第3話 語るべきは拳
イタリア。リアルト橋周辺。テラス席。
レストランの外側にある席に腰かけるのは、三人。
水路の近くにテーブルがあり、斜光用の赤いパラソルが張られた場所。
「で、どうして、お前はストリートキングに参戦してぇんだ?」
テーブルに肩肘をつき、顎に手を乗せるラウラは、問いかける。
正面には、声をかけてきた長い灰色髪のウェイトレスが座っている。
まずは、面接。動機を聞いて判断する。こいつを採用するかはそれからだ。
「ジルダ。それがボクの名前。お前呼ばわりしないで欲しい、です」
このウェイトレスは、ジルダっつうらしい。
不服だったのか、頬を軽く膨らませ、睨んでいる。
別に聞いてもなかったが、やる気は十分、ってぇところか。
「はいはい、わぁったよ。ジルダだな。さっさと質問に答えてくれ」
名前を呼んでやるのは正直、気に食わなかったが、話を進めた。
なにしろ、こっちには時間がねぇし、呼び名で揉めるのは不毛だからな。
「10年前に壊滅したマフィア組織。ルチアーノファミリーの再興。そのためには、多額の資金が必要です。ストリートキングに優勝すれば副賞で1000万ユーロが手に入るので、ボクの夢は十分、実現可能になりますです、はい」
語られたのは、小せぇ体からは想像もできないでっけぇ夢。
しかも、他人事じゃねぇ。ルチアーノファミリーは、実家の話だ。
どうなってやがる。縁者は全員、10年前のあの時、殺されたはずだが。
「いやいや、ちょい待て、ジルダ。お前のファミリーネームを教えろ」
ラウラは食い気味に、フルネームを尋ねていく。
(……まさか、こっちから名前を聞くことになるとはな)
名前に興味なんざなかったが、こうなりゃ話は別だ。
遠縁の親戚か、はたまた、当時関係のあった組織の血筋か。
どちらにせよ、ファミリーネームを聞きさえすりゃあ、大体分かる。
「ジルダ・マランツァーノ。父はアメリカでマフィアをやってたです」
おいおい。嘘だろ。あいつに娘がいたのかよ。
思い出すのは、右目に眼帯をつけた冴えないおっさん。
カモラ・マランツァーノ。マランツァーノファミリーのボス。
やつはルチアーノ家が潰れた後、荒れ果てた全米のマフィアを統制。
その手腕を買われ、一気にアメリカの裏社会のトップにまで上り詰めた男だ。
「マランツァーノって、まさか、あの人の……」
当然、関係があったジェノも気付く。
去年、一緒に巻き込まれた『血の千年祭』。
あれにマランツァーノファミリーが一枚噛んでたからな。
「いや、そこは確定だろ。それより、なんでルチアーノの再興なんだ」
確か、『血の千年祭』の後、ボスが行方不明で落ちぶれたと聞く。
壊滅したルチアーノ家より、自分の家を立て直した方がいい気がするが。
「…………言えません、です」
ただ、ジルダは顔を俯かせ、回答を拒否した。
訳アリどころか、こりゃあ根が深そうな問題みてぇだな。
「言えねぇだと。ストリートキング舐めてんのか、てめぇ」
それなら、脅して様子を見る。
吐くにしろ、吐かないにしろ、人となりが分かる。
ストリートキングのことはよく知らねぇが、本気っぽく聞こえるはずだ。
「あの、ラウラ。そんな偉そうに言えるほど詳しく知らないんじゃ……」
だが、馬鹿正直なジェノは本気返ししてくる。
この辺の空気読んでくれたら、性格面では言うことないんだがな。
「うっせぇ、黙ってろ。聞いてんのは、こいつだ」
適当にあしらって、再び視線をジルダに向ける。
すると、相変わらず、気まずそうにテーブルを見つめていた。
「…………」
短くない沈黙の果てに、ジルダはおもむろに立ち上がる。
(あんな脅しで諦めたか。女々しいやつだな。こりゃあ見込みねぇわ)
半ば呆れながら、次に彼女が言い放つであろう、辞退の言葉をラウラは待った。
