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朝起きて出社して、パソコンとにらめっこして、昼食を同僚と食べて、上司のくだらない自慢話きいて、昼からまたキーボード叩いて、生意気な後輩に指示を出して、定時までに仕事終わらせて帰宅。ボーッと夕食をとりながらテレビを観ているうちにお風呂が沸いて湯船の中で放心状態になり、気づけば布団の中。程なく眠りにつき、朝が来てまた会社へ。
毎日が、その繰り返し。別に不満なんてなかった。社内の人気者でもなければチヤホヤされているわけでもない。そんなのどうだっていい。目の前にあるやるべき事をして、それなりに職場の人たちと仲良くやっておけば、それでいい。まぁまぁ楽しくさせてもらってるし、お給料も悪くない。一人で暮らしていくには十分。平均、平凡。そんな言葉が似合う生活。凪いだ海のような毎日。気に入っているわけではないが、不満に感じているわけでもない。当たり前で代わり映えのしない日常に、身を委ねている。それが私。
withコロナ生活。
良いのか悪いのか、慣れ始めたこの頃。私は友人と久しぶりに会うことにした。繁華街にある、とある居酒屋。二人で一緒に暖簾をくぐり、近くのテーブル席に腰を掛ける。ビールと適当につまみを注文したあと、私は目の前に座る咲をじっと見た。待ち合わせ場所で会ったときから、ずっと気になっていたこと。
「なんか綺麗になった?」
長年の付き合いである彼女は、以前よりも垢抜けた印象を受ける。単純ではあるが、恋人でもできたのだろうか。そう聞くと、咲は首を大きく横に振った。
「いないよー」
「じゃあ何で?」
「いやー恋人はいないけど・・・まぁ、でもーそんな感じなのかなーふふふ」
「何よ、気持ち悪い」
急にニヤつきだし、もったいぶった話し方をする咲。
「応援するっていいよねーこう清々しいというか、晴れ晴れしいというか」
うっとりした表情を浮かべていた。
「早く言いなって」
「推しができたの」
「はーい、生お二つでーす」
ビールが運ばれてきたので、とりあえず乾杯して喉に流し込む。美味しい。
「おし?『おいしい』の略語?」
「どこ省略してんのよ。じゃなくて、推薦の『推』に、平仮名の『し』で、『推し』。玲奈にもいるでしょ?」
「いないよ、初めて聞いた」
知らないの?と顔を近づけてくる咲。
「薦めたくなるほど、それはそれは素敵な人のことよ!心のオアシス!元気の源!!もはや、それは食事!!!」
意味わかんないと返すと、大きな溜息をつかれた。
「わっかんないかなー。好きなアーティストとかいないの?芸能人とかYouTuberとかさ」
ああ、そういうのを『推し』というのか。若い人にはついていけない。
「・・・あんた、あたしと同い年でしょうが。いくつだっけ」
「25」
「25なんて、まだまだ若い!」
そうはいっても、年々体にガタがきてるような。体力も落ちてきてるし。階段を数段のぼっただけで動悸が
「お待たせしました、キュウリの一本漬けです」
・・・えーと、何の話だっけ。あー、オシね。オシの話だったね。
「推しがいるのといないのとでは違うと思うよ!なんというか毎日が輝いているというか潤っているというかさ!!」
ポリポリとキュウリを食べる私をよそに、咲はスイッチが入ったのか、やや興奮気味に語っていた。声のボリュームが上がってきている。近くに座るお客さんが、ちらっとこちらに目をやった。私は咲にコソッと伝える。
「あの・・・もう少し小さめで・・・」
その言葉に我に返ったようで、声を潜めた。
「とにかく、毎日が楽しいってことよ」
「ふーん」
特にこれといって好きな芸能人とかいないから、その感覚がわからない。そういや、YouTuberって芸能人になるの?よくわからないけれど、でもまぁどうでもいっか。キョーミないし。そんなことを考えている間に、自分の推しているアイドルグループの話をしだしていた。
「ライブは良いよ~、映像で観るのとは全然違うからね。今度、一緒に行かない?チケット抽選だから、当たるかわかんないけど」
こんなご時世に、しかも興味ないアイドルのライブにわざわざ?
「そんな顔しないでよ、楽しいからさ」
そう言われても、生まれてこの方、ライブなど行ったことなどない。咲の言うライブの楽しさなんて、一ミリもわからない。渋っている私を見て、咲は「あ」と何か閃いたようだ。
「家にさ、ライブのDVDがあるから一緒に観ようよ。それならハード低いんじゃない?ね?物は試しでさ」
そこまで言うならと、その提案を受け入れることにした。
休日。
お菓子やらジュースやらをコンビニで買ってから、咲の住むマンションへ向かう。
「いらっしゃいー」
笑顔で出迎えてくれた咲と一緒に、部屋の中へ。洗面台で手を洗い、リビングに入る。テーブルの上に買ってきたものを並べていると、咲はカーテンを閉め、照明のスイッチを切った。部屋が薄暗くなった。そうした方がライブ感が出ると言う。
「どちらかというと映画館じゃない?」
「ま、いいじゃん」
肩を並べてソファーに座る。咲がリモコンを操作すると、画面が明るくなり、暫くすると眩い光が目を貫く。3人の男性アイドルグループ。それぞれメンバーカラーというものがあるそうで、赤、青、緑の衣装を身に纏って歌っていた。
皆、綺麗な顔してるし、歌もダンスも上手。途中はいるトーク(MCっていうのね)も面白い。そして次の曲になり、またパフォーマンスが始まる。たしかにカッコイイけど・・・。正直、そこまでハマる理由がよくわからない。咲はというと、食い入るように画面を見つめている。咲には悪いけど、私にはよくわかんなかったな、と画面に視線を戻す。と、ある人物と目がバチッと合う。時が止まり、周りの音が遮断されたような感覚。赤のリーダーらしき男性。その人はこちらに手のひらを差し出す。思わず手を伸ばし、その手を取りそうになった。慌てて引っ込め、ちらりと隣に座る友人の横顔を窺う。咲は、恋人を見るような慈しむような穏やかな笑みを湛えて、その赤い男性を見ていた。なるほど、咲の推しとやらはこの人か。その赤い人は、くしゃっと笑いながらこちらに向かって手を振り、ウインクを飛ばしていた。そこで私は、自分の口が開いているのに気づく。完全に見入っていた。
「どう?」
ニコニコしながら咲が尋ねてくる。
「・・・いいね」
「でしょ?」
目を奪われるとは、心を奪われるとは、まさにこのことだ。咲がニヤニヤして、こちらを覗きこむ。
「あんた、急に綺麗になったね」
「は?」
「おめめはキラキラ、肌はつやつや」
どこか嬉しそうな友人は、くすっと笑った。
「恋してる顔だね」
「何言ってんの、そんなわけ」
「隠すことないじゃーん」
「ちがうから」
と言いつつ、二時間ほどの映像をしっかり最後まで観ていた。
翌朝。
私は電車に揺られていた。
目的地は、もちろん会社。数十分で着くのだが、この通勤時間はいつも退屈。スマホでネットサーフィンをして時間を潰すのが日課である。何を検索しようか考えていると、ふいに頭をよぎったのは昨日の男性。煌びやかな映像が、脳内に映し出される。赤い衣装を着た、笑顔の可愛い彼の名前を思い出し、スマホに打ち込む。生年月日、年齢、身長、経歴、自撮りの数々。けっこう昔から活動しているようである。いつの間にか、のめり込んでいた。ふと顔を上げると、車窓からは見慣れない景色が。
「あ」
会社の最寄り駅は、とうに通過していたのだった。