第30話 本選準決勝⑥
武舞台上。試合は終盤。
ジェノは苦戦を強いてられていた。
「このっ、このっ、このっ」
拳を振るう、蹴りを放つ。
型のないがむしゃらな喧嘩殺法。
「……そんなもの、ですか?」
それをセレーナは易々と避け、余裕の表情で語っている。
生殺しの感覚だった。だって、相手はいつでも倒せるはずなんだ。
こんな大振りで無駄の多い攻撃の隙を、彼女が突けないわけがないんだから。
「どうして、本気でやってくれないんですか!!」
やりきれない怒りが、心から込み上げ、拳と言葉を振りかざす。
負けるなら、全力が良かった。勝つにしても、本気の相手がよかった。
それなのにどうして。そんな不満が募り、爆発し、拳を交えて、回答を待つ。
「あなた様をここで壊すのは惜しい。それだけのことです」
セレーナは顔を横に逸らし、迫る拳を避け、言い放つ。
そんなことが聞きたいんじゃない。聞きたいのは、もっと先。
「全力を出して、負けるのが怖い。そう思ってるんじゃないですか」
言葉と拳を止めることなく、ジェノは続ける。
今は当たらなくても、いつかは当たってくれるはずだ。
当たるのはどっちでもいい。ただ、こっちが諦めなければいいんだ。
「適性試験で負け、役職を失って、これ以上何を失うものがあると?」
しかし、セレーナは一切動じない。
過去のエピソードと足運びで、ひらりとかわす。
確かに、一理あった。負けた瞬間をその場で見ていたからだ。
(役職……。セレーナ商会っていう武器屋の責任者、だったよな……)
手を緩めることなく、ジェノは思考を回し続ける。
探るのは、とっかかり。実力差を埋めるための、突破口。
正攻法で勝てないのは分かってる。だったら、他の方法で補うしかない。
(俺と同じ組織『ブラックスワン』に所属してるはずだけど……変だな)
現在、知っている組織の役職は四つ。
諜報担当の代理者。排除担当の殲滅者。
監視担当の監視者。事業担当の事業者がある。
そこに分類するための試験があり、彼女は試験官だった。
(俺は代理者になったけど、セレーナさんは事業者じゃなくなった……)
代理者のことは分かっても、他の役職はよく分からない。
ただ、セレーナ商会という武器屋を裏で展開していたのは確か。
恐らく、事業者だったのは間違いないと思う。試験官は、その延長線。
だけど、それは過去の話。試験の時、ある賭けに負けて彼女は支配人を辞めた。
(辞めた今は、何をしているんだろう……)
戦いながら思考を巡らせ、浮かぶのは、一つの疑問。
もしかしたら、これが『とっかかり』になるかもしれない。
「キレが悪いようですね。もう息切れでしょうか?」
そう考えながらも拳を打ち続けていた。
だけど、頭に意識を割いた分、動きが鈍い。
その些細な変化を、セレーナは見逃さなかった。
避けた拳から腕。腕から体を目でなぞり、指摘する。
(考えてる余裕はないか……? いや、違う……)
放った拳を引っ込め、その刹那に思考を回す。
どれだけ、この生殺しの時間が続くか、分からない。
少なくとも、今の中途半端な戦い方のままじゃ、絶対負ける。
(両方やろうとするから駄目なんだ。どっちかに絞った方がいいな……)
戦いの中で割ける思考には、限界がある。
同格か、格下相手では気付きようがなかった。
相手が格上だからこそ気付けた。そんな気がする。
「……かもしれません。少し、休憩です」
ジェノはあえて後退し、セレーナから間合いを取る。
(物理的な距離は遠い……。だけど、心の距離は詰められる)
選んだのは、拳ではなく言葉。割ける思考のリソースを全て捧げた。
「一発は殴らせるつもりでしたが、底が見えましたね。次で決着をつけましょう」
すると、セレーナはガッカリした様子で、右足を構える。
これでサービスタイムは終了。攻めても守っても次で終わる。
彼女の技。変幻自在の蹴りに対応できないのは、もう分かってる。
(悠長に考えられる時間はない、か……。だったら、一発で決めてやる)
