2.猛禽の瞳
「しかし、嬢ちゃんひとりで大丈夫か?
この辺りは、魔獣の襲撃もあるような所だぞ?」
うーん、と少し考えるティーファ。
まあ、《組織》があれだけスムーズに話を通してくれたからには、何かウラがあるとは思っていた。
だけど、《組織》は自分のことを自分以上に理解しているし、無理なことは言わないだろう。
「うん、たぶんきっと、大丈夫よ」
「魔獣が出るというのに、そうも易々と言い切れるのはなかなか豪胆だな!」
書類を見ても、特別変な所はなく、普通に移住推薦されている。
推薦がある、ということはそれなりの戦闘力があり、ここで生きていけると見なされているはずだ。魔術師がよく着る黒ローブを着ているし、たぶん強いのだろう。
目の前の少女がいかに小さくか弱いように見えても。
「まあいい、自分の身は頑張って自分で守ってくれ。もし無理そうなら、ここまで駆け込んでくれば誰かしらが居るだろう。
で、農家になりたい、と言ったか?」
女の子の心配をする気のいいおっちゃんから一転、キラリと欲に目が光る。
この男はドルク・マスカス。
こんな村役場のカウンターに座っているから何でもない男だと思われそうだが、それは違う。
血の気の多い冒険者ばかりが集まる開拓村で、役場は冒険者ギルドと同じ役割があるのだ。
そのギルドのサブマスを務めているのだから、どれだけの実力者か分かろうというもの。
怪我を負ってからは引退して内政の面倒を見ているが、皆が一目置く人物だ。
そして、村の内政を見ている人間からすると、農家は喉から手が出るほど欲しい。
この村の自給率はかなり低く、魔獣を狩った肉のみで、他の食材は全て内地から取り寄せているのだ。
「嬢ちゃん、『魔農家』って知ってるか?」
「知らないわ。それって、ふつうの農家?」
ドルクは考えた。
目の前の少女は、何故か知らないがやけに『普通』に拘っている。
ならば、『普通だ』と言えば、自分の思うようになるのではないだろうか?
たとえ、魔農家が普通からは程遠い存在でも。
「ああ、普通だぞ。麦農家、豆農家、というのと同じだ。どんなことをする農家なのか、ってことだな」
「なるほどね。普通の農家なら、それになってもいいわね」
ティーファの所作はとても品が良く、言葉遣いも丁寧。どこぞの貴族のお嬢様か、といった風情だ。
だから、カンタンに騙せると思ったのだが。
「それって、私にとって、不利ではないわよね?」
たったひと言、一瞬で、覗き込んでくる紅い瞳に囚われた。
全く息が出来ず、身体も動かない。
その奥に広がる、深い深い闇に、引き摺り込まれるかと思ったとき。
「まあ、いいわ」
そのひと言で、解放された。
「騙してもいいけれど、それなりの理由と覚悟を持ってちょうだいね?」
ドルクは思った。
コイツと、かかわり合いになりたくねぇ、と。
ギルドのサブマスとしても、それまでの冒険者生活でも、多くの人間と交渉をしてきた。
それらの中で一度も感じたことのない感覚。
どちらかと言えば、戦場での、一瞬の生命のやり取りに近いような。
それを何気ないこの場で出すような、とち狂った少女とはお近づきになりたくない。
しかし、もう後悔しても遅い。
猛禽のような彼女の瞳は、しっかりと自分を見つめているのだから。