田中頼三
「ただし、降りかかる火の粉は払わねばならん。万一、攻撃を受ける様な事があったら、徹底的にこれを撃滅しよう。」
田中頼三日本海軍少将
太平洋戦争を通して艦隊同士がぶつかりあって戦う海戦の内、日本海軍最後の勝利とも言えるのが、ルンガ沖海戦である。しかも、わずか数十分で勝敗が決している。
ミッドウェー海戦での大敗北から、日米両軍の焦点はガダルカナル島へと移った。戦力を大局から見れば、この時まだ日米両軍は互角であった。日米双方はガダルカナル島に前線基地建設を計画し、昭和17年7月2日~4日にかけて、日米両軍は動き出す。結局8月7日の米軍上陸から始まって、日本が12月31日の御前会議で撤退を決めるまで、実に5ヶ月もの長きに及ぶ事になる。
太平洋戦争の勝敗の転回点になった戦いであった。しかしながら、最前線の基地であるラバウルからガダルカナル島までは、1000㎞もあり、余りに遠かった事で、不利になり、敗退の要因になった。1942年(昭和17年)に戦われた、第二次ソロモン海戦の頃から、ガダルカナル島付近の制空権は失われて行った。これにより、水上艦隊は夜間しか近付く事が出来ず、そんな中で産み出されたのが駆逐艦による補給であった。
そして、ルンガ沖海戦は同年11月30日に起きた。ラバウルの第8艦隊司令部から、ショートランド島の基地に米国艦隊発見の入電がある。同日真夜中、田中頼三少将率いる第2水雷戦隊の8隻の駆逐艦が補給の為、ガダルカナル島に向かう事になっていた。物資を運ぶ為には、駆逐艦の生命線である魚雷を下ろす必要がある。となると、敵艦隊にもしも見つかれば、全滅しかねない。つまり、この日の補給任務は危険極まりないものであった。
旗艦駆逐艦であった「長波」艦上では、午後4時から作戦会議が始まる。そこで、田中頼三少将はこう述べている。「我が隊の第1の目的は不本意かも知れないが、窮迫したガダルカナル島将兵に物資や弾薬を補給する事にある。ドラム缶を何とかして、ガダルカナル島将兵に手渡す事にあるのだ。会い敵せる時も能動的な行動を勝手にとる事は許されない。」しかし、田中頼三少将は、このセリフを言って落胆と不満の幕僚達に、戦う場面ありし時は戦う意思を示して、予定通りドラム缶輸送を開始した。