「強ければ問題ない、です?」
しかし、返ってきたのは、男らしい言葉。
(……へぇ。理由は話せねぇが、腕っぷしには自信があるってとこか)
ラウラもおもむろに立ち上がり、ジルダを見る。
拳をぐっと握り、視線は鋭い。すでに戦う気満々のご様子。
さっきまでの弱っちい感じは抜けて、いっぱしのマフィアのように見えた。
「面白れぇ。だったら、かかってこいよ。僕が試してやる」
この手の輩は嫌いじゃねぇ。むしろ、大好物だ。
ラウラは指をクイクイと煽るように、引いて見せる。
「……怪我させたら、ごめんなさい、です!」
その言葉を皮切りに、始まった。野蛮で原始的でシンプルな勝負。
――街喧嘩が。
◇◇◇
「……くっ、ボクの負け、です」
口惜しそうに膝をつくのは、ジルダ。
結論から言うと、こいつは死ぬほど弱かった。
軽く肩パン食らわしてやったら、すぐに降参しやがった。
「あのなぁ、ひ弱すぎんだろ。そんなんで優勝とか、よく言えたな」
期待させといて、このザマだ。
当然、愚痴の一言や二言も言いたくなる。
「きっとスロースターターなんだって。センスだって出てないし」
そこで、甘ちゃんのジェノは、それっぽい言葉を並べ、かばっていった。
(……センス、か)
ただ、その言い分は、認めたくねぇが一理あった。
加減したとはいえ、こっちの拳には多少のセンスを込めた。
センスを出し惜しむ相手にしちゃあ、ちっとばかし辛かったのかもな。
「悪ぃ。意思の力は無しでの腕比べだったんだよな。もう一度、仕切り直そうぜ」
勝手にアリアリだと思ったが、違うみてぇだ。
相手は素手で、こっちはバットを使ったぐらい差がある。
そんなもん、力量を計る以前の問題だ。こっちが勝つに決まってる。
「意思の力? センス? なんのことです?」
一方、当の本人は、きょとんとした顔で、首を傾げている。
「……おい、いくぞ。ジェノ」
冗談にしては笑えねぇ。センスも知らずに勝てるわけがねぇ。
今から勝手が分かる有望な三人目を探しに行った方が、マシだった。
「ま、待ってよ。伸び代あるかもしないよ?」
どこまでもお人好しなジェノは、食い下がってくる。
確かに、一から教えりゃ爆伸びする可能性もなくはないが。
「いいや、論外だ。意思の力を使えるのは最低条件。そこは譲れねぇよ」
大会では、あのドレス野郎もきっと出る。
生半可な面子を選ぶと、ツケが回るのはこっちだ。
ジルダには悪ぃが、負けられねぇ以上、諦めてもらうしかねぇな。
「……うーん。でもなぁ」
悩んでるフリをしてるが、ジェノの考えも傾きかけてる。
あと一押しってところだな。その背中、軽く押してやるとするか。
「人の命がかかってんだ。情をかけて負けるわけにはいかねぇだろ」
かけるのは、半ば脅しの言葉。
これなら、ジェノでも分かってくれるはずだ。
「それは………………仕方ないかも」
すると、ジェノは、申し訳なさそうにしながらも同意してくれる。
決まりだ。また一から仕切り直しだが、見切りが早い分、痛手は少ねぇ。
「悪いな。そういうわけだ。面子探しは他を当たってくれ」
一言、手間をかけた詫びだけ入れて、視線を切る。
強けりゃ一緒に組めたかもしれねぇが、時期が悪かったな。
膝をついたジルダを横切るように、ラウラはあてもなく街路を歩き始めた。
「……ラウロ・ルチアーノは生きてる、です」
唐突に背後から聞こえてくるのは、ただの名前と動詞。
どうせ、なんの根拠も証拠もない、気を引くだけの言葉だ。
無視すりゃあいい。勝つためなら、そこは徹底しなけりゃなんねぇ。
「ジルダ・マランツァーノ。運が良かったな、採用だ」
だけどなぁ、無視できねぇんだ。
ガセだろうと、ハッタリだろうと関係ねぇ。
ラウロ・ルチアーノは死んだはずの親父、なんだからよぉ。