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名ゼリフから読み解く 大東亜・太平洋戦争  作者: 佐久間五十六


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石川信吾③

 「この戦争は、始めたのは俺達さ。」

 石川信吾日本海軍少将

 石川信吾少将自身が戦争に負けた昭和20年(1945年)に、このセリフの様に言っていたと言うのであるから、反省も責任感もまるで無かった様である。軍務局第二課の部下であった中山定義と言う元帝国海軍中佐は、石川信吾少将の事を「海軍の中でただ一人の政治的活動家であり、巨大な陸軍の政治力に立ち向かおうとする、石川信吾少将の姿勢は、颯爽たるものがあった。」と言って褒めあげている。

 しかし、颯爽として石川信吾少将が推し進めた政策は、まごうかたなき無謀な戦争への道であり、国家敗亡への道であった。陸軍にも石川信吾少将の様な戦略担当型の軍人は複数人いた。政財界に顔が利いて、走り回って、自分の考えを陸軍の政策として売り込み、それが成功すると陸軍そのものを引っ張って行く。そんな政治軍人は武藤章、田中隆吉、橋本欣五郎、佐藤賢了、田中新一、花谷正、鈴木貞一、そんな名前がピックアップされる。戦略担当型と言うよりは、寧ろ事件屋の面々と言う感もある。そして、国家をあらぬ方向へと動かして滅ぼしてしまう。

 この様に、昭和陸海軍における参謀と言う者は、こうしてみると、本来あるべき参謀の姿からは、かなりはみ出た存在の人物が多かった事がよく分かる。参謀肩章を見せびらかして、勝手な事をやる連中が多かったとも言える。それも、日本型リーダーシップが生み出した負の遺産ではあったのだが…。

 軍人の本分は、国家国民の為に、国益を守る為に最善を尽くす事である。それがいつの間にか自分自身の為に、私的な欲望を満たす為に、ベクトルが変わって行ってしまった。人間である以上は、ある程度は仕方無い。しかし、度が過ぎるものは国家の利益を著しく損なうもなのである。戦略担当型軍人は、それをよく示している。

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