理、だったのかよ……)
不調だった原因。排卵による血液の排出。
点と点が線で結ばれちまった瞬間だった。
(いや、今はそれどころじゃ、ねぇ)
そう気づいた時には遅かった。
敵の拳は、こっちの顔面に迫ってきている。
恐らく、思考を回していた時間分、差を詰められた形だった。
(終わっ、た……)
感覚で分かる。もう間に合わねぇ。
いくらなんでもタイミングが悪すぎた。
千載一遇の好機は、二度も訪れたりはしねぇ。
(踏んだり蹴ったりな人生、だったな……)
そう締めに入っちまうぐらいには、十分な出来事だった。
(せめて、子供の一人くらい、欲しかったぜ……)
そこで思い浮かべるのは、今まで歩んできた人生上の唯一の後悔。
勝ち負けよりも、もっと大事なことがあるって、今さらながら理解した。
でも、遅ぇんだ。理解したところで、もう、やり直せる機会はねぇんだからな。
「……へへっ」
絶望とも言える光景を前に、不思議と笑いがこぼれ落ちる。
自分を笑ったのか、相手を笑ったのか、不幸な人生を笑ったのか。
今の頭じゃ、分からねぇ。ただ、笑いたくなったもんは、仕方ねぇよな。
「――」
その間にも、敵の拳は顔面に到達しようとしている。
ま、来世では上手くやるさ。こんだけ不幸な人生だったんだ。
ちょっとぐらい期待してもいいはずだろ。今世はもう、疲れちまったよ。
(そろそろ終わりにすっか。目を閉じたら、いいんだろ)
勝ちを諦め、人生を諦め、生きるのを諦め、心は奈落の底まで落ちていく。
後は体を落とすだけ。そう考えたラウラは、ゆっくり目を閉じようとした。
「……死ぬまで諦めるな!」
そこで聞こえてきたのは、『ジェノ』の言葉。
頼もしくて、力強くて、いつも元気がもらえる声だ。
(お前は死ぬまで僕を働かせるつもりなんだな……)
ただ意訳すれば、うんざりしちまうほどの鬼畜発言に思えてきた。
(仕方ねぇ……。もうちょっとだけ、頑張ってみるか……)
でも、今はそれが心地いい。沈んだ心を奮起させるには十分な理由だった。
「……悪いけどよ、諦めたら怒るやつがいるんでな」
ラウラは神がかり的なタイミングで、首を逸らし、相手の拳を避ける。
あり得ない挙動。あり得ない回避。ありえない動作。全てが規格外の事象。
再現性もくそもない、まぐれと言われてもなんも言えねぇ状態での、最適行動。
「――負けてくれや」
朦朧とする意識の中、ラウラはなけなしの力を込める。
グーではなく、パーにするために。相手の顔を優しく触れてやるために。
『ラッシュヒットとクリティカルヒットを確認。マスターに400のダメージ。敵に200のダメージ。敵の体力が0になったため、マスターの勝利。よって、チームラウラ対匿名希望の勝負は、二勝一敗でチームラウラの勝利となります』
そっから先のことは、残念ながらあんまり覚えてねぇ。
ただ、死ぬまで諦めなかった。それだけは、はっきり覚えてんだ。