全部、承知の上で、知識を使う、知恵を絞る、見識を深める。
相手から引き出せた情報は少ない。だけど、何もないわけじゃない。
おかげで考えは固まった。後は試してみるだけ。失敗すれば、最悪、死ぬ。
「……望むところです。元々、そのつもりでしたから」
でも、死ぬのなんて、今さら怖くない。
それよりも、手加減されて負ける方が怖い。
だから、もう覚悟は決めた。やるしかないんだ。
「準備はよろしいようですね。では、参ります――」
セレーナの、軽い息遣いが聞こえる。
息を吐いた頃には、恐らく、蹴りが当たってる。
間合いは二歩分。開幕でやられた時と、同じぐらいの距離だ。
(来るなら、来い。失敗したら死んでやる)
体力は残り200。決着をつけるならノックアウトかクリティカルの二択。
傾向からして、彼女はクリティカルを狙わない。狙いは顎。体をくじく一撃。
「――疾ッ!!!」
その読み通り、セレーナは右足を勢いよく、こちらの顎に向け、放つ。
今まで打ってきた中でも、最速。ちゃんと防御しないとただじゃ済まない。
だけど、受ける気なんてサラサラない。当たり所が悪かったら殺されるだろう。
――それでも。
「組織に追われている」
蹴りにひるまず、ジェノが放つのは、言葉の弾丸。
これまでの情報を踏まえ、ひねり出した、心を穿つ一撃。
戦わないといけない原因。リーチェを殺さなくてはいけない理由。
ジェノ・マランツァーノに後ろ盾をしてもらわないといけなくなった由縁。
『わたくしがこちら側についた意味。それをよくお考えください。ジェノ様』
思い出すのは、武舞台裏ですれ違った時の台詞。
きっと、気付いてもらうための救難信号だったんだ。
「……っ」
交差するのは、蹴りと言葉。
ぴくりと、セレーナの体は反応する。
蹴りが届くよりも先に、言葉が相手の耳に届いた証。
(手応えあった……っ! でも、間に合うか……)
それでも迫ってくる蹴りに肝が冷える。
だけど、今さら避けようとしても間に合わない。
ここまで来たら、彼女の身体能力を信じるしかなかった。
「……くっ!?」
直後、すさまじい突風が顔を吹き抜け、目が急に痛くなる。
蹴りによる風のせいだ。とてもじゃないけど、目を開けたままでいられない。
(間に合わ、なかったのか……っ)
閉じゆく視界の中、見えたのは黒いブーツの靴先。
このままいけば、無防備な顎を的確に打ち抜かれるだろう。
だけど、仕方ない。やれることはやったんだ。無理だったら諦めよう。
「……」
そう覚悟を決めて、ジェノは瞳を閉じた。
巻き起こされた風が、両頬を横切る感触があった。
だけど、それだけ。痛みはないし、視界が揺らぐ感じもない。
聞こえるのは、音。会場全体が総出で、ブーイングを出しているような声。
(あれ……。どうなって……)
ジェノは恐る恐る、目を開く。
「……」
そこに立っていたのは、弱々しいセレーナの姿。
先ほどまでの、強気で余裕ぶるような気配はまるでない。
迫っていた足は、顔の前。顎に触れる寸前のところで止まっていた。
(止まっ、た……。だったら、俺にやれることは一つだ)
起きた事実を受け止め、ジェノは目の前の右足に触れ、優しく下ろす。
今の表情と行動だけで十分に伝わった。何に困っていて、どうして欲しいのか。
「俺が神父に借りを作ります。それで、組織に追われる心配はなくなるはずです」
彼女の思考と行動を縛る原因の、根本的排除。
それだけで事足りる。それだけで悩みは消えるはずだ。
(無理なら別の手を考えないといけないけど、さて、どうなる)
ジェノは、確かな手応えを感じながらも油断しない。
相手に響かないことも想定しつつ、彼女からの言葉を待った。
「……お見事でした。降参させていただきます」
勝ったのは、暴力ではなく、言葉。
大会のコンセプトを、まるっきり無視した決着。
会場はブーイングが響く中、ジェノは中堅戦に勝ち星をつけた。




